「叶った夢」と「夢じゃなかった夢」と
はあちゅうさんが書いていたこちらの記事を読んで、深く共感しました。
小さな幸せをたくさん持っていたほうがいいし、それを記録すると評価しやすいからなお良い。
そういう趣旨だと思うのですが、私はこの中の「叶った夢」「他人に流されて夢じゃなかったこと」の話題に共感しました。
叶った夢への評価
叶った夢って案外忘れがちなんですよ。
夢そのものが、というより「叶ったことへの評価」を忘れてしまう。
私で言えば、叶ったことは、
・結婚すること
・子供を二人以上持つこと
・家を持つこと
です。
「小学生の将来の夢かよ!」と言いたくなるようなことだけど、本当のことなので仕方がないです。
婚活パーティーに100回参加してやっとの思いで相手を見つけましたとか
10年の遠距離恋愛を経てついに結婚とか
なんかこう、努力に努力を重ねて手に入れたものなら、「夢が叶った」と思いやすいのかな。私も出会い方は割と強烈なのですが、そのあとは普通にお付き合いを数年いて結婚という流れなので、あまり努力に努力を重ねた感はないんです。
子供も同じです。
ただ二人目の子供はなかなか授からなくて治療したので、がんばった〜という感じはあります。念願叶ってという言葉がしっくりくる。
家もそうですね。
まぁ今もなおローンを支払っていますから、努力に努力を重ねるというより、苦労に苦労を重ねると言ったほうがいいのかもしれない(笑)
ただ手に入れるまでに苦労して〜というのはあまり実感がないんです。
だから、人って自分にとっての夢であったとしても、努力に努力を重ねて〜というプロセスがないと「叶った」実感を感じにくいものなのかもしれませんね。
夢じゃなかった夢
はあちゅうさんはこんな風に形容していました。
自分の人生にとってそんなに必要ではないことを、周りの人の影響で必要だと思っていたり、それが手に入らないことでフラストレーションを貯めてしまうということもありえます。
はあちゅうさんコラム「やりたいことを貯めておく」より
つまりこれって他人に流されていただけで、「夢じゃなかった夢」とも言えますよね。
これも経験があるんですよ。
私の場合3人目がまさにこれでした。
うちには子供が2人います。
気持ち的にもう1人ほしいなーって思っている時期がありました。
きっかけは親しいママ友の相次ぐ3人目妊娠ラッシュでした。
うちは子供2人とも男子なので、夫が女の子を希望していることも知っていました。あとは私の年齢ですね。その時33〜34くらいだったから。
産むなら今だなと。
でもね、この上記の理由だけ見てもわかるように、それってただの「3人目がいてもいい要因」であって、私が「3人目の子供がほしい理由」ではないんです。周りに流されていただけ。
これもね、少し時間が経って冷静に振り返ることができました。
結果が小さくても、努力が伴ったかどうかとか関係なくても、今自分の身の回りにある幸せはこうして時々評価してあげたいですね。
夢じゃなかった夢ももちろん評価したい。なぜ夢と勘違いしたのか?これをきちんと分析することって大事だと思うんです。
そうやって今ある夢の集まりが幸せだという気持ちに繋がり、また次の夢へと繋がる原動力になるんじゃないかな。そんな風に思います。
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浜田 綾(コトバノ):ライター
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