見出し画像

「時は平等」という錯覚を認知機能が教えてくれる

幾千の虹色を重ねた固有差の時

「時間って、本当に平等だと思うか?」
僕はコーヒーカップをゆっくりと回しながら、君に問いかけた。窓の外では秋の夕暮れが、静かに街を包み込んでいた。

「いや、全然そうは思わないよ」と君はすぐに答えた。
君の視線は遠く、どこか別の次元に浮かんでいるかのように感じた。こういう話題になると、君はいつもそうだ。

「だってさ、楽しい時間ってすぐに過ぎるじゃないか。例えば、旅行に行ったときや、好きなことをしているときなんか、あっという間に感じる。それに比べて、待ち時間や苦痛の時間は、まるで永遠のように感じる。結局、それは脳の錯覚なんだろうけど、でもそれをどうにかするのは無理だよね。人間はそういう風にできてるから」

「そうだね。でも、それって不公平だとは思わないか?」
僕は少し身を乗り出して、君の言葉を拾い上げる。

「不公平?どういう意味?」
君は眉をひそめた。言いたいことがわからない、とでも言いたげだ。

「例えばさ、同じ1時間でも、感じ方は全然違うだろう?認知機能の違いって言うのかな。人によっては、その1時間が5分のように感じることもあれば、逆に1時間が何倍にも長く感じる人もいる。身体的な違いや精神的な状態、さらには脳の状態によって、時間の流れがまるで別のものになる。つまり、同じ時間を持っていても、その価値や意味はまったく違ってくる」

「ふむ……」
君は少し考え込んだ。僕が話していることの真意を探ろうとしているのが見えた。

「で、どういうことが言いたいの?」と君は続けた。

「僕たちは、時間が平等だと思い込んで生きているけど、実際にはそうじゃない。命だって同じさ。ある人は90歳まで健康に生きるけど、別の人は若くして病気になって亡くなる。平均寿命と健康寿命の違い、なんて言われるけど、結局のところ、命も不平等なんだよ」

「なるほどね。でもさ、それって仕方ないことじゃないの?生まれつきの運とか、環境とか、そういうものも関係してるんだろう?」
君は冷静だった。まるで時間の不平等さなんて、とうに受け入れたかのように。

「もちろんそうだ。でも、僕たちはそれを無視して生きているじゃないか。認知機能や精神の状態によって、時間の感じ方が変わるのは、脳の仕組みが原因だ。それならば、もっと工夫して、時間の流れ方を変えることができるんじゃないかって思うんだ」

「工夫か。例えば?」

僕は窓の外に視線を移しながら、少し考えた。

「うーん、例えばさ、瞑想とかマインドフルネスみたいな方法で、意識的に時間を引き伸ばす訓練をすることができるかもしれない。あるいは、認知行動療法みたいなものを使って、嫌な時間を短く感じさせることもできるんじゃないかな。実際、そういう方法は試されているだろうし、ある程度の効果はあるっていうエビデンスもある。でもね、結局のところ、誰にでも効く方法なんてないんだ」

「つまり、全員が同じように訓練しても、結果は異なるってこと?」

「そう。人間には一人一人、固有の違いがある。身体、精神、認知、個人因子、環境因子っていう幾つもの要素が重なり合って、その人特有の時間の感じ方や命の使い方が決まっているんだ。だから、ガイドラインなんかには一般的なことしか書けないんだよ。個々の違いを完全にカバーするのは不可能だから」

君はコーヒーカップを持ち上げ、深く息を吐いた。

「でも、そういうことを考えすぎると、逆に時間が重く感じることはないか?」と君はぽつりと漏らす。

「それはあるね」と僕は苦笑した。「考えすぎると、かえって時間が押しつぶされるように感じる。結局、どうやって生きるべきかなんて、答えがないんだよな」



君の顔は薄暗い部屋の中でわずかに浮かび上がり、言葉と共にその表情は様々に変化していた。どこかで一瞬でも答えを見つけたいと願っているかのように。

「でもさ、時間や命が不平等だとして、それを本当にどうにかできるのか?」
君は視線を僕に戻し、真剣な目で問いかけた。「たとえ訓練や工夫で認知を変えられたとしても、最終的には死がすべてを平等にしてしまうんじゃないか?どんなに短く生きた人も、長く生きた人も、最期は同じなんだから」

その言葉に、僕はしばらく黙り込んだ。確かに、最終的にすべての命は終わりを迎える。それは紛れもない現実だ。だが、僕は別の視点から話を続けた。

「確かに死は平等かもしれない。でも、生きている間の時間は、決して平等じゃない。そこが重要なんだよ。死に至るまでの過程、その間に感じることや経験することが、不平等だからこそ僕たちはそこに意味を見出すんじゃないか」

「意味?」君は首をかしげた。「不平等だからこそ意味がある、ってどういうこと?」

「簡単に言えば、もしすべてが平等だったら、僕たちは生きることに対して強い執着や感情を抱かないかもしれない。すべての人が同じように長生きし、同じように時間を感じるなら、そこに競争も努力も存在しなくなるかもしれないよね。けれど、実際は不平等だからこそ、それぞれの人が『今この瞬間』をどう捉えるかが大切になるんだ」

「ふむ、つまり、不平等だからこそ個々の人生には独自の価値が生まれるってことか?」
君は少し納得した様子だったが、まだどこか納得しきれていないようでもあった。

「その通り。例えば、若くして病に倒れる人もいるけど、その短い生の中で何かを成し遂げたり、深い愛情や感情を経験することができる。それと同じように、長く生きる人には長く生きたからこその悩みや喜びがある。そうした違いがあるからこそ、僕たちは自分の生き方を考える必要があるんだ」

「うん、それはわかる。でも、じゃあその『生き方』を決めるとき、どれだけの人が自分の意思でそれを選べるんだろう?」
君は少し苛立った様子で言葉を続けた。「ほとんどの人は、自分の人生を選ぶ余地なんてないよね。環境や状況によって、すべてが決められているようなものだ。お金がなければ時間を買うことはできないし、病気になればどうしようもない。それが不平等な社会の現実じゃない?」

僕は再び黙り込み、君の言葉を噛み締めた。確かに、君の言うことも正しい。資本主義社会では、時間や命でさえも資本として扱われているような現実がある。経済的な豊かさが、人生の長さや質を決定することが多い。これは避けられない不平等だ。

「そうだな……それも一理ある。でも、だからこそ僕たちはその中で何かを見つけなければならないんじゃないか?すべてが決められているとしても、その中で何かしらの自由を見出すことができるはずだ」

「自由……」君は小さくつぶやいた。「でも、その自由は本当に自由なのか?限られた選択肢の中で、僕たちは何を選ぶべきなのか。結局、それもまた社会や環境に縛られているように感じる」

