需要と供給がセットなら、 供給することのプロだけでなく、 需要することのプロも居ていいと思う。 供給過多の時代には、むしろ需要することのプロが求められるのではないのだろうか。 私は、たまたま需要する側で何かしてもらう場面が多い。 せっかくなら、 需要することのプロを目指したい。
多様性や自発性を尊重するのなら、 アプローチとしてできることは最終的に「祈る」ことだけではないのだろうか。 “双方向コミュニケーションが大事”だと言うけれども、 そのことを相手に要求した時点で、多様性や自発性を少なからず犠牲にすることは避けられないのだから。