EMDRってなんぞや?〜複雑性PTSDと解離性障害〜
この記事はEMDRの詳細についてというよりは、主に私筆者がEMDRというものに出会うまでのストーリーがメインの話となっているよ。EMDRの詳細や体験日記、感想なども今後投稿していこうと思っている!少しでも興味があったら覗いてみてね!笑
EMDRってなんぞや?
と言うものらしい。
私は約1ヶ月程前に初めて聞いた単語である。
私は不登校や自傷行為、摂食障害、アルコール乱用と様々な経験をしている。それにも関わらず、精神病にも治療についてもあまりにも無知なのには理由がある。それは私が精神科通院を拒否しまくってきたからである。
幼い頃に親から言われた「普通が一番幸せなんだよ」と言う言葉が頭から離れず、(両親はとても愛情深く、私を沢山愛してくれています。深い意味を込めて言ったのではないと思っています。)幼いながらも無意識に普通になろうと努力していた。何歳の時に言われたのかまでははっきり覚えていないが、気がついたら普通が一番、変に目立ったり、危ない橋は絶対に渡ってはいけない。こういった思想が脳に染み付いていた。
認知の歪みが染み付いた訳
両親から言われた言葉を子供ながらに解釈し生きていた事の他に、普通が一番、はみ出してはいけないんだと言う強い思想が染み付いたトラウマ的時期がある。
それは私が小学4年生の頃の話。当時の部活がブラック過ぎた事と、その部活の忙しさから幼少期から続けていた習い事であるクラシックバレエについて行く事ができなくなり挫折してからだ。何故習い事についていけなくなったのか?それは小学生の私には抱えきれない程、当時の顧問が酷かったからである。当時の顧問は酷い罵声を部活中浴びせ、時にはドラムのスティックを生徒へ投げつける、生徒を無視する、押して転ばせる、叩くと言った体罰も日常茶飯事であった。また部活内のいじめや揉め事も起こる様になり、ストレスから夜は眠れないと言うことが普通になっていた。その頃から私は酷い希死念慮と友達になった。また記憶が抜け落ちていると言う現象(いわゆる解離性健忘)が起こったり、自傷行為をする様になっていた。
顧問から浴びせられた罵声の全てがおうむ返しのように自分に跳ね返り、小学生でありながら昼夜問わず息が詰まる様な感覚になっていた。
端折りまくっているが、この時期が私のトラウマ時期である。
感情を押し込める事が日常的となり、この頃を境に今でも中学の不登校に至るまでの記憶が曖昧になっている。抜け落ちた過去は、きっとこの息が詰まるような感覚のまま屍のようにどこへも逃げられず、そして顧問から言われた罵声が呪いのように染み付いたまま歩んでいたのかもしれない。思い出せない部分はしょうがないから想像だけど。
今はまだトラウマの治療を受けていないので、過呼吸を起こしそうになりながら記憶を出来るだけ掘り返し書いてみた。呪いが解かれていない様な張り付けられる様な苦しさが蘇ってきている。(心の声:向き合いたくて頑張っているんだらか一旦落ち着いて)
不登校と落ち着き
何故中学2、3年生の不登校に至るまで何も処置をしなかったのか、それはそもそも記憶がないからだ。というか何故不登校になったのか、いつから、どのように登校を拒否をしたのかすら曖昧なのである。今の私が考えるに、きっと小学生の段階で、私は人生の全てを諦めていたのだろう。中学校に入ってからは燃え尽き症候群のような状態が続いていたのかもしれない。今思うと、もし小学生、中学生の段階できちんと向き合い病院に通い治療していたら自傷行為で悩む事、辞めようと努力し苦しむ事、また後々摂食障害で苦しむ事も、アルコールを乱用する事にもならずに済んだのでは?と思う。
もし今ストレスやトラウマで苦しんでいる人はその痛みを無視しないであげてほしい。心身のSOSを無視し続けると確実にいつかそのツケを払う時が来るし、時間が経てば経つほど様々な拗れが生まれ、ツケや治療の代償が大きくなってしまうんじゃないかと思う。無理に治療する必要は無いけれど、向き合える状態が整っているのでれば躊躇しなくても良いと思う。