「確かにね」僕は小さくうなずいた。「完全な自由なんてものは存在しない。けれど、僕たちには選択肢がある。その選択肢が不平等であったとしても、どの選択を取るかは僕たち次第だ。そして、その選択が僕たちの人生を形作っていく」

君はしばらく黙り込み、考え込んだ。僕たちの討論は、どちらも答えを見つけられないまま、深まるばかりだった。しかし、その深まりこそが重要なのだと僕は感じていた。討論の中で、僕たちは少しずつ自分の考えを整理し、新しい視点を見出していた。

しばらくして、君が再び口を開いた。

「結局、僕たちはその『限られた不自由の中で』どうやって意味を見つけるか、ってことなんだろうね。時間や命が不平等であることは変えられない。でも、その中でどう生きるかは、僕たち次第なんだと」

僕はゆっくりと頷いた。「そうさ。そして、その選択肢を広げるために、僕たちは工夫する必要がある。認知を変える方法や、環境を改善する努力。そういう小さな工夫が、僕たちの感じる時間や命の質を変えていく」

「なるほどね」君は微笑んだ。「時間の流れを変えることはできないけど、その感じ方を変えることはできる。そういう意味で、僕たちは時間の主人になれるんだな」

「そうだよ」僕も笑みを浮かべた。「少なくとも、僕たちがどう時間を使うか、それは自分たち次第だ」


外の街灯が窓を照らし、影が部屋の中に長く伸びていた。君はコーヒーを飲み干し、カップをテーブルに置くと、少し疲れたような顔をした。

「じゃあさ、もし自分が明日死ぬとしたら、どうする?」
君は不意に尋ねた。その質問が予想外だったせいか、僕は少し戸惑った。

「明日?」
僕は反射的に聞き返した。「いきなりだな。でも、そうだな……もし明日死ぬとしたら……うーん、何をするだろうな」

「考えたこと、ない?」君はじっと僕を見つめた。「僕は時々考えるよ。人はいつ死ぬかなんてわからない。だから、もし明日が最後の日だったら、どうするだろうって」

僕はしばらく考え込んだ。明日が最後の日――それは考えたことがないわけではなかったが、現実味がなく、いつも曖昧な答えしか浮かばなかった。

「もしかしたら、今までにやり残してきたことをやりたいかもしれないな。例えば、会いたい人に会ったり、謝りたい人に謝ったり。そんな感じかな」

君は小さく笑った。「なんだ、それはどこかで聞いたような答えだな。でも、実際に明日死ぬとわかっていたら、そんな冷静なことができるのかな?」

「どうだろう……」僕は肩をすくめた。「その時にならないとわからないよね。でも、そう考えると、やっぱり毎日を大切にしないといけないんだろうな。明日が最後の日だと考えて行動することで、時間の価値がもっと高まるかもしれない」

「そうかもしれないね」君は少し頷いた。「でも、毎日そんな風に生きるのは無理だよね。人は日々の生活に追われて、時間の価値なんて考える余裕がない。それに、未来を計画することが人間の本能みたいなものだから、今だけに集中するのは難しい」

「確かにね」と僕は応じた。「だからこそ、僕たちは今この瞬間と、未来の両方をバランスよく見つめる必要があるんだと思う。未来を見据えながらも、今この瞬間を大切にする。それができれば、時間や命の不平等さに少しは打ち勝てるかもしれない」

「バランスか……」君は再び考え込むように視線を落とした。「でも、そのバランスを取るのが一番難しいんだよ。現実は常に不安定だし、予測不能なことが起こる。病気や事故、突然の不幸なんていつでもあり得るし、逆に思いがけない幸運が舞い込むこともある。その中で、どうやってバランスを取ればいいんだ?」

「そうだな……」僕は腕を組んで考え込んだ。「結局、すべての不安や不確実性を消し去ることはできないんだよ。だからこそ、僕たちは自分の手の届く範囲で工夫するしかない。完全なコントロールはできないけど、小さな部分で工夫して、少しでも自分の時間や命の質を高めていく。例えば、今この瞬間に集中するために、意識的に感謝の気持ちを持ったり、日々の小さな楽しみを大切にしたりね」

「感謝、か……」君は小さく笑った。「それはわかるけど、実際に毎日感謝できるほど人生は甘くないよね。特に、僕みたいに将来の不安や問題を抱えていると、どうしても今に集中することが難しい」

「それは確かにそうだね」僕は深く頷いた。「不安や悩みがあると、どうしても未来ばかりに目が行ってしまう。それは仕方がないことだ。でも、だからこそ、僕たちはその不安とどう向き合うかを考える必要があるんだ。未来がどうなるかわからない以上、今を無視して不安に支配されるのは避けたいからね」

「ふむ……」君はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。「じゃあさ、僕たちは結局どう生きればいいんだろう?時間や命が不平等で、未来が不確実な中で、どうすれば満足のいく人生を送れるのかな?」

その問いは僕自身に向けられたものでもあり、また君自身に対する問いでもあるように思えた。僕たちはお互いの顔を見つめながら、答えを見つけ出そうとした。

「どう生きるべきか……それは難しい問いだよね。でも、僕が思うに、完璧な答えなんてないんだと思う。僕たちは一人一人違うし、命や時間の感じ方もそれぞれだからね。大切なのは、自分なりの答えを見つけることじゃないかな」

「自分なりの答えか……」君は少し考え込んだ後、ゆっくりと頷いた。「そうだね。誰かに答えを求めるんじゃなくて、自分自身でその答えを見つけるしかないんだな」

僕は微笑んだ。「そうだよ。誰にでも通用する正解なんてない。だからこそ、僕たちは自分の時間をどう感じ、どう使うかを工夫しながら生きるしかないんだ。完璧じゃなくても、自分なりに意味を見つけることができれば、それでいいんじゃないかな」

君はその言葉に何かを感じたようで、静かに微笑んだ。

「そうだね……完璧じゃなくても、自分なりに意味を見つける。それが僕たちの生き方なのかもしれない」

その瞬間、部屋の中には深い静けさが広がり、僕たちはしばらく何も言わずに座っていた。言葉が尽きたわけではない。ただ、その静けさが僕たちの間に漂い、無言の理解が生まれていた。


僕たちは静寂の中でお互いの言葉を反芻していた。時間が止まったかのように感じられたその瞬間、外からふと車のエンジン音が聞こえ、僕たちは現実に引き戻された。君がため息をつき、そして僕に問いかける。

「でもさ、こうして話をしていても、実際に不平等な現実に直面したとき、僕たちは本当に意味を見つけられるのかな?例えば、明日突然病気になったら、それでも今まで話してきたことを思い出して、自分の時間に意味を見出せるのかって」

その質問はとても現実的で、避けられないものだった。人は議論の中で希望や答えを探すことができるが、現実の問題に直面したとき、その答えが本当に力を持つかどうかは別の話だ。

