マガジンのカバー画像

播磨陰陽道

581
運営しているクリエイター

2021年12月の記事一覧

播磨陰陽師の独り言・第百四十三話「初詣のこと」

播磨陰陽師の独り言・第百四十三話「初詣のこと」

 昔は大晦日の晩に霊験あらたかな寺社に参詣し、
「福の神から福徳をさずかる夢」
 を授けてもらおうとしました。これは大晦日から元旦にかけて初詣をし、家に帰る習慣を作りだしました。除夜の鐘を一般の人が打つのはこの頃からの風習で、室町時代からあるそうです。それから元旦は朝まで起きていて、初日の出を見たのです。

 狂言の『福の神』に、
「毎年、福の神の御前で年を取りますれば、次第次第に富貴になるように

もっとみる
播磨陰陽師の独り言・第百四十二話「大晦日のこと」

播磨陰陽師の独り言・第百四十二話「大晦日のこと」

 大晦日も近いですねぇ。大晦日と言えば十二月三十一日ですが、本来は三十日が大晦日でした。旧暦には三十一日はありません。
 この大晦日、古い言葉で〈大晦〉と言います。毎月の月末は〈晦〉と呼ばれていました。これは〈月が籠る〉と言う意味の言葉が訛ったものです。

 平安時代、禁中では大晦日に追儺の儀式が行なわれていました。この日は悪鬼が夜行するとのことで、陰陽師たちが祭文を読み、サムライは鬼を追ったと言

もっとみる
播磨陰陽師の独り言・第百四十一話「頑張る人々」

播磨陰陽師の独り言・第百四十一話「頑張る人々」

 世の中には、よく頑張っている人がいます。厳しいようですが、頑張ることに意味はありません。頑張らないで下さい。
 この〈頑張る〉と言う言葉を辞書で引くと、

 ① わが意を張り通す。
 ② どこまでも忍耐して努力する。
 ③ ある場所を占めて動かない。

 の三つの意味が出て来ます。
 多くの場合、頑張ることがまるで美徳であるかのように誤解されています。しかし、頑張るとは、わが意を張り通すことなの

もっとみる
播磨陰陽師の独り言・第百四十話「正月飾りの日」

播磨陰陽師の独り言・第百四十話「正月飾りの日」

 本日12月28日は正月飾りの日です。30日に注連縄などを飾ると〈一夜飾り〉となり縁起が悪いです。29日に飾るのも縁起の悪いとされていますので、28日に正月飾りを行う訳です。ちなみに昔の大晦日は30日でした。新暦になってから31日が追加されたものです。
 正月飾りは鏡餅と注連縄、門松などを飾ります。

 鏡餅は鏡の形をしているのでついた名ではありません。武家の正月では、男は甲冑などが入った具足櫃に

もっとみる
播磨陰陽師の独り言・第百三十九話「病は気から」

播磨陰陽師の独り言・第百三十九話「病は気から」

 病気になると、
「病は気から」
 とか知らない人に言われてしまいます。
 この言葉を、
「病は気持ちによって生まれる」
 と、勝手な解釈をして忠告してくれる人も多いようです。そのあげくに、まるで何だか気持ちの持ちようが悪いから病気になったように、一部の人たちに非難されてしまいます。
 ですが、この言葉は、
「病は気持ちの持ちようで良くも悪くもなる」
 と言う意味なのです。
 私は昔、ゲーム開発と

もっとみる
御伽怪談第三集・第四話「化け物の師匠」

御伽怪談第三集・第四話「化け物の師匠」

   一

 承応年間(1656)のことであった。京都の上立売に萬吉太夫と言う猿楽師が住んでいた。
 彼は先祖伝来の猿楽師とは言え、家業である筈の能狂言が得意ではなかった。しかし、下手の横好きとでも申すのか、能狂言そのものは好きな仕事であった。単にまわりから見て下手なだけである。だが、それが厄介であった。
「わいの芸は、まわりには高度すぎて、わからへんのやろ」
 と、いつも高を括っていた。だが、身

もっとみる
播磨陰陽師の独り言・第百三十八話「桃太郎の夢のこと」

播磨陰陽師の独り言・第百三十八話「桃太郎の夢のこと」

 幼い頃から桃太郎の夢をよく見ます。大人になってからも、たまに見ています。夢の中の桃太郎やその物語は、お伽話で知っているものとは少し違っています。
 何度も何度も桃太郎の夢を見るので、時々、桃太郎に質問することもあります。私の中では、桃太郎は幼い頃からの夢の世界の友人です。いつでも、そばにいてくれて、他の人には見えませんが、だからと言って妄想や幻覚とも言えない存在なのです。
 なぜ、妄想でも幻覚で

