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近世百物語・第九十九夜「つくも神」

 百年ももとせに、ひとつ足らぬは、つくも神と言うことで、今回、とうとう九十九夜になりました。近世百物語も残すところあと僅か、よろしくお願い致します。

 さて、〈九十九神〉と書いて〈つくもがみ〉と読みます。これは器物が百年を前にして物之怪に化ける現象を意味する言葉です。
 百年近い間、人の世にあって大切にされると、ある時、人にその姿を見せようとします。これが良い方向に働けば幸いをもたらします。しかし、悪い方向ならわざわいを生み出します。どちらの場合も、これらを〈つくも神〉と呼ぶようです。長い間、大切にされた器物が粗末な扱いを受けた時、半分だけ人のような姿を見せる妖怪の一種です。
 妖怪と書きましたが、妖怪とは〈妖〉と〈怪〉を合わせた現象です。〈妖〉とは〈およずれ〉と言い、人の心を惑わせる霊現象のことです。〈怪〉とは〈あやかし〉のことで、人智では計り知れない不可思議な霊現象を意味する言葉です。

 子供の頃のある時、江戸時代の〈百鬼夜行絵巻〉で見るような不思議な物之怪を見たことがありました。それは線香立てに手足が生えたような物で、忙しそうに窓の外を走っていました。見ていると、仏壇から逃げ出したような感じがしました。
 その頃、実家には仏壇がなかったので、
——どこから逃げて来たのだろう?
 と思いました。
 近所の家で夫婦喧嘩があって、家の外に仏壇とか位牌とか、そう言った物が散らばったと言う噂を聞きました。古いけれども豪華な仏壇らしく、位牌や線香立ても立派なものでした。
 それを聞いて、
——あぁ、あの家から逃げて来たんだな。
 と思いました。それにしても、あれはどこへ逃げて行ったと言うのでしょう?
 祖母に、
「近くで夫婦喧嘩があって、仏壇が外にほおり出された時、そこから逃げて来る線香立ての物之怪を見たけど、あれはどこへ行ったの?」
 と尋ねました。
 祖母は、
「それは水辺に行く時と、山の方に行く時がある。いづれにしても霊の通り道まで行って、そこであの世に行くもんじゃ」
 と説明してくれました。
「地獄へ帰るの?」
 と言うと、
「地獄かも知れんし、器物の極楽のようなところへ行くのかも知れん。しかし、人には分からぬところへ行くことだけは確かだな。そしてその時、その器物に宿った魂が抜け、器物だけが残されるんじゃ」
 と言っていました。
 それからまたしばらくして、あの線香立てが川原で見つかりました。その時は手足は生えていないようでしたが、大人たちは、
「それにしてもこんなに離れているところまで飛んで来る筈はないし、誰か拾って川の近くで捨てたのだろう」
 と噂していました。これらはすべて幻覚のような種類の現象ですが、滑稽な感じがしました。

 また、ある時のことです。柘植つげくしに手足の生えた物之怪が、やはり忙しそうに走っているのを目撃しました。古い櫛らしく、時々、立ち止まっては、息切れでもするかのように休んでいました。
「櫛には人の想いがまる」
 と古くから伝わっていて、櫛を使って呪いをかけたり、霊的な厄から守ってもらうような技法が数多く伝わっているのです。櫛にはそれほど霊的な力があると考えられています。
 櫛を見て、
——どこから来たのかは別として、近くの霊道へ急いでいるのだろうな?
 と思いました。邪魔されると、邪魔した人にわざわいをなす種類の現象です。だから干渉もせず黙って見ていました。それは幻覚か、さもなければ白昼夢のような種類のものかも知れません。それを見て認識出来たことに問題があります。と言うことは、他の幻覚を見やすかったり、霊的な現象にも出会いやすいと言う意味なのです。
 こう言う種類の物之怪を見ようとする人々もおります。しかしそれは、良いこととは言えません。自然の中にいる人間以外の生き物の中にも、人が見たり干渉したりすべきではない生き物もいます。それと同じように、人があえて関わるべき種類の現象ではないのです。これらは〈百鬼夜行〉のひとつとして考えられています。
 正式な〈百鬼夜行〉は九月のひつじの夜の京都での出来事を呼びます。ですので、私はそれらを見たことはありません。京都に住んでいた頃も、もう、そんな時代ではないのか、幸いなことに遭遇していません。
 古い本の多くには、
「好奇心から百鬼夜行を見てしまって大きな厄を得た」
 と言うようなお話が色々と書いてあります。
 もし、奇妙な物を目にしたら、とりあえずは、
「かけまくも、かけまくも……」
 と数回、唱えるか、さもなくば、
「祓い給え清め給え。守り給えさきわい給え」
 と唱え、拍手かしわでを二度、打ってください。正式には祓詞はらえことばを唱えて祓います。この祓詞は『不幸のすべて』の第三十五話に全文があります。そちらもご参考に……。

 またある時はこんな体験をしました。夜の墓場近くを歩いていると、にわかに騒がしく感じたのです。何だかザワザワしています。
 ふと、見ると、墓の近くで酒盛りをしているようでした。しかし、それは人ではありません。人の姿のように見えますが、色々な種類の物之怪たちのようでした。木魚に手足の生えたように見えるもの、位牌に手足の生えたように見えるものまでいました。
 その時、
——昔のマンガじゃないんだから、こんなのってありえないな。
 と思いました。ですが、見えているものを否定しても意味はありません。
 しばらく観察していると、ちょっと不思議に思いました。と言うのは、その連中はどこへも向かっていないのです。今までに見た物之怪は、皆、どこかへ向かって走っていました。急いでいる姿をいつも見ていましたが、その時に見ていた連中は、のんびりと酒盛りをしていたのです。
——どこへも向かわないのだろうか?
 とか、
——どんな種類の幻覚か、さもなければ霊現象なのだろうか?
 と考えました。
 やがて一匹が、
「そろそろ道も出来た故、あちらに帰るとするか」
 と言ったような気がしました。
 そして、一瞬、風が吹いたと思うと、すべて消えていました。
 あとには、
——奇妙なものを見た。
 と言う記憶と、まぬけに墓場を覗く私だけが、何だか取り残されてしまったような気がしました。

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