無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)
ふとした時になにやら漠然と不安な気持ちになることはありませんか?
対人関係だったり、将来のことだったり、健康のことだったり、お金のことだったり。
私は不安な気持ちになった時に、「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」という言葉を思い出すようにしています。
この言葉との出会いは本多静六氏の「私の財産告白」という本でした。※この本はお金との付き合い方を学ぶ上で非常にためになる本ですが、この本の詳細はまたの機会に。
初めてこの言葉を見た時になんとなく意味は想像できたのですが、当時禅語に興味を持っていた私はしっかりと意味を知っておこうと思い調べました。
すると「無一物中無尽蔵」この言葉には続きがあることがわかりました。
「無一物中無尽蔵 花有り月有り楼台有り」
この言葉は、中国の詩人である蘇東坡が心の安らぎについて詠んだものという説が有力なようです。
なにものにもとらわれなくなったとき、花や、月などの美しいものが存在している幸せに気づくことができる。
本来人は何も持たずに生まれてくるが、生きていく中でいろいろなモノを手に入れる。手に入れると今度は失うことを恐れるようになる。
家族、友人、お金、健康、地位、名誉、車、家etc
そしてそれらを失わないように努力すればするほどさらに失うことを恐れる。
なんだこのループは・・・
そして自分は今、失わないための方法を必死に学ぼうとしていることに気づいた。
失わないように立ち回ることも大事だと思っている。
だけど、そのことだけに執着してしまうのはやはり違う気もする。
将来の不安を軽減するために投資をする。
仕事がなくならないように学び続ける。
人間関係を壊さないように相手のことを考え発言や行動をする。
どれも大事だ。
でも、なにかに執着し過ぎていて不安な気持ちになっているのでは?というときには、「人間本来無一物」、とらわれを無くせばそこにはまた素晴らしい世界が開けているということも忘れず、心を落ち着けてこの言葉を思い出そう。
「無一物中無尽蔵 花有り月有り楼台有り」
最後までお読みいただきありがとうございます!