生き方を考える>本来無一物
禅語で好きなものがあります。
【本来無一物 無一物中無尽蔵】(ほんらいむいちもつ、むいちもつちゅうむじんぞう)
私の解釈では、
「本来無一物」=「人間誰もが生まれながらにして何も持たず、また死する時も何も持っていけない」
「無一物中無尽蔵」=「何も持たず何にも執着しない生き方こそ、無尽蔵の可能性が広がっている」
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無一物もよしと悟れば、発想も行いも無尽蔵となる。
ーーーと言っても、無一文では家族の生活も仲間との交流もできません。
ここで言う「悟り」とは、更に強引に利益を求めたり、一度手にした物を、手放せないより強い欲を持つ事を戒めています。
しかも、物欲だけで無く名誉や名声、格式や階級なども一緒です。
それらを目標に挑戦したり努力することは必要です。
ただ、強い欲に固執すると目の前にある大切な人間関係や、新たなチャンスを見逃してしまいます。
悟りと具体的な行動としては、
固執する前に人生の目的を違う事に向け、今の財産や名声には束縛されない事だと思います。
手に一杯の物を掴んでいるからこれ以上は何も掴めないし、今掴んでいる物も本当に大切な物か心眼で見直すこと。
その時にこそ自由な気持ちで白いキャンパスに向うような、発想や行動が可能になります。
すると、不思議と今まで固執していた財産や名誉も結果的には持続しているものです。
悟ることから始め、理解をするのですが、さらに難しい「行動をする事」こそが、「人生のチャレンジ」だと想います。