(感想がまとまった)たい平さんの「七段目」は芝居に夢中になる若旦那、定吉、番頭さんを煩がるが自身も実は芝居が大好きで本当は観に行ったり彼等と騒ぎたいだけど立場上そうも言っていられぬ大旦那の目線も語られ、花緑さんの「七段目」は若旦那と定吉のお騒ぎを中心に語られているように見える。
柳家という系譜に、5代目小さんという人がいて、さん喬、花緑、その中に柳家喬太郎という人もいる。今日という日に、柳家のあったかさに触れて、うどんやを聴ける幸せと感謝をここに残しておきたい。かじかんだ手を温めよう。
「花緑の幸せ入門「笑う門には福来たる」のか?/柳家花緑」拝読。花緑さんのマインドフルネスのご経験き類似することが多々ありで同感の嵐と「頑張るの反対語は感謝である」という新たな認識に目から鱗である。五代目小さん師匠の教えに和賀を振り直しまた少しマシな人間に近付いていきたいと思う。
「落語家はなぜ噺を忘れないのか/柳家花緑」拝読。落語を聴く度に噺家さんの了見、洞察力、臨機応変、気働きに畏敬を抱きと惚れ惚れとすることを反芻する。そして花緑さんの落語に向き合う姿勢と心意気により惚れた。もっと落語が好きになりより花緑さんを好きになっていきたいと思った。
「もじをよむのがにがてなんです/柳家花緑:語り,姫田真武:絵」拝読。苦手なこと、短所を受け入れ、好きなこと、長所を活かして伸ばす姿勢が花緑さんのユーモアと落語を生み出していると観た。自分自身と上手に付き合うコツはユーモアを持つことではないだろうか。