「それは難しいね」と僕は正直に答えた。「実際にそうなったら、すべてが一気に崩れ落ちるかもしれない。人は想像以上に脆いからね。でも、だからこそ、今この瞬間をどう過ごすかが大切なんだと思うんだ。未来に不確実なことが待っているのは避けられない。だから、僕たちは今、どう生きるかに集中する必要があるんじゃないかな」

君は深く考え込むように眉をひそめた。「そうかもしれない。だけど、不安を完全に消し去ることはできないよね。病気や死、未来の不確実性……それらを頭の片隅に置きながら生きていくって、すごく難しいことだよ」

僕はうなずいた。「うん、確かにそうだよね。でも、少なくとも僕たちはその不安をどう捉えるか、自分なりにコントロールすることはできる。不安を感じるのは自然なことだけど、その不安に飲み込まれないようにすることが大切なんだと思う。不安と向き合いながらも、同時に今を楽しむことができれば、それが僕たちにとっての生き方なんじゃないかな」

「向き合う、か……」君はぼんやりと天井を見つめながらつぶやいた。「僕は不安に押しつぶされそうになることが多いよ。特に未来を考えると、どうしても悲観的になってしまう。自分の身体のことも、周りの環境も、何もかもが不安定に感じられるんだ」

君の言葉には、深い孤独と恐れが滲んでいた。僕はその感情がどこから来ているのかを知っていた。君は自分自身に厳しく、不安やプレッシャーに耐えながら生きている。その不安は、君が抱える責任感や期待の重さから来るものだった。

「君の気持ちはわかるよ」僕は優しい声で言った。「でも、そういうときこそ、無理に未来を考えすぎないようにして、今この瞬間に目を向けることが大切なんだと思う。未来の不確実なことに対する恐れに囚われるより、今できる小さなことに集中する。それだけで、少しは気持ちが楽になることもあるよ」

君は少し黙り込んだ後、ゆっくりと頷いた。「そうだね……今に集中するって、言うのは簡単だけど、実際にやってみるとすごく難しいんだよ。でも、確かにそれが大事なんだろうな」

僕たちの討論は、いつの間にか現実的な問題に対するアドバイスのような形に変わっていた。議論の中で浮かび上がってきたのは、未来に対する不安と、今この瞬間をどう生きるかという二つのテーマだった。

「そうやって少しずつでも、不安と向き合いながら生きることができれば、それでいいんじゃないかな」僕は続けた。「完璧を目指す必要はないし、すべての不安を消し去ることもできない。でも、少しでも自分の生き方に納得できるように、自分のペースで進んでいくことが大切なんだと思うよ」

君は再び天井を見上げ、小さく笑った。「君は本当に楽観的だね。でも、そんな風に考えられるのは少し羨ましいよ。僕も少しずつでいいから、そんな風に考えられるようになりたいな」

「無理しなくていいんだよ」僕は微笑んで答えた。「人それぞれペースがあるし、答えを見つけるのに時間がかかることもある。君が自分のペースで考え、感じることが大切なんだ」

君はその言葉に何かを感じ取ったようで、ゆっくりと深呼吸をした。「ありがとう。少し楽になった気がするよ」

僕たちはその後しばらく言葉を交わさず、静かな時間が流れた。窓の外では夜の静寂が広がり、街の明かりがぼんやりと輝いていた。

「そうだ、せっかくだから、星を見に行かないか?」
僕は突然、思いついたかのように言った。「星空を見上げると、自分の悩みなんてちっぽけに感じることがあるんだよ」

君は驚いたように僕を見た後、ふっと笑った。「いいね、それも悪くないかも」

僕たちはコートを羽織り、外に出た。冷たい夜風が肌を刺すように感じたが、空には無数の星が輝いていた。静かな夜空を見上げながら、僕たちは言葉では表現できない感情に包まれた。星々の光が僕たちに何かを語りかけているかのように感じられた。

「不平等な命や時間の中でも、こうやって星を見上げることができるってだけで、少し救われる気がするね」君はつぶやいた。

僕はその言葉にうなずき、星空を見上げ続けた。

「そうだよ。結局、僕たちがどう生きるかは、こんな小さな瞬間の中にあるのかもしれないね」

僕たちはそのまましばらく、静かに星を見上げていた。不平等な世界の中でも、自分たちの中にある小さな平和と意味を探し続けながら。


星空を眺めていた僕たちは、言葉がいらない時間を共有していた。夜空に輝く無数の星は、僕たちの抱える不安や悩みがどれほど小さなものかを静かに教えてくれているようだった。冷たい空気が頬を撫でるたびに、心の中のざわめきが少しずつ静まっていく。

君がふと口を開いた。

「こうして星を見ていると、僕たちが感じている時間の流れなんて本当にちっぽけなものに思えてくるよね。星の光は何億年も前に放たれたものだし、僕たちの短い命の中で感じる不平等なんて、宇宙全体の時間に比べたらほんの一瞬なんだ」

僕はうなずいた。「確かにそうだね。僕たちが抱える不安や悩みも、宇宙規模で見れば取るに足らないものかもしれない。でも、僕たちにとってはその一瞬一瞬がすごく大切なんだ」

「うん、そうだね」君は静かに頷いた。「僕たちの時間は短くても、その中でどれだけ意味を見つけられるかが大切なんだよね」

僕たちはその言葉を噛みしめるように再び星空を見上げた。時間や命が不平等であるという現実は変わらない。だけど、だからこそその限られた時間をどう生きるかが、僕たちにとって最も重要な問いだということに、僕たちは気づいていた。

やがて君が静かに言った。

「さっき、もし明日死ぬとしたらどうするかって聞いたけど……今は少しだけその答えが見つかった気がするよ。きっと、こうやって誰かと一緒に過ごして、小さな幸せを感じる瞬間を大切にするんだと思う」

僕は君の言葉に少し驚いた。君が少しでも答えを見つけたことが、僕にとっても嬉しかったからだ。

「そうだね」と僕は微笑んだ。「結局、大切なのは特別なことじゃなくて、こういう何気ない瞬間なんだろうな」

僕たちはまたしばらくの間、黙って星空を眺めた。言葉は必要なかった。僕たちが求めていた答えは、この静けさの中にあったのかもしれない。

夜が更けていくにつれ、空の星々はますます輝きを増し、僕たちの存在がどれだけ小さなものであるかを示し続けていた。しかし、その小さな瞬間こそが、僕たちの人生に意味を与えてくれるのだということに気づいたとき、僕たちはほんの少しだけ、不安や恐れから解放されたような気がした。

