雪の降るよる⑥ 煮魚と薬指
今日の私は、ぼけっと過ごしているなぁと自覚があった。今日も事務所は平和で、たまに電話が鳴る以外は、私は最近退職した営業さんの名刺のストックをシュレッダーにかけたり、取引先の名刺をスキャンしてデータに取り込んだりといった雑務で時間を潰していた。次の束に手をかけて、ふと左手に目がいった。この薬指に、指輪をはめる日がくるのか、そう思うとどこかくすぐったいような感じ、私も女なのだなぁという気恥ずかしさがこみあげた。
急いで帰り、少しだけ凝った夕食を作った。裕也は帰りが遅いから、私は先に食べてしまうけれど、それでも少しでも裕也に喜んで欲しかった。結婚の話が出た瞬間の少しの違和感、手放しで喜べないような感じは、突然過ぎて頭がついて行けていなかったのだと思った。きちんと夜が明け朝になると、ふつふつと嬉しさが湧き上がってきた。魚を煮つけて、炊き込みご飯を炊き、裕也にはご飯を作ってあるとメッセージを送っておいた。自分の分を平らげながら時計を眺める。これからもこうして生活していくのか、と思う。
十一時を過ぎて、裕也は帰ってきた。帰るなり冷蔵庫からビールを取り出し、テレビの前にあぐらをかいて座り込んだ。ねえ、裕也。そう私が呼び、振り返ったところで、やっとすぐ横のローテーブルに乗ったおかずに気が付いたようだった。
「なに、これ」
一言目がそれで、さすがに私も声を荒げて、言った。
「連絡したじゃん」
「連絡?ああ、そういえば全然見てなかった。俺駅前でラーメン食ってきちゃったわ」
裕也は帰りが遅く、帰り道で牛丼なんかを食べたくなることが多いようで、それは理解していた。ただ、毎日それではよくないと、なるべく私が食事を作り、メッセージでそれを知らせて、家でご飯を食べてもらうようにしていた。でも、それを、こんな風に。腹が立って、「もういい」と言って皿を下げようとしたら、裕也が言った。
「つーかさ、いつも思ってたんだけど、そのおかずのセンスじゃ食いたくなくなるんだよね。俺魚の骨嫌いだから肉がいいって前に言わなかったっけ?」
我慢ができなくなって、皿をシンクに乱暴に投げ入れた。
「悪かったですね、センスがなくて。私にしてみれば毎日牛丼とラーメンのほうがよっぽどセンスないわ」
そう私がわめくのを見て、裕也の表情が変わった。裕也は立ち上がり、私の腕を強く掴んだ。
「そもそも飯作れって頼んだつもりもねえよ。文句あんなら俺にそんなの押し付けねえで勝手にやってろよ」
そのまま壁に力任せに叩きつけられて、私は頭を強く打った。
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