幸い?中学3年生の不登校時、自宅でひたすらリラックスして過ごせる様になり、現実世界にいると言う感覚や肉体的な感覚の部分までの記憶も保持されているような状態にまで少し回復した。不登校時、私は初めて親に精神科に連れて行かされたらしいのだが、その記憶も曖昧でボヤッとしか思い出せない。当時の私は通院する意思や治療意欲と言うものは全くと言っていい程無かった為、継続的な通院はしていなかったようだ。(ほんと曖昧で申し訳ない。)
私の人生史としては不登校を経て、ここから更に面白くなってゆくのだが。(不登校を乗り越え全日制高校の受験、高校生活と摂食障害、大学生活と恋人、失恋や将来への葛藤とアルコール乱用へetc.笑 少しづつnoteに書いていきたいな…)今回の主題であるEMDRから話が逸れるので一旦私の過去話は置いておく。
数年が経ち、21歳になるまでまあ紆余曲折あった。
しかし幸か不幸か、不登校以来、感情の復活と共に、現実生活を全うするぞという意思と現実についてゆく事に必死になっており、長らくトラウマ時期のことは記憶から薄れていた。
トラウマの復活
しかし昨年度からこのトラウマが強く思い出される様になった。きっかけは友人からのメンタルについての相談である。友人の悩みを聞いていただけなのだが、内容がどうも昔のトラウマとリンクする部分があったのか、じわじわとパンドラの箱が開けられていく様な感覚があった。なんなら友人があまりにも辛そうだったので何かアドバイスできないかと無意識に自らその封印に触れにいったりもしていた。
相談を機に私は再び頻繁にフラッシュバックに襲われる様になった。とてもとても苦しくなった。過去に浴びた罵声が今でも当時のまま脳内で大音量で流れ始め、それに伴い強烈な自己卑下、劣等感、無力感が感じられる様になった。前回のnoteでも少し触れたが、アルコールの乱用が悪化したのはこのフラッシュバックから逃れる為でもあった。(正しくは2度目のアルコール乱用で悪化という表現をしたのはその為だよ)
実家に戻ると言う選択
アルコールの乱用が悪化し、金銭的にも身体的にも生活が回らなくなっていた。一人暮らし時代、私のアルコール乱用具合を見兼ねた友人(相談相手とは別)が精神科の予約を取ってくれ、半ば強制的に通院しなければいけなくなった。通院し睡眠薬をもらい始めたのだが、アルコールに頼る生活に慣れを生じていた私は、お酒を飲むこと控えようと努力し始めたが、お酒を完全にやめることは容易では無く、すぐには出来なかった。
季節は秋になり、またもや試練が降りかかる。実家の愛犬の死である。弟のように可愛がっていたので言葉に出来ないほど寂しくなった。弟の死をきっかけに、生きるとは、死ぬとはといった哲学的疑問や自殺を試みていたトラウマ時期の事、フラッシュバックに悩んでいる現状、また大学卒業後の進路、進みたい未来、等々脳内が暴れ出し収集つかなくなった。過去、現在、未来、フラッシュバックなどの苦しさから、睡眠薬のおかげで眠れる様になった日々も水の泡の様に消え、生活が逆戻りした。口渇とした酷いアルコール欲が復活した。抑えることは容易ではなかった。再びアルコールを溺れるように摂取しては自己嫌悪の生活になった。
そして救急車で運ばれた。
連続飲酒の復活により心身が安定しなくなり、酷い眩暈がするようになっていた。眩暈から階段を踏み外し、気付けば救急隊の方々がいた。幸い頭を打ったが異常はなく、骨折等の大きな怪我もなかった。その日のうちに母親が駆けつけてきてくれた。ありがたさと申し訳なさ、不甲斐なさで一杯になった。
この機を境に、とても不甲斐ないが今の状態では私一人ではとても生きてゆけない。休まなくては本当に心身がもたない。根本的解決をしなくては。と言う意思が生まれた。
新しい主治医とEMDR、?