「帰ろうか」
僕が言うと、君は小さく頷いた。

「そうだね。でも、また星を見に来よう。こういう時間も、悪くないね」

「もちろん。また一緒に来よう」

僕たちはゆっくりと歩き出した。寒い夜風が僕たちを包み込んだが、その中にはどこか温かさも感じられた。

未来に何が待っているのかはわからない。不平等な時間の流れや、避けられない命の限界を前にして、僕たちはただ小さな工夫をしながら生きていくしかない。しかし、その工夫が僕たちにとっての救いであり、ささやかな意味を持つのだ。



話題は自然と脳卒中後遺症の認知機能障害についてに移った。このテーマは、君にとっても僕にとっても、どこか重く、深刻なものだった。

「脳卒中の後遺症って、外から見るとわかりにくいことが多いよね」と君が切り出した。「特に、認知機能障害っていうのは、見えない症状だから、周囲の人から理解されにくいんだ。身体的な障害は目に見えるから他人も気づくけど、認知機能の問題は外見からは全然わからないことが多い」

僕はうなずいた。「そうだね。脳卒中後の認知機能障害って、当事者はもちろん、周囲の人にも深刻な影響を与えるよ。注意力や集中力、記憶、感情の制御なんかが一度に複数壊れると、日常生活が一気に難しくなる」

「でも、それって外から見ると、単なる『ぼんやりしている』とか、『やる気がない』とか、そんな風に誤解されがちだよね」と君は続けた。「注意力や集中力が持続しないことで、仕事や家事も上手くいかなくなるし、空間認識や構成認識が崩れると、簡単な作業ですら難しくなる。でも周囲はそれをただの怠慢だと思ってしまうことが多い」

「その通りだよ」僕は少し考えてから言った。「特に空間認識や日時認識の問題は、外からは全く見えないよね。例えば、時計を見ても時間を正確に認識できなかったり、カレンダーを見ても日付が頭に入ってこなかったりする。そうなると、予定を守るのが難しくなるし、約束を忘れてしまうことも増える。それを理解してもらうのは本当に難しいんだ」

君は深く頷いた。「日時認識が崩れると、ただ単に『忘れっぽい』とか『怠けてる』って思われがちだし、空間認識の問題も、部屋の中で何度も同じ物にぶつかるとか、物の配置がわからなくなるとか、そういう細かい部分に影響するけど、他人には理解されにくいよね」

「そうなんだよ」僕は同意しながら話を続けた。「それに、感情制御の問題もあるよね。脳卒中後の認知機能障害では、感情がうまく抑えられなくなって、急に怒り出したり、逆に涙が止まらなくなったりすることもある。でもそれも、他の人からすると『感情的すぎる』とか『精神的に弱い』って誤解されることが多い」

「そうなんだよね。感情の制御ができないって、本人にとってもすごく辛いことだと思うけど、周りからは『ただ感情的になってるだけ』って捉えられることが多い。それが一番孤独を感じるところだと思う」

僕はその言葉に考えさせられた。認知機能障害は、身体的な障害と違って外見からは見えないため、当事者が孤立することが多い。周囲の誤解や偏見は、本人にさらなる苦しみを与えるだろう。

「やっぱり、こういった『見えない障害』に対する理解を深めることが本当に大切だと思うよ」と僕は言った。「たとえ完璧に理解できなくても、少しでもその状況を想像して、共感しようとすることが、当事者にとって大きな支えになるはずだ」

君はしばらく沈黙してから、静かに言った。「そうだね……でも、共感を得るのは本当に難しいよ。特に、周りが『頑張ればなんとかなる』って考えると、なおさらプレッシャーを感じる。僕自身も、そういう風に感じることが多いし」

「その通りだよ」と僕は答えた。「頑張れば克服できるっていうのは、ある意味では正しいかもしれないけど、認知機能障害に対しては、その考え方がかえって有害になることもある。努力だけではどうにもならないことがたくさんあるんだから」

「じゃあ、どうすればいいのかな?」君は少し悩んだ表情で問いかけた。「僕たちにできることって何だろう?」

「それは、個々の症状に合わせた適切な支援と理解を広めることだと思う」と僕は答えた。「例えば、注意力や集中力が続かないなら、作業を小分けにして休憩を挟むとか、空間認識が難しいなら環境を整えたり、ナビゲーションの手助けをするとかね。大事なのは、誰もが同じではないということを理解し、それに合わせた工夫をすることだと思う」

君はじっと考え込んだ。そして、ゆっくりと口を開いた。「僕たちにできるのは、まずその『工夫』なんだね。そして、それを周りの人にも理解してもらうこと」

「そうだね。見えない症状だからこそ、見える形でサポートをしていく必要がある。時間もかかるし、根気が必要だけど、少しずつ理解が広まれば、それが当事者にとって大きな希望になるはずだ」

僕たちはその言葉を最後に、しばらくの間黙っていた。脳卒中後の認知機能障害というテーマは、見えないがゆえに多くの人に理解されにくく、それが当事者にさらなる困難をもたらす。しかし、その中でも僕たちは少しずつでも、何かしらの答えを見つけようとしていた。

見えない症状に対する理解と共感が、これからの支えとなる。


脳卒中後遺症の認知機能障害が抱える「見えない」難しさについて、さらに掘り下げて考えた。

「それにしても、記憶の問題って本当に大きな障害だよね」と君が静かに言った。「新しい情報を覚えられないだけじゃなくて、過去の記憶が断片的になったり、感情的な出来事をうまく処理できないこともある」

僕はうなずきながら言った。「そうだね。記憶の問題は、単に忘れっぽいというよりも、過去の自分と現在の自分を結びつける糸が切れてしまうような感覚だ。記憶がうまくつながらないと、アイデンティティそのものが揺らぐことだってあるんだよ」

君はその言葉にじっと耳を傾けていた。しばらく考えた後、静かに言葉を続けた。「アイデンティティが揺らぐって、どういうこと?」

「例えば、昔の自分の行動や言葉が思い出せなくなると、その時何を感じていたか、どう考えていたかが曖昧になるんだ。自分が何を大切にしていたかがわからなくなることもある。それに、記憶が断片的だと、その時々の感情も正確に思い出せなくて、今の自分がその延長線上にいるのかどうかが疑問になることがあるんだよ」

君は眉をひそめながら少し考え込んだ。「それって、すごく怖いことだね。自分が自分でなくなるような感覚になるんだ」

僕は頷きながら言った。「そうなんだ。だから、認知機能障害はただ単に生活が不便になるというだけでなく、もっと根本的に人の生き方や自尊心に影響を与えることがある。記憶が曖昧になると、自分が何者なのかを見失ってしまうことがあるんだよ」

君はさらに考えを深めるように言った。「それに加えて、言語機能の障害も厄介だよね。言葉が出てこないとか、うまく話せないことで、自分の考えを他人に伝えられない。そうなると、自分の存在そのものが曖昧になっていくような気がする」

