2021年12月の記事一覧
播磨陰陽師の独り言・第百四十一話「頑張る人々」
世の中には、よく頑張っている人がいます。厳しいようですが、頑張ることに意味はありません。頑張らないで下さい。
この〈頑張る〉と言う言葉を辞書で引くと、
① わが意を張り通す。
② どこまでも忍耐して努力する。
③ ある場所を占めて動かない。
の三つの意味が出て来ます。
多くの場合、頑張ることがまるで美徳であるかのように誤解されています。しかし、頑張るとは、わが意を張り通すことなの
播磨陰陽師の独り言・第百四十話「正月飾りの日」
本日12月28日は正月飾りの日です。30日に注連縄などを飾ると〈一夜飾り〉となり縁起が悪いです。29日に飾るのも縁起の悪いとされていますので、28日に正月飾りを行う訳です。ちなみに昔の大晦日は30日でした。新暦になってから31日が追加されたものです。
正月飾りは鏡餅と注連縄、門松などを飾ります。
鏡餅は鏡の形をしているのでついた名ではありません。武家の正月では、男は甲冑などが入った具足櫃に
播磨陰陽師の独り言・第百三十九話「病は気から」
病気になると、
「病は気から」
とか知らない人に言われてしまいます。
この言葉を、
「病は気持ちによって生まれる」
と、勝手な解釈をして忠告してくれる人も多いようです。そのあげくに、まるで何だか気持ちの持ちようが悪いから病気になったように、一部の人たちに非難されてしまいます。
ですが、この言葉は、
「病は気持ちの持ちようで良くも悪くもなる」
と言う意味なのです。
私は昔、ゲーム開発と
播磨陰陽師の独り言・第百三十八話「桃太郎の夢のこと」
幼い頃から桃太郎の夢をよく見ます。大人になってからも、たまに見ています。夢の中の桃太郎やその物語は、お伽話で知っているものとは少し違っています。
何度も何度も桃太郎の夢を見るので、時々、桃太郎に質問することもあります。私の中では、桃太郎は幼い頃からの夢の世界の友人です。いつでも、そばにいてくれて、他の人には見えませんが、だからと言って妄想や幻覚とも言えない存在なのです。
なぜ、妄想でも幻覚で
播磨陰陽師の独り言・第百三十七話「苦手な感想文」〈後編〉
そんなこんなで、小学校三年生くらいの頃だったかなぁ、百科事典を開いてみました。私にとって、ただの重くて大きな紙の束でしかなかった百科事典は、カラー写真が溢れた美しい物であることを、その時、はじめて知りました。それから、しばらく百科事典の写真ばかりを眺めていました。
知らない世界、見たこともない生き物たちや風景写真にワクワクしたものです。学校が終わって家に帰って来ると、ずっと百科事典の中の写真を
播磨陰陽師の独り言・第百三十六話「苦手な感想文」〈前編〉
小学生の頃は作文の時間が嫌いでした。読書感想文とか言われたら、もう、最悪。授業の時間中、ずっと考え中で一行も書けないのです。書けないと言うより、わざと書かなかったのかも知れません。タイトルと名前を書いたら、あとはずっと考え中です。
先生もいつものことなので、あれやこれや言うのですが、
「書けないものは仕方ない」
と、最後には諦めてしまいます。
実は読書をして感想がなかったのではなく、学校が
播磨陰陽師の独り言・第百三十五話「ちょっと怪談めいた話」
わらべ歌に、
「お月さん、いくつ、十三、七つ……」
と言うものがあります。
幼い頃、よく父方の曾祖母が子守唄で歌ってくれました。しかし、曾祖母の歌は歌詞が少し違っていました。
——のんのさん幾つ、十三、七つ、まだ年ゃ若えな、あの子を生んで、この子を生んで、誰に抱かしょ。おまんに抱かしょ。おまんはどこへ?
で、いつも終わり繰り返すのです。
父方の曾祖母がこの歌を子守唄として歌っていたの
播磨陰陽師の独り言・第百三十四話「神農祭のこと」
本日、12月22日は冬至です。小豆カボチャを食べる日ですね。そして冬至の日にはかつて神農祭がありました。これは江戸時代のお話です。
先月11月22日~23日に大阪の道修町の少彦名神社で、すでに〈神農祭〉は行われました。大阪の一年は、十日戎ではじまり、神農祭で終わります。そのことから、神農祭は〈止めまつり〉とも呼ばれています。
本来の神農祭は冬至の日に行われていました。冬至は新暦の12月22日