もっとみる
近世百物語・第百夜「天寿・そして死後の世界へ」

近世百物語・第百夜「天寿・そして死後の世界へ」

 近世百物語も百話目となりました。これですべての物語を終わりますが、私の霊体験は、日々、し続けていることもあり、これで終わりではありません。また、続きを書くかも知れませんが、今の時点で皆さんにお話しして問題のない部分はこれで終了することにします。

 さて、今まで多くの先輩や師匠が亡くなりました。もちろん、曾祖父も祖母もかなり昔に亡くなりました。生きていれば、このようなことは起こりますが、私はそれ

もっとみる
播磨陰陽師の独り言・第百三十七話「苦手な感想文」〈後編〉

播磨陰陽師の独り言・第百三十七話「苦手な感想文」〈後編〉

 そんなこんなで、小学校三年生くらいの頃だったかなぁ、百科事典を開いてみました。私にとって、ただの重くて大きな紙の束でしかなかった百科事典は、カラー写真が溢れた美しい物であることを、その時、はじめて知りました。それから、しばらく百科事典の写真ばかりを眺めていました。
 知らない世界、見たこともない生き物たちや風景写真にワクワクしたものです。学校が終わって家に帰って来ると、ずっと百科事典の中の写真を

もっとみる
播磨陰陽師の独り言・第百三十六話「苦手な感想文」〈前編〉

播磨陰陽師の独り言・第百三十六話「苦手な感想文」〈前編〉

 小学生の頃は作文の時間が嫌いでした。読書感想文とか言われたら、もう、最悪。授業の時間中、ずっと考え中で一行も書けないのです。書けないと言うより、わざと書かなかったのかも知れません。タイトルと名前を書いたら、あとはずっと考え中です。
 先生もいつものことなので、あれやこれや言うのですが、
「書けないものは仕方ない」
 と、最後には諦めてしまいます。
 実は読書をして感想がなかったのではなく、学校が

もっとみる
近世百物語・第九十九夜「つくも神」

近世百物語・第九十九夜「つくも神」

 百年に、ひとつ足らぬは、つくも神と言うことで、今回、とうとう九十九夜になりました。近世百物語も残すところあと僅か、よろしくお願い致します。

 さて、〈九十九神〉と書いて〈つくもがみ〉と読みます。これは器物が百年を前にして物之怪に化ける現象を意味する言葉です。
 百年近い間、人の世にあって大切にされると、ある時、人にその姿を見せようとします。これが良い方向に働けば幸いをもたらします。しかし、悪い

もっとみる
播磨陰陽師の独り言・第百三十五話「ちょっと怪談めいた話」

播磨陰陽師の独り言・第百三十五話「ちょっと怪談めいた話」

 わらべ歌に、
「お月さん、いくつ、十三、七つ……」
 と言うものがあります。
 幼い頃、よく父方の曾祖母が子守唄で歌ってくれました。しかし、曾祖母の歌は歌詞が少し違っていました。

——のんのさん幾つ、十三、七つ、まだ年ゃ若えな、あの子を生んで、この子を生んで、誰に抱かしょ。おまんに抱かしょ。おまんはどこへ?

 で、いつも終わり繰り返すのです。
 父方の曾祖母がこの歌を子守唄として歌っていたの

もっとみる
播磨陰陽師の独り言・第百三十四話「神農祭のこと」

播磨陰陽師の独り言・第百三十四話「神農祭のこと」

 本日、12月22日は冬至です。小豆カボチャを食べる日ですね。そして冬至の日にはかつて神農祭がありました。これは江戸時代のお話です。
 先月11月22日~23日に大阪の道修町の少彦名神社で、すでに〈神農祭〉は行われました。大阪の一年は、十日戎ではじまり、神農祭で終わります。そのことから、神農祭は〈止めまつり〉とも呼ばれています。
 本来の神農祭は冬至の日に行われていました。冬至は新暦の12月22日

もっとみる
近世百物語・第九十八夜「多い人と少ない人」

近世百物語・第九十八夜「多い人と少ない人」

 ある時、喫茶店に友人たちと入ったら、出されたコップの水がひとり分だけ多かったことがありました。
「数え間違いだったのだろう」
 友人と言いながらお茶を注文すると、奇妙なことに気づきました。ひとり多いのです。喫茶店に入って来た筈の人数より、今、目の前に座っている筈の数が多いのです。何度、数えても同じです。しかし、誰が多いのか分かりません。他の人が数えても、やはり、ひとり多いのです。そしてその人も、

もっとみる