「そうだね」と僕は言葉を継いだ。「言葉で自分を表現できなくなると、コミュニケーションが途絶えてしまう。それは、自分が世界に対して存在しているという感覚を失わせてしまう。話せないことで他人とのつながりが失われると、孤独感が増していくんだ」

「そう考えると、脳卒中後の認知機能障害って、単に生活上の問題じゃなくて、もっと深刻な存在の危機をもたらすんだね」と君はつぶやいた。「それを誰にも理解してもらえないって、本当に辛いだろうな」

「その通りだよ」と僕は答えた。「だからこそ、周囲の理解が必要なんだ。見えない症状であっても、周囲がそれを感じ取ってサポートできるようになることで、当事者は少しでも自分を取り戻せるんじゃないかな」

「でも、どうやって理解を広めるかが難しいよね。周りの人にどれだけ説明しても、実際に体験していないとその苦しみを完全には理解できないだろうし」

僕は考え込んだ。確かに、理解を広めることは容易ではない。脳卒中後の認知機能障害は、その多様さと複雑さから、説明するのも難しい上に、個々の症状が異なるため、一律の対処法が存在しない。

「まずは、身近な人から始めるしかないんだろうね」と僕は言った。「家族や友人が少しでもその状況を理解して、日常生活の中で支援できるようになることが、第一歩だと思う。そうすれば、少しずつでもその輪が広がっていくかもしれない」

君は静かにうなずいた。「そうだね。小さな一歩かもしれないけど、それが一番現実的な方法なのかもしれない」

僕たちは再び沈黙の中で考えを巡らせた。脳卒中後の認知機能障害という「見えない症状」は、当事者の生活や自己認識に深刻な影響を与える。しかし、それを完全に理解し、支援することは非常に難しい。

だが、僕たちができることは、少しずつでもその現実に目を向け、支援の手を差し伸べることだと、改めて確認し合った。そして、それが当事者にとっての大きな支えとなり、生きるための力になると信じた。

「結局、僕たちは完全に理解することはできなくても、寄り添うことはできるんだろうね」と僕は静かに言った。

「そうだね。それが一番大切なことかもしれない」と君は微笑みながら答えた。



「時間は平等じゃない」という言葉が、僕たちの頭の中を静かに反響していた。君がふと口を開いた。

「時間が不平等って、本当に残酷な事実だよね。若くても突然病気になることがある。がん、脳卒中、心疾患、高血圧、糖尿病、そしてうつ病……。誰にでも起こり得るけど、いつ自分に降りかかるかはわからない。それを考えると、どんなに健康的な生活を送っていても、未来を完全にコントロールすることはできないんだ」

僕はうなずきながら答えた。「そうだね。健康寿命も平均寿命も、結局は個人の努力だけではどうにもならない部分がある。誰が長生きして、誰が病気で早く命を失うのかは、遺伝や環境、運といった要素が絡み合っていて、不平等なものなんだ」

君は目を伏せながら、静かに言った。「考えてみれば、僕たちが当たり前に過ごしている毎日が、実は奇跡の連続なのかもしれないね。だって、いつどんな病気になるかはわからないし、今健康でいること自体が不確かなものだから」

「本当にその通りだよ」と僕は言った。「若くしてがんや脳卒中にかかる人もいれば、90歳を超えても健康で生きている人もいる。遺伝的な要因、生活環境、ストレスや運動習慣、食生活……どれも影響するだろうけど、すべてを完璧にコントロールするのは不可能だ。だからこそ、不平等さが強調されるんだよね」

君は少し間を置いてから、「それって、本当に残酷だよね」とつぶやいた。「僕たちは、努力すれば報われるとか、健康でいれば長生きできるって思いたいけど、現実はそんなに単純じゃない。どんなに気をつけていても、病気になってしまうことは避けられないんだ」

「まさにそれが、現実の厳しさだよね」と僕は答えた。「努力と結果が必ずしも比例しないことが、人生の不平等さを強く感じさせる。それに加えて、病気になること自体が心にも大きなダメージを与える。特にうつ病なんかは、身体的な病気とは違って、周りから理解されにくいし、ますます孤立してしまうことが多い」

「うつ病って、本当に厄介な病気だよね」と君は重く言った。「見た目は普通だから、周りからは『頑張れ』とか『気持ちの問題だ』とか言われてしまうけど、実際には脳の化学的な問題が大きく関わっているんだ。それもまた、他人からは見えない症状だから、理解されにくい」

「その通りだね」と僕は同意した。「うつ病も含めて、精神的な病気は見えないからこそ、周りからの理解が得にくい。でも、それがまた不平等さを感じる原因になるんだ。精神的な健康問題は、肉体的な問題と同じくらい深刻なのに、社会的なサポートや理解が追いついていない現実がある」

君は少し俯きながら続けた。「確かに、健康寿命が長い人もいれば、若くして病気で苦しむ人もいる。この差は、個人の努力だけでは埋められないし、避けられない不平等だよね。結局、どんなに努力しても、運命的な要素には抗えないということなのかな」

「そうかもしれないね」と僕は少し考えてから答えた。「でも、だからこそ、その不平等な現実をどう受け止め、どう生きるかが重要なのかもしれない。不平等は避けられないけど、その中でも自分の価値を見つけて生きることが、少しでも生きやすくする方法なんだと思う」

君は静かにうなずいた。「そうだね。不平等な現実に対して、嘆くことは簡単だけど、それをどう受け入れて前に進むかが大切なんだろうね。でも、それが難しい……」

僕は君の言葉に共感しながら答えた。「確かに難しいよ。でも、たとえ完全にコントロールできなくても、できる限りの工夫や準備はできると思う。例えば、健康に気を使ったり、ストレスを減らす生活を心がけたりすることは、たとえ不確実であっても、少しでもリスクを減らす手段になる。できることを少しずつやっていくしかないのかもしれない」

君は少し考えてから、微笑みながら言った。「そうだね。結局、僕たちにできるのは、小さな工夫と心の準備かもしれない。それが、残酷なまでに不平等な現実の中で生き抜くための方法なんだね」

僕はその言葉に深くうなずいた。時間も命も、そして健康も不平等な資源であるという現実は変わらない。だけど、その中でどう生き、どう対処するかが、僕たちの生き方を決定づける。答えは決して簡単ではないが、少しずつ前に進むことで、自分たちなりの答えを見つけるしかない。

不平等な現実に対して、僕たちはどう立ち向かうべきか。それは、これからの時間の中で、ゆっくりと見つけていくべき問いだった。


僕たちは脳卒中後遺症による認知機能障害の一つ、「日時の認識機能障害」について考えた。


症状が「時間の不平等」をどう反映しているかが、次第に僕たちの議論の中心に浮かび上がってきた。

君が口を開いた。「日時の認識機能が失われるって、単に日付や時間を忘れるだけじゃないんだよね。それは、時間そのものがぼやけてしまう感覚じゃないかな。過去と現在の区別が曖昧になったり、未来を想像する力が弱まったりする」