長々と過去話のお付き合いありがとう。さあこの章でようやくEMDRとやらが登場するよ!笑お待たせ致したわね。
そんなこんなで大学生活最中でありながら、全てを投げ捨て実家に舞い戻ったHaruna氏。さあこっちでも良さげな精神科を見つけ睡眠薬を貰うとするか〜、と新たな病院の検索に早速取り掛かった。なんとなく良さげな所でいいやと半ば投げやりな気持ちで通い始めた病院がまあ当たり!とても皆様優しく丁寧!!私はとても驚いたよ。
診断名が大きく変わったことも驚きの一つ。実は主治医が変わるまで、トラウマや解離性障害、PTSDというものについて殆ど知識がなかった。前まで通っていた病院では気分障害(双極2型の疑い)の類だと思うと言われ、自分ではトラウマというか漠然と辛いことがあったかなくらいの感覚(無意識に閉じ込めていた部分もあるとは思う)だったし。
通う病院と主治医が代わり、問診や新たに数個検査を受け、
「発達障害がベースにあり、小学時代のトラウマから解離症になり、色々併発し今に至るのでは?」
「EMDRと言う治療法があるんだけど試してみない?」
と言われたのである。
その時が、私がEMDRと言う言葉を知ったきっかけである。
だからEMDRってなんなんだよ笑
冒頭でも引用したのだが、
と言われてもさっぱりわからない。
様々なサイトからなんとなく拾い上げ要約してみる。
トラウマの原因となった場面を思い出しながら、左右にリズミカルな眼球運動を行うことで記憶の情報処理を促進し、「フラッシュバック」などの症状を減らしていく。
EMDRとはPTSDや解離性障害といったトラウマに関連する精神障害の治療のために開発されたカウンセリング。
トラウマ場面を頭に思い浮かべながらカウンセラーが指を左右にリズミカルに振るので、それを目で追いかけるという作業を繰り返します。そうすることによって、トラウマが比較的短期間で解消される。
アメリカの臨床心理士F・シャピロが1989年に発表したこの方法は、今日、英、米、独、仏、スウェーデン、イスラエル、北アイルランドなど多くの国が発表するPTSD(外傷後ストレス障害)の治療ガイドラインに「実証された最も効果がある心理療法」の1つとして載せられている。
EMDRによって、否定的な題材が脳内にもともと貯蔵されている肯定的なネットワークと連結がなされることで、自身のより肯定的で機能している部分を使える状態となる。
わかったようなわからないような結果である。
眼球運動をして気持ちの整理をする、と。あとサイトにも書いてあったが何やら睡眠時のレム睡眠(rapideyemovement,REM)のなんとかが関係しているとか。日本ではまだマイナーだがアメリカ等ではよくあるカウンセリング療法の一つであるということとか。
ざっくりとそんなことなのはわかった。
あってるかしら?笑
私のそのEMDR療法が来週に控えている。
故に今、急いで情報収集しているのである。noteでもgoogleでもTwitterでもInstagramでも片っ端から調べている。
今私は向き合いたい気持ちと恐怖心が絶賛大喧嘩中。
本当にトラウマは楽になるのかい?EMDRは受ける価値があるのかい?
以上。
Haruna.
〆&追伸
今回も長文最後まで読んでくださった方々ありがとうございました。まだまだEMDRと言う存在は日本ではマイナーなのか、中々良さげな記事や参考になるサイトが少なく問題提起から個人の体験まで詳細に説明できている媒体は少ない様に感じます。私がこの身を持ってその先駆者となり少しでも救われる人が更に増えればとこの度トラウマやEMDRと言う内容でnoteで書くことを決意しました。もちろんEMDR含む様々な治療の先輩方は沢山居られます。そんな中メンタルに対する情報量の少なさというか素人っぽさを隠さず投稿して行こうかと思っております。
少しでも皆様の参考になれば幸いです。