私の価値は、上がったり下がったりしない。
「すごいね」と言われることに、嬉しさより恐怖を感じるようになったのはいつからだろう。
人一倍「期待に応えなければ」という気持ちが強い私は、「すごいね」と言われるたびにその裏にある次への期待を敏感に感じてしまって、勝手に怖くなってしまう。
いつか、人の期待に自分の能力が追いつけなくなる日がくる。
特に独立してからはずっと、その恐怖と闘っている。
それはきっと自分の能力が短期的にそう大きく変わらないと思っているからで、短期的に大きく環境が変わるのは、自分の成長ではなく期待が期待を呼んでいるだけにすぎない。
人はそれを、 "バブル"と呼ぶ。
上がった相場も、いつか下る時があるし、下った相場も、いつかは上がる時があるものさ。
その上がり下がりの時間も、長くて十年はかからないよ。
(中略)
その上がり下がり十年間の辛抱ができる人は、すなはち大豪傑だ。
(「氷川清話」勝海舟)
人気や賞賛なんてものは、あっというまに消えてなくなる泡沫のようなものだと思う。
この先、まだ数十年は続くであろう人生の中で、何度も相場の上がり下がりを経験することになると思う。
ただ、相場という「他人からの評価」がどう変化しようとも、私はそれを自分の価値とは分けて考えていきたい。
いいときも、悪いときも、どちらも。
相場が上がり調子のときには、協力してくれる人が多い分「できること」の幅が増えるけれど、センスや思考能力、哲学や信念といった自分の本質的価値は、そう簡単に増減するものではない。
だからこそ、いいときに驕らず、悪いときに腐らず、ただ淡々と自分の行きたい方向を見つめ、価値を高めていきたいと思う。
そうすることでしか、私たちは本当の意味で決断することができないだろうから。
ギリギリの決断をするとき、「人が評価してくれている自分」を信用することと、「自分自身というもの」を信用することは、似て非なるものだ。
誰も自分を支持してくれなくなったとき、それでも立ち上がるためには絶対に自分自身への肯定感が必要になる。
だからこそ、自分の価値を測る物差しを、他人に委ねてはいけない、と思うのだ。
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「時勢は、人を造るものだ。」
と、勝海舟は言った。
自分自身が追いつけないほどの嵐の中で、必死にしがみついて最後まで立っていられるか。
まさに今、自分という人間が試され、つくられている真っ最中なのだと感じながら、1日1日を無我夢中で生きている。
自分自身の本質的な成長は、評価に応えているうちにゆっくりと追いついてくる。
そう信じて今日も走る。
焦らず、驕らず、おもねらず。
「今」という点ではなく、もっと長い目で自分の価値を高めるためには、自分自身への評価には波を作らないことが重要なのかもしれない。
独立してからの日々を振り返る余裕すらない日常の中で、そんなことを考えた1日だった。
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(Photo by tomoko morishige)
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