今日の日めくり歎異抄の言葉20
今日の日めくり歎異抄の言葉
大きないのちに
貫かれた
私たちのいのち
一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。
(『歎異抄』第五条)
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私がこの世に誕生したのは、父と母がいたからです。今の私にとって両親という二人の存在はかけがえのない大切なものになります。その両親からもう一世代さかのぼれば四人の祖父母がいます。さらにもう一世代をさかのぼれば八人になる。このようにして二十数代をさかのぼると一億人になります。二十数代さかのぼれば、単純に計算して一億人の自分の祖先、ルーツがいるということです。・・私から二十数代さかのぼると、およそ親鸞聖人のご在世の頃です。親鸞聖人がご在世の頃の日本には一億人もいなかったということを考えると、その時にいたすべての人が私に関係する命だということになります。
それは大切な命です。すべての命はつながっている。生きているすべての人は私のルーツなのです。そしてそれを逆さにすれば、今生きているすべての人々はみんな私とつながっている尊い命なのです。
『歎異抄のことば』玉木興慈師
第五条 85〜86頁
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有情(うじょう): 梵語サットヴァ(sattva)の漢訳。情(こころ)を有するもの。生きとし生けるものの意。旧約(くやく)では衆生(しゅじょう)、新訳では有情と漢訳する。
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有情とは、旧約では衆生と訳されていた「サットヴァ」を、新訳で「有情」と訳しかえたことばで、「心あるもの」「いのちあるもの」ということです。「いのち」あるすべてのものは、はてしなく遠い過去から、それぞれのなした行いの結果としてのさまざまな生存を限りなく続けてきたといわれています。それを輪廻転生とよんでいます。それは、まるで車輪が回転するように生と死とをくりかえしていくと考えられていたからです。こうしていくたびも世をかえ、生存をかえている世世(せせ)、生生(しょうじょう)のあいだには、お互いに、あるときは父となり母となり子となり、あるときは夫婦となりあったときもあるにちがいないというのです。こうした輪廻転生信仰に根ざした万物との深い親近感は、奈良時代にでた有名な行基の作という、
山鳥のほろほろと鳴く声きけば
父かとぞおもふ母かとぞおもふ
という古歌にみごとに表現されていました。人里はなれた山中で修行していた行基が、山鳥の声を、父の生まれかわりか、母の生まれかわりかと、深い想いをこめて聞きいっているありさまが心にひびいてきます。人はいうまでもなく、鳥にも、獣にも、さらに地をはう小さな虫にも、過去世においては、お互いに父であり母であり、兄弟であり、夫婦であったかと思いをはせるとき、鳥とも獣とも心を通わせ、虫とも共感しあうような深い「いのち」の世界が広がってゆきます。
輪廻転生という教説は、さまざまな要素が複合した宗教思想で、よほど注意深く味わねばなりませんが、その中にはここに述べられたような万物との一体感をともなった深い生命観が秘められていて、私たちに広く豊かな「いのち」の視野を開いてくれます。
聖典セミナー『歎異抄』梯 實圓師
「いのち」を見つめる視野 181〜182頁