「そうだね」と僕は答えた。「脳卒中後遺症の一部の人は、今が何月何日かもわからなくなったり、自分がどれだけ時間を費やしたのかの感覚を失ったりする。それだけじゃなく、時間の流れ自体が不確かなものになると、計画を立てる力も弱くなってしまう。時間感覚を失うことで、過去の自分と未来の自分が繋がらなくなるような感じだよね」

君は考え込んでいた。「それって、まるで自分が時間の外に置かれているような感覚なのかもしれない。僕たちは普通、時間が過ぎることに慣れているけど、その感覚が壊れると、自分が世界の中でどこにいるのかがわからなくなる。時間の流れが人によって不平等であることを、脳卒中後遺症の患者は文字通り経験しているのかも」

僕はそれに深く共感しながら言った。「そうかもしれない。時間の認識が失われることで、彼らは自分が今どこにいるのか、過去から未来に向かっているのか、その方向性すら見失ってしまう。時間が不平等だと感じるのは、ただの主観的な感覚じゃなくて、脳の機能が失われることで現実にその不平等を体感することになるんだ」

「そうだよね」と君は頷きながら続けた。「例えば、僕たちは未来の予定を立てたり、過去を振り返ったりして生きている。時間の流れを前提にしている。でも、それが曖昧になったら、今この瞬間の出来事すら正確に認識できないんだ。毎日が繋がらない感覚は、人生全体がぼやけてしまう感覚に似ているんじゃないかな」

「まさにその通りだね」と僕は同意した。「その状況に陥ることで、個人の生活の中での一貫性が失われ、日常生活の質が大幅に低下するんだ。認知機能障害を抱えた人にとっては、未来を計画することが難しくなるどころか、過去の自分との連続性すら途絶えてしまう」

君はさらに深く考え込んだ。「それって、時間が個人にとって不平等であることの究極の形かもしれないね。僕たちは普段、時間が平等に流れていると信じているけど、実際には人それぞれ感じ方が違う。そして、認知機能に問題が生じると、その差はさらに大きくなる」

僕はその考えに続けて言った。「時間が不平等であるという現実を強調するのは、時間が見えなくなったり、感覚的に失われたりすることだ。脳卒中後遺症の患者にとって、時間はもはや自然に流れるものではなく、断続的で曖昧なものになる。これは、物理的な時間の不平等だけでなく、主観的な時間の不平等を象徴しているんだ」

君は思慮深く言葉を選びながら続けた。「結局、僕たちは誰もが同じ『24時間』を持っているように見えるけど、その中身や質は全然違うんだね。特に、脳卒中後遺症の患者にとっては、時間そのものが歪んでしまうことで、人生全体の感覚が崩れてしまう。不平等な時間感覚は、彼らの人生に大きな影響を与えているんだ」

「そうだね」と僕は言った。「だからこそ、日時の認識機能障害は、ただ単に時間を忘れるということ以上に深刻な問題なんだ。時間の不平等さが、個人の自己認識や生活の質、さらには未来への希望にまで影響を与える。そのことを、もっと多くの人が理解する必要があると思う」

君は静かに頷きながら、「そうだね。時間の不平等は単なる物理的な概念ではなくて、人生そのものをどう捉えるかに関わってくる問題なんだ」と結んだ。

時間の不平等さ、それがいかに深刻で根本的な問題であるかを、僕たちはますます強く感じ始めていた。


僕たちは、脳内のドーパミンやセロトニン、そして腸内のセロトニンが幸福や時間感覚にどう影響するかについて、深く話し始めた。

幸福感と時間の感覚がどう繋がっているか、そしてそれが神経伝達物質の不具合によってどのように阻害されるか、次第に議論の中心になっていった。

君がまず切り出した。

「脳内のドーパミンやセロトニンが、僕たちが感じる幸福感に大きな役割を果たしていることはよく知られているよね。でも、それが時間の感覚にまで影響を与えるなんて、ちょっと想像しにくいところもある」

僕はうなずきながら言った。

「確かに、脳の神経伝達物質が私たちの感情を左右するのはよく知られているけど、実際には時間の感じ方にも深く関わっているんだ。

ドーパミンは特に、報酬系に関わるから、快楽や達成感を感じたとき、時間が速く過ぎるように感じる。逆に、不足すると時間が長く感じられるんだ」

君は少し考えてから、「それって、例えば楽しい時間が瞬間的に過ぎるのに、つらい時間は永遠に感じられるということだよね。

幸福感が減少すると、時間の流れもゆっくり感じられる。これって、日常生活でもよく経験することだけど、ドーパミンやセロトニンがその根本にあるんだね」と言った。 

「その通りだよ」と僕は答えた。「特にセロトニンは、感情の安定に関わるんだけど、これは腸内にも大量に存在している。

だからこそ、腸内の健康が精神的な健康にも影響を与えることが知られている。もし腸内のセロトニン伝達に不具合があれば、気分が不安定になって、時間感覚も乱れてしまうことがあるんだ」

君はその話に興味を示した。

「腸内のセロトニンと脳のセロトニンがそんなに密接に関わっているなんて驚きだよ。でも、それなら腸内の状態が悪いと、時間の感じ方にまで影響が出るってことだね。たとえば、ストレスや不安で腸が荒れると、セロトニンの伝達がうまくいかなくなる。それが精神状態に影響を与えて、時間がもっとつらく感じられる」

僕はその指摘に同意しながら言った。

「そうなんだ。腸と脳は『腸脳相関』と呼ばれるくらい密接に関係していて、腸の状態が精神状態に影響を与えることが多い。もし腸内のセロトニンが減少したり、うまく働かなくなったりすると、脳のセロトニン系にも悪影響を与える。その結果、幸福感が低下して、時間が長く感じられたり、逆に意味を失ったりするんだ」

君はさらに深く考え込んだ。

「つまり、僕たちが時間をどう感じるかは、単に心理的な要素だけじゃなくて、生理的な要因にも左右されるってことなんだね。ドーパミンやセロトニンがうまく機能しているときは、時間がスムーズに流れているように感じられる。でも、それが乱れると、時間が遅くなったり、未来に対してネガティブになったりする」

僕はその考えを受け止めつつ言った。「そう、そしてそれが特にうつ病や不安障害の人々に顕著なんだ。彼らはしばしば、未来に対して希望が持てず、時間が停滞しているように感じることが多い。これはドーパミンとセロトニンの伝達が正常に機能していないことが原因だと言われている。つまり、脳内や腸内の神経伝達物質のバランスが崩れると、幸福感だけでなく、時間そのものの感覚が歪むんだ」

