感覚の話
直感とか第六感ってばかにならない。
地球上に今存在する人間の数は膨大で、SNSで遠く離れた人とも繋がれるようになったとはいえ、ほとんどの人に出会うこともないだろうし、私の人生と交わることはないだろう。そんな中で出会う人たち、一瞬でも交わる人たちというのは特別な存在だ。
特別だからすべてがいいわけではない。そのすべての出会いや交わりが、私の人生を彩り豊かに光輝く素晴らしいものにしてくれるわけではない。中にはまさに崖から突き落とされるような経験をもたらす人もいるわけで、それすべてが経験で、その経験を糧に自分と自分の人生を作り上げていくわけだから、そういう人の存在に意味がないわけではない。
それでも、心を無駄に波立たせる人が存在する。そんな人との出会いを振り返ってみると、やっぱり最初の瞬間に違和感を感じている。心のどこかで警告灯が点灯しているのに、そんな一瞬で人を判断すべきじゃないと理性が私を諭す。そしてその人のいい面を探し、居心地のいい着地点みたいなものを探す。あきらめの悪い私は、何度も目の端に点灯した警告灯が見えるのにも関わらず、繰り返し、その人を自分からよく見える人物像に描き変えようとする。何度も色を塗り直すから、どんどん分厚くなる絵の具はやがてひび割れ、違和感を抱かせた元の姿が隙間から見えてくる。そして、ある時絵の具はすべて剥がれ落ち、最初の出会いの違和感にもどるのだ。
そして思う。直感って当たるよねって。あの時のあの違和感はうそじゃなかったんだ、と。私の心は見抜いていて、ずっと前から警告を発していたんだ。決してその人が悪いというわけではない。ただ、「私の」人ではなかったんだ。
いろんな情報が飛び交い、生きていく中でそれなりに経験と知識が豊富になって、小手先でどうにかなることもある中で、一番大切な自分の心に素直になることを忘れてしまったのかもしれない。磁石のS極とN極のようにぴったり、しっくりいく関係もあれば、S極とS極、N極とN極のように、決してしっくりこない関係がある。頭でっかちになるのではなく、身体と心の感覚をもっと動物的に信じてもいいんじゃないだろうか。
という、直感や第六感ってばかにならないと思った話。