☆『「与える愛」ではない「溢れる想い」だけが「自分」を超える道(タオ)になる愛の錬金術』とは!
質問・私は幼い頃から教会に通っている
クリスチャンです。
周囲の人達に愛を与える教えを学んできました。
大学もクリスチャンが多い学校で、特に違和感を
感じることもありませんでした。
しかし、卒業後に就職して社会人になって
からできた恋人や職場の人達は、私が何か役立つ
ことをしても一言のお礼もなく当たり前という
態度で接してきます。
それだけでなく、ドンドン要求がエスカレート
してきて、最近では雑用ばかり押し付けられます。
恋人も私をお手伝いさん扱いで、いくら与える
愛の教えを守ろうとしてももう耐えられません。
私はどうしたらいいでしょうか?
叡空・多くの人達は「与える愛」を素晴らしい
ことだと『思っている』。
恋人や周囲の人達に「いいことだから」、
「お世話になっているから」という
『「こうしなければならない」という※常識や考え』。
あるいは
『他人に何かを、与えることで
✡「自己重要感」自我が満足』する
★★★★★マインドのカラクリに気づくことなく。
だから
自分が恋人や周囲の人達に
✦✦✦✦✦『何かを与え「一言もお礼がないと」
※憤慨し、時に「怒り」すら出てくる』。
例えば、ボランティアを積極的に行っている
人達にそれを試すと、
『愛がハートに満ち溢れている✡「無我の行為」か、☆☆☆感謝を「自分に足りない愛」の隙間を埋める
歓びの代償にしている』行動なのか、
✦✦✦✦✦マインドの影がハッキリと観えてくるだろう。
☆☆☆☆☆『「意図的に感じる行為」は
意識存在を進化する』ワークとなる。
☆意識して鍛えた筋肉だけ成長が早いように。
多くの人達は『収入を得るために
「労働と仕事をしている」』。
労働とは『生活の糧を得ること「だけ」』
を目的としたもの。
だから
★★★★★行為に歓びを見いだせない。
これに対して
仕事は収入を得る『ことだけを目的に
したものではない』。
『※「自分の行動」に満足感を得ている』から。
ただ
仕事が✡『「自分の行為」の歓びにとどまる限り、
そこに★★★★★「自己承認を求めるマインド」が
静かに息を潜めて存在している』。
行為に代償を求める『愛☆「情」』のように。
「純化した想いから離れている」愛のギミック(模造品)として。
「はたらく」とは
☆☆☆☆☆『収入や他者承認によって
✧✧✧✧✧「自分の」重要感を確認することを
✡目的としない』行為。
『それ』は
大いなる存在(自然、宇宙、神様ほか)から
地球上に誕生した時から、
あなたの『アカシックレコード・魂に刻まれた
☆☆☆☆☆「使命であり天命」』。
だから
一切の『他人の評価が「気にならず」、
★「自分では」☆『なぜかわからないが』
『全身全霊で無我夢中になって打ち込んでいる
「行為」』となる。
『それ』は
『「結果的に」周囲、「傍」にいる
人達の、ハートを癒し、「楽」にし、役立つ行動』
となっている。
その時
あなたの『存在そのものがアート』となって、
魂が満たされ『与えることなく愛が
「満ち溢れている」』だろう。
やがて
あなたの光に引き寄せられたように恋がうまれ
「代償を求めることのない」愛の果実がハートに
実っている。
『独りでも2人でも変わらぬ光の存在』
愛の錬金術師・タオイストとして。
合掌
そのことは
私達の『「働くことの意味」を識る』
ことにも当てはまる。
☆☆☆『「働くとは「実は収入を得る
ことを目的としない」行為』。
☆☆☆☆☆愛が『感謝を目的とした行為
でない』ように。
あなたがもし相手に見返りを求めてい
るなら『それは※「愛のない自我投資』だ。
『「傍」を「楽」にする「ワーク」
と「仕事」、「労働」はそれぞれ異な
る行動』であることを、あなたは意識
しなさい。
すると
『無我の歓びとは何か』が心身で、
☆「意識的」に感じられてくるだろう。