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今日の日めくり歎異抄の言葉1
今日の日めくり歎異抄の言葉
自分勝手な
ものの見方が
真実を
見えなく
している
ひそかに愚案を回(めぐ)らして、ほぼ古今を勘(かんが)ふるに。先師(親鸞)の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思ふに。幸ひに有縁の知識によらずは、いかでか易行の一門にいることを得んや。まったく自見の覚語をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。
(『歎異抄』序)
わたしなりにつたない思いをめ
今日の日めくり歎異抄の言葉30
今日の日めくり歎異抄の言葉
怒られた
ことより
悲しませた
ことが
心に残る
☆☆☆
かなしきかなや、さいはいに念仏しながら、直に報土に生れずして、辺地に宿をとらんこと。一室の行者のなかに、信心異なることなからんために、なくなく筆を染めてこれをしるす。なづけて「歎異抄」といふべし。
(『歎異抄』後序)
How sad it would be to abide in the border
今日の日めくり歎異抄の言葉31
今日の日めくり歎異抄の言葉
人生をかけて
読む本に
出遇えた
よろこび
☆☆☆
右この聖教は、当流大事の聖教となすなり。無宿善の機においては、左右なく、これを許すべからざるものなり。〔釈蓮如〕(花押)
(『歎異抄』奥書)
☆☆☆
『歎異抄』には著者の原本は伝わっていません。現存する最古の写本は、蓮如上人(一四一五~一四九九)の書写本で、本派本願寺に所蔵されています。いまは二巻の巻子本
今日の日めくり歎異抄の言葉29
今日の日めくり歎異抄の言葉
この一言に
出遇えて
本当に
よかった
☆☆☆
聖人の仰せには、「善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり。そのゆゑは、如来の御こころに善しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、善きをしりたるにてもあらめ、如来の悪しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、悪しさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはご
今日の日めくり歎異抄の言葉28
今日の日めくり歎異抄の言葉
私の都合で
「いい」
「悪い」
☆☆☆
聖人の仰せには、「善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり。そのゆゑは、如来の御こころに善しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、善きをしりたるにてもあらめ、如来の悪しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、悪しさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まこ
今日の日めくり歎異抄の言葉26
今日の日めくり歎異抄の言葉
何を
しでかすか
わからない
そんな私
さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし
(『歎異抄』第十三条)
☆☆☆
そのかみ邪見におちたるひとあつて、悪をつくりたるものをたすけんといふ願にてましませばとて、わざとこのみて悪をつくりて、往生の業とすべきよしをいひて、やうやうにあしざまなることのきこえ候ひしとき、御消息に、「薬あればとて、毒をこのむべから
今日の日めくり歎異抄の言葉25
今日の日めくり歎異抄の言葉
私の
はからいが
邪魔になる
こともある
念仏には無義をもつて義とす、不可称不可説不可思議のゆゑにと仰せ候ひき。
(『歎異抄』第十条)
CONCERNING the nembutsu, no working is true working. For it is beyond description, explanation, and comceptual un
今日の日めくり歎異抄の言葉24
今日の日めくり歎異抄の言葉
よろこぶ
べきことが
よろこべ
ない
念仏申し候へども、踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことをよろこばぬにて、いよいよ往生は
今日の日めくり歎異抄の言葉23
今日の日めくり歎異抄の言葉
真実からの
よびかけに
応えながら
この人生を
生きる
念仏は行者のために、非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば、非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば、非善といふ。ひとへに他力にして、自力をはなれたるゆゑに、行者のためには、非行・非善なりと云々。
(『歎異抄』第八条)
THE nembutsu, for its practicers
今日の日めくり歎異抄の言葉22
今日の日めくり歎異抄の言葉
さまたげが
さまたげで
なくなる人生
念仏者は無礙の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障礙(しょうげ)することなし。罪悪も業報(ごうほう)を感ずることあたはず、諸善もおよぶことなきゆゑなりと云々。
(『歎異抄』第七条)
THE nembutsu is the single path free of hindra
今日の日めくり歎異抄の言葉21
今日の日めくり歎異抄の言葉
向かい合う
ことも大切だが
ともに
同じ方向を向く
ことも大切
親鸞は弟子一人ももたず候ふ。
(『歎異抄』第六条)
☆☆☆
聖人が「親鸞は弟子一人ももたず」と仰せられたことは、覚如上人の『口伝鈔』第六条(『註釈版聖典』881頁)にも伝えられていまして、そこには次のようなエピソードが記されています。
常陸国の新堤(にいつづみ)に信楽房(しんぎょうぼう)という人
今日の日めくり歎異抄の言葉20
今日の日めくり歎異抄の言葉
大きないのちに
貫かれた
私たちのいのち
一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。
(『歎異抄』第五条)
☆☆☆
私がこの世に誕生したのは、父と母がいたからです。今の私にとって両親という二人の存在はかけがえのない大切なものになります。その両親からもう一世代さかのぼれば四人の祖父母がいます。さらにもう一世代をさかのぼれば八人になる。このようにして二十数
今日の日めくり歎異抄の言葉19
今日の日めくり歎異抄の言葉
「亡き人のため」
という思いは
「私がいかに生きるか」
という問いに
転換される
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。
(『歎異抄』第五条)
☆☆☆
親鸞聖人のご伝記によれば、ご両親との縁まことに薄い幼年期を過ごされたことが伝えられています。聖人の瞼の奥には、つねにご両親のお姿が去来し、思慕の情は人にもまして強かったことであ
今日の日めくり歎異抄の言葉18
今日の日めくり歎異抄の言葉
できるだけの
ことを
させて
いただこう
慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。
(『歎異抄』第四条)
☆☆☆
慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく衆生を利益するを