人の世はオモニを背負うて遠き道を行くが如し 姥捨ての悲しい風習は汎アジア的に行われていたようだ。 朝鮮半島ではこれを高麗葬(コリョジャン)といった。
『現代のうばすて山』 今朝の出勤途中で遭遇してしまった。それを捨てていたのはおばさんだったが、本当は誰か若者の肩代わりをしていたものと思われる。"もう要らない"といって簡単に捨ててしまっていいものと、大切にしなければいけないものがある。コレは簡単に捨てていいものなのか?疑問だ。