noriko.s

一日一日が愛おしい。地球上に息づく生命が愛おしい。 だから自分の思いを形にしておきたいと少しずつ書いていきます。

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一日一日が愛おしい。地球上に息づく生命が愛おしい。 だから自分の思いを形にしておきたいと少しずつ書いていきます。

マガジン

  • 夫と私

    フランス人夫とのごく普通な日々

  • 思い

    心に浮かんだ思いを書き記しています。

最近の記事

すぐそこにいるのに 手を伸ばせば届く距離にいるのに 遠い 遠い 遠いんだ 君の身体はあるのに 手を伸ばしても君の心の中に 届かない 届かないんだ 持て余すほど膨らんだ想いを どうしていいかわからないまま 何も言わずに佇んだまま 君の姿を目で追い続け 時間だけが通り過ぎていく

    • 個人の問題

      夫がフランス人と言うと、よく言われるのが「ロマンチックなんでしょう」とか「愛してるとかいつも言ってくれるんだよね」など。フランス人は愛に生きているとかという幻想のもとに、想像を膨らませてくれる。「いえ、そんなことないよ。愛してるとか言わないよ」と返すと、「すっかり日本に染まってるのね〜」と返される。どちらにしても「国際結婚」という言葉に視界が曇っている。 愛情表現は社会文化によって多様だ。昭和の日本なら、街でいちゃいちゃしていると眉を顰められたり、年配の人が手を繋いで歩いて

      • 一人で堂々巡りしてみる

        自分が必要とされているのか。いつもそれが気になっている。 究極は自分が自分を必要としているのだから、だれに必要とされようが、自分の中で完結できればいいのだろうと考える。ただ、そんなふうな思考になれなくて困っている。 仕事に行き、私にはそれができると思うのだが、契約の問題とか時間的な問題とか諸事情により私にまわってくることはない。もしかしたら、自分が思うよりもっと私は仕事ができないのかと悩む。でも、いろんなことを総合して考えると、そうでもないような気がする。でもそう思ってい

        • パレスチナを考え(てみ)る

           『現代思想』の特集『パレスチナから問う』を読んでみる。とても興味深い内容なのだが、情報量が多すぎて四苦八苦している。でも、この問題を語るには、それなりの知識が必要だと感じる。簡単に意見してはいけないような、非常に複雑な問題ではないだろうかと思い、ページをめくる。  ユダヤ人といえば、第二次世界大戦のときのナチによるホロコーストの犠牲者のイメージが浮かぶ。子供の頃「アンネの日記」を読み、幼く亡くなったアンネに涙した。仕事でシドニーのユダヤ博物館を何度も訪れたが、そこで語られ

        • すぐそこにいるのに 手を伸ばせば届く距離にいるのに 遠い 遠い 遠いんだ 君の身体はあるのに 手を伸ばしても君の心の中に 届かない 届かないんだ 持て余すほど膨らんだ想いを どうしていいかわからないまま 何も言わずに佇んだまま 君の姿を目で追い続け 時間だけが通り過ぎていく

        • 個人の問題

        • 一人で堂々巡りしてみる

        • パレスチナを考え(てみ)る

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        • 夫と私
          4本
        • 思い
          4本

        記事

          世界がグラグラしている 足元がグラグラしている どこに行けばいいのか、どこに行けば心が休まるのか 世界がグラグラしている 足元がグラグラしている 何を信じればいいのか、何を信じれば心が休まるのか だれもが揺れている あちらこちらが揺れている 心が揺れている 一歩が踏み出せない

          世界がグラグラしている 足元がグラグラしている どこに行けばいいのか、どこに行けば心が休まるのか 世界がグラグラしている 足元がグラグラしている 何を信じればいいのか、何を信じれば心が休まるのか だれもが揺れている あちらこちらが揺れている 心が揺れている 一歩が踏み出せない

          折り合いをつける

          「妥協する」ということが嫌な若者が増えているというのをどこかで読んだ。デジタル大辞典によると、「対立した事柄について、双方が譲り合って一致点を見いだし、おだやかに解決すること」らしい。双方が譲り合って一致点を見いだすはずなのに、譲ることが負けた感覚になるそうだ。 同じような言い方で「折り合いをつける」という表現もある。実用日本語表現辞典の意味は「交渉において、互いにある程度譲り合って双方が納得できる妥協点を定めること。互いに意見や立場が対立しないポイントを見出すこと」。譲り

          折り合いをつける

          「あたりまえ」を疑う

          私たちは自分の暮らしている社会や日常を「あたりまえ」と捉えがちだ。他を知らなければ、もちろん自分の目の前にある、自分が知っていることがすべてで、それが「あたりまえ」と感じる。 でも、「あたりまえ」ってなんだろう。朝起きて、仕事に行って、たまに友達と夜の街に繰り出すかもしれないが、仕事が終われば家に帰って夜を過ごし、次の朝を迎える。手元にはスマホがあり、いろんな情報が常に流されていて、それに踊らされないようにと、やはりスマホから得たおすすめの自分を高めるための本などをスマホで