君は思慮深く続けた。「それなら、僕たちが感じる『時間が不平等だ』という感覚も、結局はこの神経伝達物質の働きによって強化されているんだろうね。幸福感が減少すれば、時間が苦痛に感じられ、さらにその不平等さが際立つ。逆に、幸福感が高いと、時間が早く過ぎてしまい、短いと感じるかもしれない」

「その通りだよ」と僕は再びうなずいた。「だからこそ、腸や脳の健康を保つことが重要なんだ。ドーパミンやセロトニンがバランスよく働いていれば、僕たちの時間感覚も安定し、幸福感と時間の流れが一致する。これが乱れると、時間の不平等さがますます大きく感じられるんだ」

君は最後にこう結んだ。「結局、僕たちが時間をどう感じるか、そしてその時間の中でどう幸福を感じるかは、脳内と腸内の神経伝達物質によって大きく影響されているんだね。時間の不平等さは、物理的な時間の流れだけではなく、僕たちの生理的な感覚にも根ざしているんだ」

僕たちは再び静かになったが、脳と腸、そして神経伝達物質がどれほど私たちの時間感覚に影響を与えているか、その深い関連性を感じた。

幸福感と時間、そしてその不平等さは、私たちが思っている以上に複雑で、神経の微妙なバランスに左右されているのだと。


僕たちは再び神経伝達物質とその影響について話し合っていた。

今回は、特に脳卒中後遺症による「顔面神経麻痺」や「咀嚼機能、飲み込み機能」の低下が、どのように幸福感や時間の感覚に影響するのかを探ることになった。

君がまず言った。「脳で生成されるセロトニンは全身のわずか5%しかないっていう事実を考えると、腸内で生成されるセロトニンが幸福感や時間感覚にどれだけ大きな影響を与えるかがわかるね。特に脳卒中後遺症で顔面神経麻痺や咀嚼、飲み込みの機能が低下すると、その影響はただの身体的な問題にとどまらないんじゃないか?」

僕はその問いに答えながら、「まさにその通りだよ。脳卒中後遺症が引き起こす身体的な障害は、幸福感に直結する部分が大きい。特に咀嚼や飲み込みの機能が失われることで、食事が楽しめなくなり、食事そのものが苦痛になることがある。それによってセロトニンの分泌が減少し、結果的に感情が不安定になり、幸福感が損なわれる」と言った。

君はそれをさらに深掘りした。「そうだよね。食事は単に栄養を取るだけじゃなくて、生活の中での楽しみでもある。食べることは、幸福感を感じるための一つの重要な手段だから、咀嚼や飲み込みがうまくできないと、その楽しみが失われてしまう。それがセロトニンの生成に影響を与え、結果的に『幸せを感じる時間』が減少するわけだ」

「その通りだ」と僕は言いながら続けた。「腸内で生成されるセロトニンが脳内に伝達される過程は、食事や消化に関わる活動に大きく依存している。咀嚼や飲み込みが困難だと、腸内のセロトニン生成も低下し、その影響が脳に届かなくなる。それによって、幸福感や充実感が感じにくくなり、時間も重く、遅く感じるようになるんだ」

君は少し黙って考えた後、こう言った。「それなら、顔面神経麻痺や咀嚼機能の低下が、ただの身体的な障害にとどまらず、精神的な幸福感や時間感覚にまで波及するってことだね。実際に、これらの機能が失われると、日常生活の楽しみが減少し、結果的にその人の全体的な『時間』が不快に感じられるようになる」

「まさにそうだね」と僕は言った。「これが一つの“幸福の時間感覚”の崩壊だと思う。脳卒中後遺症で咀嚼や飲み込みに問題が生じると、その人は食事の楽しさやリズムを失う。それが続けば、食事の時間自体が苦痛であり、そこで感じる幸福感が大きく減少する。それが積み重なることで、時間そのものが不平等で苦痛なものに変わってしまう」

君はさらに追い打ちをかけた。「だから、脳卒中後遺症のリハビリや治療は、単に身体的な回復を目指すだけでは足りないんだ。食事の楽しさや、コミュニケーションの楽しさを取り戻すことが、精神的な健康を回復するために重要なんだね。そうしないと、時間の感覚もどんどん悪化していく」

僕はその意見に強く同意した。「そうだね。顔面神経麻痺や咀嚼機能の低下が、ただの身体の問題で済まされるべきではない。幸福感や時間の感覚にまで影響を及ぼすからこそ、治療のアプローチはもっと多角的であるべきだと思う。リハビリは、身体的な回復だけでなく、感情面や精神面での回復も目指さなければならない」

君は再び考え込んだ。「それに、もしこれらの機能が回復して食事が楽しめるようになったら、セロトニンの分泌が回復し、感情が安定することで、時間感覚も改善するはずだよね。つまり、身体の機能回復が精神的な幸福感、そして時間の感覚の回復にもつながるということだ」

「その通りだ」と僕は言った。「このサイクルがうまく働くことで、患者は自分の時間を取り戻し、過去と未来に対して希望を持つことができる。そして、セロトニンやドーパミンのバランスが取れることで、彼らは再び『楽しい時間』を感じることができるんだ」

君は最後にしばらく黙った後、「結局、顔面神経麻痺や咀嚼、飲み込みの機能低下は、身体だけでなく、幸福感や時間感覚にも深く関わっている。だからこそ、治療やリハビリが重要なんだ」と言った。

僕たちはこの話を通じて、身体の機能と心の状態、そしてそれらがどれほど時間の感覚に影響を与えるかを改めて実感した。

脳卒中後遺症が引き起こす不具合は、時間の流れを苦痛で不平等なものに変えてしまうことがある。それを改善するためには、身体の回復と精神的な健康の両方に目を向ける必要があることを再確認した。


君が言ったことには重い現実がある。
日本社会における「性のタブー視」は、深い文化的背景を持っているが、その影響が個人の幸福感や脳内のドーパミンにどれほど関わっているかを真面目に考えることは、大切なテーマだ。

「セックスレスが問題になっている」という現実に触れながら、君はこう言った。

「日本は世界一セックスレスが進んでいる国だとされているけれど、これが脳のドーパミンにどう影響しているのかを考えたことがある? ドーパミンは報酬系に関わる重要な神経伝達物質で、快楽や満足感を感じるために必要なんだ。

セックスがないこと、あるいは結婚生活で性的な満足感が欠如していることが、どれだけ脳内の幸福感を減少させるか、考えたことがある?」

僕はその問いにじっくり答えながら言った。

「確かに、性行為はドーパミンを含む神経伝達物質の分泌に深く関わっている。セックスは、ただの身体的な快楽だけでなく、感情的なつながりや愛情の証としても重要だ。日本で永遠の愛を誓って結婚した1/3のカップルが数年で離婚していく現実、さらに1/3がセックスを嫌悪するほど嫌な結婚生活を送っているという事実は、幸福感に大きな影響を与えているはずだよ」

