スクリーンショット_2017-11-29_17.45.38

生き辛さものの話が苦手だ

生き辛さもののお話が苦手だ。

こういうの↓
抑圧されてる子、でもそんなこと気にせずに周りの期待に応えてきた。しかし、抑圧に気づいてしまった。自己主張。そして突然外される階段。予想外の仕打ち。思いがけない転落。からのさらに芽生える自我。うまく言っていたはずの周囲との軋轢。

いやーな感じの共有。

オチは破滅からの小さく一歩前進。みんな幸せに暮らしましたとさにはなれない世界。

少し前までだったら、(少し前80年代?90年代?0年代?)SFの設定で表現されてきたような物語だなと思う。ビューティフルドリーマーの夢の中で、同じことを楽しく繰り返しているのに、段々と荒れていく楽園だったはずの場所。

年齢を重ねるとおじさん・おばさんになり物語の外へ。虎屋の面々的なポジションへ。「最近どうなの、とらちゃん?」と男は辛いよで問いかけるあれだ。

しかし、うまくおじさん・おばさん化の波に乗れなかった人は「クソジジイ・クソババア」と呼ばれ、抑圧する側の役割を与えられます。あ、でも状況によって両方を行ったりきたりするのか。

クソジジババ族の決め言葉は「そんなつもりじゃなかった」「悪気はなかった」(クソジジイって基本書くことないけど、嫌な言葉ですね。誰だっていつかジジイ・ババアになる。クソかクソで無いか自分で決めたいですね)

自分にとっての良い物語が、他の誰かを傷つけていることに気付けるか、気づけないか。そこに至る想像力が鍵となるわけで。でも、それには経験とか知識とかも必要だし。広く世界を見るには忙しすぎるんだよなーとも思う。

全ての人が傷つかないなんてことはものすごく難しく。私だって、単純でわかりやすい答え・物語を求めていたりする。(イタリアだってもちろん同じ。こっちの方が、キャラクラー属性への抑圧は強いかも。男・女・とか) 

結局のところ、「真面目で素直な子が一番」というのが、「素直=人の言う事に従う」となっているのに気づかずにすくすく育ったことの不幸なんだろうか。だから、良い子であった分だけ余計にしんどくなるという。

あと、真面目にやれ!って言われて育ったのに、大きくなったら「真面目すぎ」と逆に悪いことみたいなの。なんなんだろう。

時と場合によってとか、状況をみてとか、空気を読んでとか、そういうの。自分のことをよりを優先しないと幸せになりにくいってことなんだろうな。

https://youtu.be/qmPITINRiDk

Twitterもフォローしてください!https://twitter.com/shinoburun