【巨匠の晩年最高!論】黒澤明、ジャイアント馬場、志ん生、マイルス、ローリングストーンズ。
私はいまだ何歳になっても「次の試合」への準備を行っている。
やはりずっと「選手」をやってないと生きていけない体質、というものがある。
人生という競技の「現役選手」である。
この世界でたった一人でも、私に「期待」している方が居る限り私は現役選手で居続けたい、という願望を持っている。
その願望の元を辿って行くと、
「巨匠晩年最高!」という世界へとたどり着く。
私は20代前半の多摩地区のアートスクーラーの時、彼らのほとんどが御存命の時から「巨匠の晩年最高!論」を唱えていた。
私は1980年代の終わりからずっと、
ローリングストーンズ、黒澤明、ジャイアント馬場の熟成を敬愛し、若き「ニューウェーブ」からの攻撃から擁護してきた、私自身も若かったのに。
あれから年月を経たが、その感覚はより鋭敏になっている。
今のローリング ”黒人ドーピング” ストーンズは最高だし、
黒澤明の晩年の始まりの『どですかでん』は「裏黒澤」という画期的な概念を生み出した。
そして黒澤監督晩年の『夢』は改めてクレイジーな怪作で、
黒澤明という「アヴァンギャルド」芸術家の本質が晩年になって見事に現れたものになっている。
そして「御大」ジャイアント馬場の晩年の愛され方は、プロレスファンのリテラシーの高さの結晶であった。
もちろん、1972年とか1976年のピチピチ・ストーンズは今の12倍くらい動きとBPMが速い。
『七人の侍』は人類史上最高の芸術作品の一つであることは今更言うまでもない。
そして、ボボ・ブラジルやフリッツ・フォン・エリックと戦うジャイアント馬場は晩年の80倍くらい速い(2m超えの身体でドロップキック三連発とかやるのだから、NBA選手並みの身体能力である)。
そんな彼らが熟成を経て、BPMが下がり始めてから
新たな境地が顔を出し始める。
グルーヴがレイドバックし、ブルース・フィーリングが色濃く漂ってくる。
何というか、「旨味」と「コク」が出てくるのだ。
まるで当たり年のグレート・ヴィンテージ・ワインの様に。
そうして、彼らの人格そのものが極上の「芸」へと熟成されていく。
そうなるともう一人の「晩年巨人」、
古今亭志ん生の登場である。
「高座の上で落語の途中で寝た」が、
「そのままにしといてやれ!」
「いいもん見してもらったわ!」
と客に言わしめた大巨人だ。
つまり「居るだけ」で「芸」に成ったのである。
例えば中島敦の小説『名人伝』の如く、
弓を極めた名人は弓を手にしなくなった。
「不射之射(射らしずして射る)」である。
名人の家の上を鳥も避けて飛んだという。
そして、久しぶりに街に出かけた先で弓と矢を見かけて、
「これは何だ?」
と問うたそうだ。
その話が街中に広がり、
「画家は絵筆を隠かくし、楽人は瑟しつの絃げんを断ち、工匠こうしょうは規矩きくを手にするのを恥はじたということである」
となった。
まあ単にボケただけかもしれないが笑、
「ボケ」はある意味「名人化」の完成形とも言える。
キースがイントロ間違えたり、
16文キックして自分が倒れたり、
いかりや長介が無茶苦茶な特殊メイクで登場したり、
「極めた名人芸」の深みにハマった先には最高の愉楽が待っている。
それを味わうのが「プロの受け手」の仕事である。
立川談志師匠は古今亭志ん生師匠の
「へがビーッてなってヘビになっちゃった」
という下りを大絶賛していた。
ヘがビーッってなって、、、
「笑い」という世界の最高到達点であろう。
となるとさらにもう一人、
晩年のマイルス・デイビスも素晴らしかった。
若手ミュージシャンをかき集めてギンギンにGO-GOファンク演らせて、自分は時々ピッと吹いて、横のシンセをビヒャーって鳴らすだけ。
いや、アレが逆に流暢に吹きまくっていたら、クソダサいジャズ・フュージョンになっていた。
あの「間」、正にアレこそが「不吹之吹(吹かずして吹く)」であろう。
さて、そんな訳で
私もまだまだ道半ば、「名人」目指して日々精進している。
何の名人かは分からないが、
まあ、それすら忘れて「木鶏」のようになったら完成である。
完。