万年片想い体質
いやいやどうもこんにちは。万年思春期、わたしです。万年思春期もそうですが、それと同時に万年片想い体質がどうにも抜けません。いやこれちょっとどうしたものか、今日は全く実のない話、超雑談ノートですがよろしければお付き合いくださいませ。
これは「告白」なのかしら?
実はつい先日も片想い体質の本領を発揮しまして、想い人がいる方に「好きです。」とお伝えしてきました。っていうかさ、今更ここで確認するのも何なんだけどさ……片思いが確定している相手に交際を申し込まずとも「好きです」と伝えるのは告白って言う?
言うか。
たとえば気に入ってもらっていたとしても、相手に慕う相手がいるなどの場合で、愛されてはいない・愛される余地はなくて、だから「付き合ってください」とも言わず・言えず、好きですと伝えるだけでもそれは告白になる?
なるか。
というのも、自分の中でイメージしている「愛の告白」みたいなのはしたことないからピンと来ないのですよね。あとは告白するよりも先に失恋が発覚するパターン。「願うもんも叶うもんも何も無いけど生まれた気持ちを伝えもせず抹殺するのはもったいないからとりあえず言っとくか」みたいな。上記の話もこれに該当しますね。
身も蓋もない。
一方で、自分の価値観として「好き」と伝えるのがマナーみたいな部分がありまして、結構いろいろな人に簡単に「好き」って伝えちゃう。
あんまり軽くポップに言うものだからたぶん相手にも超ナチュラルに受け止めてもらえて変な距離感にはならないんだけど、たまにこれが「問題かな」と思う時がありまして。
個人的に「好き」と伝えるハードルが超低いので、自分では告白している意識がないのですよ。だけどどうもたまに食い違いが生じるような……ややこしい話や大事には至っていないからそのままにしちゃってるけど。
以上が序文。本題はここから。
私がなぜ「好き」と簡単に言ってしまうのか。
お相手の存在や言動に対してポジティブにとらえ、好印象を抱いたとして、それを伝える機会がもう二度と無いかもしれないと思っているから。当たり前にやってくるような気がしている明日はやって来ないかもしれない、そう思っているから。
以下の記事は1年ほど前に執筆したものなのですが、基本的な考え方は今も変わっていません。大切に思う気持ちや感謝は感じた時に伝えなきゃと思う。別々の人間だもの、言わなきゃわからない、伝えなきゃ伝わらない。
タイミングや別れを意識する機会が増えた。
なぜまた今回この話をしたかと言うと、離れ離れになる可能性や、声が届かなくなる・届けられなくなる可能性、離別について意識する機会が増えたため。最近の事故や事件などのニュースに思うところや、SNSやLINEやメールなどを経由して飛び込んでくる話。そういったものに向き合っているうちに強く感じるようになりました。
どんなことも、「あって当たり前」ではない。慣れてしまうと忘れてしまうことは多いけれど「当然」なんてものは存在しない、ってこと。
それに、もう十分大人になってしまった私たちに残された時間はどんなに長くともたった数十年なのですよ。そのうち、特定の誰かと一緒に過ごせる時間はどのくらいだろう。家族でも、恋人でも、友人でも。労働時間や睡眠時間などを除き、ともに過ごせる時間、コミュニケーションを図れる時間はどのくらいだろう。
そう考えるとね、迷ったり臆病になったりしている暇はないのです。すこしでもポジティブな言葉であたたかい気持ちを渡したいと、そう思うから。大切な時間を大切にするためにはそれしか術がないのだから。
気持ちやことば、ためらわずに伝えてください。大切なら大切と意思表示をしてください。あなたに残された時間も、相手に残された時間も、きっとそう多くはありません。だからどうか、関係の変化を恐れずに、相手の反応をこわがらずに。
いつ、どんなことが起こるかわからない時代。だからこそ、切に願います。