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2017年11月の記事一覧
家族全員がうまく行ってる人なんかいない
外国から一時帰国中の友人と話した。なんだか暗い顔をしている。どうしたのかと聞くと彼は「30歳を過ぎると突然家族の問題が降り掛かってくるんだ」と言った。
「普通の人が歩んでる人生、つまり25ぐらいで結婚して、30ぐらいで子どもができて...みたいな年齢って理由があるんだと思う。20代の頃は考えることは自分のことだけでよかった。可能性しか無いって感じだった。それが30代になった途端に、突然家族に問題
生き辛さものの話が苦手だ
生き辛さもののお話が苦手だ。
こういうの↓
抑圧されてる子、でもそんなこと気にせずに周りの期待に応えてきた。しかし、抑圧に気づいてしまった。自己主張。そして突然外される階段。予想外の仕打ち。思いがけない転落。からのさらに芽生える自我。うまく言っていたはずの周囲との軋轢。
いやーな感じの共有。
オチは破滅からの小さく一歩前進。みんな幸せに暮らしましたとさにはなれない世界。
少し前までだったら
学びは思い込みからはじまる
デンマーク語の学習をはじめてみた。こうやって外国語を学び始めると、当たり前に使っている日本語が不思議に見えてくる。
今井むつみ『学びとは何か ––––––〈探究人〉になるために』によると、私たちの言葉の学びは「思い込み」からはじまる。
「どうやらこういうルールの中で使うらしい」と推測して、実践してみながら言語を体得していく。
「思い込み」というと、どうしても悪いイメージを抱きがち
「言い訳」が芸術を作った
人は言い訳するとき小説家になる。遅刻したのは親族が突然死したせいだったり、おもわぬ事故に巻き込まれたり、電車が謎の遅延を繰り返したり。
実際に小説っぽい形をとることもある。古代ギリシアの名作『オデュッセイア』は言い訳で作られたという説を小説家の塩野七生が唱えている。
英雄オデュッセウスがトロイア戦争で遠征した後に、故郷に帰るまでに様々な化け物や苦難にあって10年以上も妻の元に帰れなかったという
「叶った夢」と「夢じゃなかった夢」と
はあちゅうさんが書いていたこちらの記事を読んで、深く共感しました。
小さな幸せをたくさん持っていたほうがいいし、それを記録すると評価しやすいからなお良い。
そういう趣旨だと思うのですが、私はこの中の「叶った夢」「他人に流されて夢じゃなかったこと」の話題に共感しました。
叶った夢への評価叶った夢って案外忘れがちなんですよ。
夢そのものが、というより「叶ったことへの評価」を忘れてしまう。
私で言え
私の価値は、上がったり下がったりしない。
「すごいね」と言われることに、嬉しさより恐怖を感じるようになったのはいつからだろう。
人一倍「期待に応えなければ」という気持ちが強い私は、「すごいね」と言われるたびにその裏にある次への期待を敏感に感じてしまって、勝手に怖くなってしまう。
いつか、人の期待に自分の能力が追いつけなくなる日がくる。
特に独立してからはずっと、その恐怖と闘っている。
それはきっと自分の能力が短期的にそう大きく変わら
人は「編集力」に対して対価を支払うのだということを理解しよう
客観的な事実がそこにあって、複数の客観的な事実を組み合わせることにより、何らかの社会的な意味を見出すわけです。独立した単一の事実だけを切り取っても、そこに意味を与えることはできません。
「事実」と「評価」は、明確に分けましょう。まずは事実をしっかりと整理しないことには、議論の前提を欠くことになってしまい、先に進みません。訴訟において書面により主張を準備する場合にも「事実」と「評価」は分けて論じる
「分かってない」ことを分かるには
私は、自分が何かについて「ちゃんと分かってない」ために、その課題を軽視してしまったり、間違った課題設定をしてしまうことが、少なからずあります。その時は最善の判断をしたつもりでも、後から振り返ると「何やってたのか?」とがっかりするようなことが。
そのことを、モンティー・パイソンのジョン・クリーズが、1分間で、すばらしく皮肉っぽく説明してくれています。
抜粋に荒い訳をつけました。
The pro