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暑い

フランスへの里帰りという名のバカンスが終わった。「暑い日本を脱出し、フランスで避暑」が理想なのだが、現実はそうそう理想通りには運ばない。暑い日本を脱出し、フランスで酷暑を経験がこの夏だった。

特に旅の後半、義母の住む、ボルドーから東に位置するロット川沿いの街と義姉家族の住むリヨンでの2週間ほどは暑さとの戦いだった。日本の暑さは湿気を伴い、この湿度に苦しむわけだが、乾燥したフランスの酷暑もかなりのものだ。この暑さをどう形容すればいいかと考えたのだが、それは雲ひとつない青い空の高気圧がその圧を太陽の光と熱で上からぐっと押しつけているような感じと言えようか。とにかく息をするのが苦しい感じがする100%の陽気さが迫ってくるのだ。

日中は40度近く上がる日もあり、外にいること自体が危険。日本のようにエアコンが普及していないこともあり、雨戸と窓を閉め、太陽の光と熱を遮断して暗い中で夕方を待つという日々が続いた。エアコンが一般家庭でそこまで普及していないということは、もともとエアコンを必要としない気候だったということだ。それが、近年の気温の上昇でエアコンなしでは間に合わないようなところも出てきているらしい。日差しと熱気を避け、家に閉じこもる人間は哀れとしか言いようがない。


しかし、それよりも哀れなのは、その熱気の中に存在する植物たちだ。義姉に気温の上昇、温暖化を肌で感じるかと尋ねたら、自分の身体的にはそこまで感じないが、庭に植えている木々を見るとよくわかると言われた。確かに暑さでやられて枯れてしまった木や葉の色が変わってしまったものなどが目についた。

人類は科学の発展という大いなる技術を駆使し、自分たちの快適さを求め、環境を変えてしまうことができるようになってしまった。その影響は、今の地球を見ていると歴然だ。そして、人間以外の動植物はそういった技を持たない。ゆえに、与えられた環境でどうにか生きていかなければならない。進化は長い年月をかけて実現されているが、今生物が直面している変化はとてつもなく短いスパンで急激に起こっているものだ。そんなに簡単に適応できるものではない。無理やり適応できるようなった人類も、そう見えるだけかもしれない。環境という土台が崩れた時、人類の未来も崩れてしまう。

9月に入ってもまだ暑い。地球が燃えている。私たちの選択が導き出す将来はなんだろう?

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