          「あたりまえ」を疑う

          合言葉は「まあ、いっか」

          昨日また一つ年をとった。この間まで増え続ける数字を老いの象徴と感じて、自分の命が確実に死に向かっていることに、かなり凹んでいたが、昨日はなんだか少し違った。数字は数字だとなんとなく腑に落ちた感があって、「まあ、いっか」という思いが広がった。 「まあ、いっか」の感覚は私にとって重要だ。昔夫がかなりの鬱で、どうにもならない閉塞感が漂っていた中でも、朝目が覚めると「まあ、いっか」と思えて心が軽くなっていた。自分が更年期と子供の問題で鬱の方向にベクトルが向いていたとき、その感覚は私

          合言葉は「まあ、いっか」

          感覚の話 その2

           子供の頃は直感って大事と思っていた。なのに、ちょっと知識がついてくると、言語化して説明できることのほうを選びがちになり、自分の感覚に耳を傾けなくなってきた。たくさん言葉を知っていて、言葉を駆使して説明できるようになることで、自分が高められるような気になっていた。  自分の感覚に耳を傾けるようになったのは、合気道がきっかけかもしれない。40を過ぎて始めた合気道は、私の身体と心に新しい刺激を送り込んだ。言葉で理解できるから、言われたことは納得できるし、技をかけるときも手順を理

          感覚の話 その2

          感覚の話

           直感とか第六感ってばかにならない。  地球上に今存在する人間の数は膨大で、SNSで遠く離れた人とも繋がれるようになったとはいえ、ほとんどの人に出会うこともないだろうし、私の人生と交わることはないだろう。そんな中で出会う人たち、一瞬でも交わる人たちというのは特別な存在だ。  特別だからすべてがいいわけではない。そのすべての出会いや交わりが、私の人生を彩り豊かに光輝く素晴らしいものにしてくれるわけではない。中にはまさに崖から突き落とされるような経験をもたらす人もいるわけで、

          会社、職業、生き方

           将来どんな仕事がしたいかという質問を大学生に投げかけてみた。ぼんやりでもやりたいことがあると答えたのは30人中たった2人。あとは明確な何かはなく、とりあえず就職できればいいという感じの反応だった。  友人から会社、職業、生き方についての話を聞いた。今多くの人がどの会社に入りたいかと考え、就職する。就職すると会社で仕事(職)を教えてもらう。そして会社で仕事をしている中で部署が変わったり、転勤したりし、それによって生き方が決まったり、変化したりする。でも、その生き方は本当に望

          会社、職業、生き方

          届かない

          言葉を尽くして語り合いたい 届けたい思いは 届けたい人にはなぜだかうまく届かない 届けようともがけばもがくほど 言葉はどこかで抜け落ちていく 私の中にあった思いは 言葉になって私の中から出た瞬間に変わってしまう 確かに私の中にあったものなのに 明らかに私の中にあったものではない 心が揺れる 心がもがく 心が叫ぶ 思いがほとばしる でも受けとめられない 言葉は宙に浮き 行き場をなくして戸惑っている そこに見えている人なのに 存在していないようだ 尽くしきれない言葉が泣いて

          届かない

          子供のときの体験は尾を引く

          人間関係というものにとてつもなく苦手意識がある。理由は理解しているつもりだ。親子関係に根ざすもの、そして子供の頃の友人関係の失敗体験だ。 親子関係は母との関係が大きい。私自身は一人っ子なので、兄弟姉妹で比較されることはなかったわけだが、常に他の誰かの素晴らしさを口にしていた母だった。悪気はない。何十年も親子をしていると、悪気がなく言っていたとことはよくわかる。しかし、いつも誰かと自分を比較し、自分はまだまだだと考え、上に上に、一番になりたいと考える癖が染み付いてしまった。

          子供のときの体験は尾を引く

          頭の中の迷路

          世の中が騒がしい。ニュースを見れば、一目瞭然で、心が波立たせるようなことがこれでもかというくらい思考の中に侵入してくる。  自分をそんな世の中のさまざまなことから遮断して、心安らかに自分を保ちながら生きたいと思うが、そうは問屋が卸さない。もともといろんなこと、他人事が気になってしまう質だ。気持ちが巻き込まれてしまうのはいとも簡単だ。  特に時間ができるとよくない。時間の有効活用ができない。昔から空想の世界に浸ることが多く、考えることに慣れているようだ。人間というのは、つく

          頭の中の迷路

          暑い

          フランスへの里帰りという名のバカンスが終わった。「暑い日本を脱出し、フランスで避暑」が理想なのだが、現実はそうそう理想通りには運ばない。暑い日本を脱出し、フランスで酷暑を経験がこの夏だった。 特に旅の後半、義母の住む、ボルドーから東に位置するロット川沿いの街と義姉家族の住むリヨンでの2週間ほどは暑さとの戦いだった。日本の暑さは湿気を伴い、この湿度に苦しむわけだが、乾燥したフランスの酷暑もかなりのものだ。この暑さをどう形容すればいいかと考えたのだが、それは雲ひとつない青い空の

          「精霊の木」

          表題は作家、上橋菜穂子さんのデビュー作のタイトルだ。デビュー作はぜひ読まないと上橋菜穂子ファンの名が廃ると、夏の旅のお供にと購入した。上橋さんの本は児童文学のくくりになっていることもあり、文体がわかりやすく、いつも本当にすらすら読めてしまう。そして読者をぐいぐいと引き込む物語の展開に本を置くことができない。結局2日で最後の「あとがき」「解説」まで読み切ってしまった。 「精霊の木」は、「守り人」シリーズなどで描かれるファンタジーにちょっとしたSFの味付けを加えた印象だ。近未来

          「精霊の木」