頭の中の迷路
世の中が騒がしい。ニュースを見れば、一目瞭然で、心が波立たせるようなことがこれでもかというくらい思考の中に侵入してくる。
自分をそんな世の中のさまざまなことから遮断して、心安らかに自分を保ちながら生きたいと思うが、そうは問屋が卸さない。もともといろんなこと、他人事が気になってしまう質だ。気持ちが巻き込まれてしまうのはいとも簡単だ。
特に時間ができるとよくない。時間の有効活用ができない。昔から空想の世界に浸ることが多く、考えることに慣れているようだ。人間というのは、つくづく慣れ親しんだことが好きなんだと思う。新たなことを始めるよりも、1人で考え事をするという選択肢が一番簡単で、心地いい。一つ違うのは、子供の頃の空想の世界では、主人公の自分は結構いい体験をしていた。自分の都合のいいように書き換えられた世界で、とてもいい気分になっていた。現実で嫌なことがあると、そこに逃げ込むことができた。今思えば、そこでデトックスしていたのかも。
今はそうはいかない。考えるとネガティブ迷路に入ってしまう。空想の世界はカラフルな光輝いた場所ではなく、モノクロの薄暗い世界に変わりがちだ。自分勝手に始めた物語は、どこかに経験を積んだ現実の私がいて、そんなにことは簡単にいかないよと呟き、どんどんと物語を書き換えていく。思考は悪い方に悪い方に巻き込まれていき、心は不安と心配で爆発しそうになる。
ここで「理性」という秘密兵器を投入して、「起こってもいないことを憂いてはいけない」と現実に自分を連れ戻して落ち着かせる。経験がないっていうのは、ある意味いいのかもしれない。なんでもありと心から言える。空想の翼を心置きなく広げ、羽ばたかせていた。
そんなことを考えていると、ちょっと自分が悲しくなってきた。空を見よう。晴れ渡った空。太陽の光を浴びるって幸せだ。空想の世界への道筋をちょっと変えてみることが必要なようだ。まず、騒がしいニュースから一歩距離を取ってみよう。現実と非現実−その二つのバランスをとろうとするところから始めてみようか。