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播磨陰陽師の独り言・第百三十六話「苦手な感想文」〈前編〉
小学生の頃は作文の時間が嫌いでした。読書感想文とか言われたら、もう、最悪。授業の時間中、ずっと考え中で一行も書けないのです。書けないと言うより、わざと書かなかったのかも知れません。タイトルと名前を書いたら、あとはずっと考え中です。
先生もいつものことなので、あれやこれや言うのですが、
「書けないものは仕方ない」
と、最後には諦めてしまいます。
実は読書をして感想がなかったのではなく、学校が正解とする答えと、違う感想しか持てなかったのです。学校が押し付ける感想を強制されるのが嫌だったと言う訳です。そして、読書をしても辛辣な感想しか持たなかったことを自分自身で理解していたため、学校が決める正解を書くことが出来なかったのでした。
やがて、作文そのものを嫌いになって、作文の時間はずっと考え中で、ただの一度も作文を出さないようになりました。小中学校の時はほとんど作文を提出しませんでした。
文書が苦手だった訳ではありません。メモ魔でしたので、日々の出来事をずっとメモしていましたし、覚えた物事をノートにビッシリと書いていました。
さて、子供の頃、両親は本を読まないのに、何故か文学全集とか置いてありました。百科事典まで家にあったのです。しかし、両親はまったくと言って良いほど本を読みません。
あの当時はテレビと冷蔵庫と掃除機と文学全集と百科事典さえあれば、そこそこのレベルの生活だと自負出来たのかも知れません。しかし、飾っているだけの本では、場所を取るだけで何の役にも立ちません。いくら北海道は土地が広く、家も大きいからと言って、役に立たない本を大量に飾っているのが不思議でなりませんでした……続きは後編へ。
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