暗く湿った空気を肺一杯に吸ったら、私はもう一度布団に潜り込んだ。朝から雨だなんて、憂鬱になれと言っているようなものだし、そうでなくとも私は日々憂鬱だ。いっそのこと全部わからなくなるくらいに壊れてしまいたいと、絶望さえさせる空気のにおいに比べたら、自分のにおいが染みついた布団はやさしい。死ぬならこの布団にくるまれて死にたいな。そうだ、じゃあそう遺書に書いておかなければ。紙はあったかな。軽率な遺書を作成したら、今日は適当に寝ておこう。飯すら食べる権利も私には与えられない。飯はど
谷野恭平からメッセージの返信が来たのは、友人が勝手に私のスマートフォンを使ってメッセージを送ってから、二週間後だった。 『お久しぶりです、勝手にフォローしてしまってすみません。迷惑でしたらやめます』 その文面に、かつての谷野恭平のおどおどした様子が蘇った。谷野恭平は、女子相手にはいつも敬語で、話しかけられるとあ、とか、うう、とか何度も漏らしてから、やっとのことで小さい声で返事をした。きっとこの文面も、何度も何度も考えて、二週間経ってやっと送信できたのだろう。 友人が勝手
世界から遮断された、こんな小さな私でも、誰かの夜を思うことができるし、いつかの記憶を愛することができる。果てしなく暗い足元につまずきそうになっても、花瓶に挿したたった一輪の花が枯れそうになっても、そんなのとはまた別に、慈しむことができる。ひとりは寂しい、人間は孤独と闘い続け生きてゆくものだし、寂しいと認めてどこかの誰かを羨むものだ。私だって隣に誰かいて欲しい。それが叶わないから、夢を見るのです。酒に溺れて夜に紛れて、手を伸ばしたって届かないものを、切実に求め続けるのです。寒
この界隈では有名なのだというラーメン屋に行った。長らく住んだ街だが、あまり外食をして来ず、数年経って初めて足を踏み入れた。平日の昼間、タイミングよく待ちはなし。食券を買い席に着くと、カウンターのみの狭い店内は男性で満席で、麺を啜る音だけが響いている。食券を渡し待つ間に、隣の男性のラーメンが到着する。「おぉ」とその見た目に感嘆の声をあげ、いそいそと写真を撮るのを、横目で眺める。それは券売機のメニューにはないまぜそばで、所謂裏メニューというやつなのだろう。写真を撮り終えたら一口
痛む後頭部を抑えながら、何も言えずに布団にくるまると、裕也がどこかへ出かける物音が聞こえた。しんと静まり返った部屋で、悔しさに震えた。目を瞑ったって、眠れる訳がなくて、仕方なく布団から抜け出し、キッチンで裕也がたまに飲むウイスキーをちょびちょび舐めた。私は、シンクに捨てた煮魚を眺めながら、少しだけ泣いた。 次の日の朝、いつもより少しだけ早く目が覚めて、少しだけ酔いの残った頭で昨夜のことを思い出した。シンクはまだそのままだし、ウイスキーで酔っぱらって、歯も磨かずに寝てし
終わりは否応なしに寂しいものだけど、その終わりを終わりのままにしておくのもまた美学である。ひとは味わい尽くして味がしなくなるまで分からないものであるし、そこまで行ってしまえば美しさのへったくれもない、なんと醜く貪欲なものかと思う。 私もやはり最後はきらいなので、味のしそうな思い出は反芻したいと思う、久しぶりのひとの連絡を入れると、思った以上に好意的な返事が来たりして、それも我に返ってぞっとする。終わりからさらに続編が紡がれることなんてあってはならない。もう読者も作者もこり
正常であるということを考えたときに、流行り病のように浸食しているものを感じずにはいられない、例えばコース料理のデザートみたいに、そこで提供されるラズベリーみたいに。そうしてそれは口の中でいやな酸味を撒き散らして、私は心の底から中指を立てる。窓の外では強い風が吹いて、窓枠にすべての夜景を閉じ込めたくて、それが叶わなくて私は世界の狭さを知る、世の中とは基本的に分かり合えないもので、遠くの灯りにしみじみと絶望をする。そんな違和感はいつだって次第に大きさを増して、私を取り返しのつか
今日の私は、ぼけっと過ごしているなぁと自覚があった。今日も事務所は平和で、たまに電話が鳴る以外は、私は最近退職した営業さんの名刺のストックをシュレッダーにかけたり、取引先の名刺をスキャンしてデータに取り込んだりといった雑務で時間を潰していた。次の束に手をかけて、ふと左手に目がいった。この薬指に、指輪をはめる日がくるのか、そう思うとどこかくすぐったいような感じ、私も女なのだなぁという気恥ずかしさがこみあげた。 急いで帰り、少しだけ凝った夕食を作った。裕也は帰りが遅いから、私
