人間力という言葉も経済が前提の世界で生まれ、定義されていると感じる 少なくとも、生物の基本である、子育てに関しては何も書かれていない。仕事を中心した社会が当たり前という背景を感じる ある種の傲慢さを感じずにはいられない。上から目線の印象を自分は持った
今日、私は1986年にアメリカからの視点でベトナム戦争の実態を描いた「プラトーン」という映画を観ました。戦場では人間は正常でいられず、善悪の常識は通用しない。それは単なる愚かな人間の所業に過ぎない!https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0BL25Y1QV/ref=atv_dp_share_r_tw_9e5c61d1eb794
猿の社会も人間の社会もやっていることは同じだ。集団内でのいざこざは魚の世界でもある。ただそれに気づいている人間はこの世に何人居るのだろう。気づいていない人間たちがこの世を回している。立派な猿芝居である。
人間は様々な恩恵を人間以外の動植物や自然から得ている。それなのに感謝の心を忘れ、我が物顔で振る舞っている。みんなの地球なのに、人間だけが権利を主張するのは変な話だ。全てをコントロールして、世界を思うように動かしているつもりでも人間は全知全能ではない。所詮独りよがりの井の中の蛙だ。
8/9の原爆投下の第一候補地だった小倉。いろんな説があるが、原爆投下は目視でという命題を与えられていたために、都合により長崎に落とされてしまった。後から聞かされた人たちの身の毛のよだつような想いに心を寄せようと思います。どうか平安な世界になってほしいと思います。
より良い人になろうと思っているのは今なお多くの人が不条理なこと、生きるただそれだけさえ脅かされているからだ 皮肉に思うのは人間以外の他の生物は基本的には自らよりも自らの種族の持続のために自然と力を尽くす 人間のみが「より良い人」にならないと動こうとするしないということに呆れている
再生可能なものなど存在しない。必ず劣化が起きエネルギーや質量は減っていく 無限を欲するのは人間は傲慢で欲望というものが限りがないから 無限の欲望に対して有限の現実は対応できないだからこそ人は無限のある世界を望み、現実逃避をしようとする 無限は人間を暴走させてしまう、ないほうが良い