世界がどれだけ私を理解してくれるかと言うと、そこまで理解をしてくれるものではないし、自分のやりたいように振舞っていると、わりかし嫌われるものだ。刹那の快楽を求めるのもひとつの生き方だし、マジョリティからはみ出た者を嫌うのも生き方で、いいも悪いもないと思う。だけど、私はたびたびわからなくなるし転びそうになる。それは、私がマジョリティの中にいると批判を受けるからで、だって、大人だからと感情を抑えて仕事に励むことが正義なんて理解ができない、だったらロボットにでもなってろよと思うし
私は今は事務のバイトをしていて、時給は安いがその分仕事も簡単だった。小さい事務所で備品の管理とか、電話の取次とか、誰でもできる簡単なことばかりしていた。事務所は男性社員が多く、明るく振舞っているだけで褒められたりした。居心地は悪くなかった。 その日は裕也が早上がりの日なので、珍しく待ち合わせて食事をすることになっていた。裕也は基本的なシフトが通しか遅番なので、なかなか時間が合うことはないし、土日休みの私とシフト制の裕也では休みすらなかなか合わなかった。だから、たまにこうい
「ふうん。あ、煙草買ってきてくれた?」 「煙草?」 そんなことは聞いていない、はずだったが、二十分前にスマートフォンに裕也からのメッセージが届いていた。気づかなかった。 「なに、買ってきてないの?まじかよ」 裕也はそう言うと舌打ちをしたので、私はごめんごめん、と反射的に謝った。 「ぜんぜん見てなかった。もうなくなりそう?今から買って来ようか」 私がそう言って立ち上がると、裕也は「ついでにいつものポテチも買ってきて」とテレビから視線をそらさずに言った。わかった、裕也の表情
コロッケとは不思議な物体、と思う。おかずのような顔をしているが、その実ただの芋の塊である。芋を潰して、パン粉をつけて、油で揚げる。そのパン粉だって、穀物だ。コロッケがご飯のおかずになるかならないかの論争もたまに聞くが、私はもちろん合わないと思う。丸二日何も食べられなくて、唯一コロッケとご飯だけは提供される、そんなシチュエーションでない限りは私はコロッケでご飯を食べることはない。クリームコロッケも同様だ。しかしあのサクサクはいい。これは揚げ物すべてに言えるので、特別コロッケを
谷野恭平は、高校の頃はひょろひょろのさえない、頼りない奴で、ろくに喋ったこともなかった。しかし、高校卒業後に突然SNSをフォローされて、気持ちが悪い、と思ったのを覚えている。 そのおよそ五年後、高校の頃の友達たちと集まって酒を飲んでいるときに、ふとそのことを話すと、その場がえらく盛り上がった。 「谷野って、あの谷野?うわぁ、懐かしっ。SNSとかやるんだね。意外」 「谷野がフォローしてるの、他には担任の梅センと、二個上の放送部の彩音さんと、サッカー部の松山と、あとクラスの男
三万円を使えば、適当なビジネスホテルやカプセルホテルで横になることが出来た。何なら、この三万円はそのために手に入れたものだった。本当ならば風呂にだって入りたいし、こんなしみったれたかけうどんではなく、ファミレスでサラダとミックスグリルが食べたい。こんな雪が降ると世間が騒いでいる日に、誰が好き好んで野宿なんかするものか。そば屋の時計は日付が変わったことを知らせていた。店内に流れるよくわからない演歌に腹が立った。うどんを一本ずつ啜りながら、怒りに打ち震えていると、やがてぐずぐず
ガソリンスタンドから大音量で流れるラジオで、今夜は雪が降るとしきりにアナウンサーが繰り返していて、うるさい、と思った。夜中のガソリンスタンドは煌々と光り輝いて、私みたいな虫も引き寄せた。ガソリンスタンドの裏が茂みになっているので、そこに身を寄せていた。冬とはいえ東京の気温なんてたかが知れていると舐めていたら、今夜は底冷えする冷たさだった。剝き出しの手先が痛かった。 雪の一センチや二センチで、ニュースになるなんて馬鹿らしかったが、東京にしばらく住んでみるとその大きさを感じる
ピーさんはワインを一本飲むとスコンと眠りに落ちる。私もとくにやることがないのでとりあえず布団に潜る。私はアルコールを摂取してもピーさんほど寝付きがよくはないので、もぞもぞ寝返りをうったり暗闇の中で手相を眺めたりしていた。空気はりんと冷えて、風でベランダに出してあるピーさんの灰皿代わりの缶がからから転がった。 思えば、エリカさんとの出会いはどこだったのだろう。まったく思い出せない。おかしいな。そういえば、私はこのところ外出をしていない気がする。エリカさんは、確か公園で、いや