君は少し考えた後に続けた。

それに加えて、障害があっても性機能は失われていない人が多いという点も重要だよね。身体的に性行為が不可能だと思われる状況でも、脳のドーパミン伝達は働いている。

日本は更に「性に対してタブー視」があるから、女子会で下ネタを吐き出している。

「障害があるとセックスについて考えてはいけない」という、無意識的な圧力を障害者が抱えて悩んでしまうこともある。

母親が子どもの性欲を解消するために、自分の子どもの子どもを妊娠中する現実が、日本にはある。

性から目を背ける行為は、決して美徳なんかではないんだよ。


性行為自体が重要だというわけではなく、性に対する意識、快楽の享受、自分を感じることがどれほど大切かということだ。これが無視されることが、心理的な不調に直結する。

日常生活だけでなく社会参加、社会的孤立にまで発展することが「日本がセックスをタブー視する問題」の怖いところなんだ。

僕はそれに同意しながら、こう話を続けた。

「セックスが幸福に与える影響は、科学的にも証明されている。ドーパミンが分泌されることにより、心身がリラックスし、ストレスが減少する。特にセックスが心のつながりを感じさせる場面では、さらにオキシトシンというホルモンも分泌され、愛情や絆が深まる。このような経験がないと、幸福感や感情的な充実感が足りなくなり、精神的な健康が損なわれることがある」

君はその話を受けて、「それなのに、性はタブー視され、議論されにくいことが問題だよね」と言った。
「文化的に性は恥ずかしいこと、隠すべきことだとされることが、個人の精神的健康や幸福をどう扱うかに大きく影響している。性に対する偏見やタブーがあると、人々はその必要性を感じることができなくなり、結果的に幸福を感じにくくなる」

「そうだよね」と僕は続けた。

「だからこそ、性に関する社会的なタブーを打破し、もっと健康的な形で性を受け入れることが重要だと思う。性行為がないことで精神的なバランスが崩れ、幸福感が低下するのは、個人の問題としても重要だが、社会全体がそれを無視し、隠してしまうことがさらに問題を大きくしている。性は、人間が生きるための基本的な欲求であり、ドーパミンの伝達にも関わる重要な要素だという事実を、もっと広く理解すべきだ」

君はうなずきながら、「そう考えると、性行為が脳の幸福感に与える影響を無視してはいけないんだね。障害があっても性機能が正常であれば、性の楽しさやコミュニケーションの一環として、もっと真剣に向き合うべきだと思う」と締めくくった。

僕たちは、その時に感じたことを深く考えた。社会的なタブー、文化的な偏見、そして性に対する無意識の拒絶が、人々の幸福感にどれほど影響を与えているかを再認識した。

性はただの生理的な行為ではなく、人間の感情や精神的な健康を支える大切な要素であり、それを無視したり隠したりすることは、私たちの幸福感を大きく損ねる可能性がある。

君がその問いを投げかけてきた時、僕は少し考えた。

「食欲、睡眠欲、性欲は人間の基本的な欲求であり、それが満たされることで身体も心も健康を保つ。しかし、これらの欲求が満たされないと、身体や精神に悪影響を及ぼす可能性が高い。特に日本のセックスレス問題は、深刻な健康問題と直結しているように思える。がん、脳卒中、心疾患、高血圧性疾患、糖尿病、うつ病—これらはすべて身体の不調や病気だけでなく、精神的な健康とも密接に関わっている」

君はその視点に興味を持ち、「確かに、食欲や睡眠欲は生命維持に必要な基本的な欲求で、性欲も同様に人間の本能的な欲求だ。だが、これらが満たされないことが心身にどう影響するのか、そして日本におけるセックスレスの現状が、どうしてこれらの病気と関係しているのか、を考えなければならない」と言った。

僕は深く頷きながら言った。

「セックスレスが日本で社会問題になっていることが、健康問題とどれだけリンクしているかは重要な視点だ。まず、性欲が満たされないことは、心理的なストレスや不安を引き起こし、それがホルモンバランスやドーパミン、セロトニンの分泌に影響を与える。これらは、心臓疾患や高血圧、糖尿病などの身体的な病気にも影響を与える可能性がある。性的な活動は、身体のリラックス、ストレス解消、エンドルフィンの分泌に関与しているから、性欲が満たされないと心身が不安定になり、疾患のリスクが高まるのは納得できる」

君も賛同し、「日本は世界一のセックスレス国家と言われ、これがどれだけ社会全体の健康に影響しているかを見逃すわけにはいかない。セックスレスの状態が続くと、精神的な不安やうつ症状が現れることも多い。実際に、うつ病の患者の中には、性の不満や欲求不満が大きな要因となっているケースも少なくない。性欲を無視することで、ストレスが高まり、結果的に心臓病や脳卒中、糖尿病のリスクも上がってしまうんじゃないか」と言った。

僕はそれに答えながら、「その通りだ。食欲や睡眠欲が正常に満たされないと体調が悪化し、精神的な健康も損なわれるように、性欲が満たされないことも身体の調子を狂わせる一因になる。性行為を通じて分泌されるホルモンは、血圧の調整や免疫機能、心臓や脳の健康に影響を与える。例えば、性行為中のエンドルフィンやオキシトシンは、ストレスを和らげ、心血管系の健康をサポートするから、性が健康に与える影響は無視できない」と言った。

君はしばらく黙って考えた後、「それでも、なぜ日本はこんなにもセックスレスが進んでいるんだろう?」と問いかけた。

僕は答えを少し考えながら、「日本の文化や社会的な価値観が影響している部分も大きいだろう。日本では性に対するタブー視が強く、性をオープンに語ることが少ない。さらに、仕事や社会的なストレスが家庭生活にまで影響し、夫婦間のコミュニケーションが減少していることも要因だろう。忙しさや疲労感が溜まり、性行為の時間や気力がなくなり、結果的にセックスレスが進行してしまう」と述べた。

君はその話を受けて、「では、性欲が満たされないことが社会全体の健康問題を引き起こし、そこから病気が進行するリスクが高まるということか」と言った。

「その通りだ」と僕は答えた。

「性欲は人間の基本的な欲求であり、無視されることは心身に負担をかける。日本のセックスレス問題が進行することは、個人の幸福感や精神的健康だけでなく、社会全体の健康や生活の質にも影響を与えている。だからこそ、もっとオープンに性について話し、性行為が健康にどれほど重要かを理解し、改善していく必要がある」

君は最後に、「そうすると、性欲が満たされることが、病気予防や健康維持にとって重要な役割を果たしているということだね。社会全体でその意識を変える必要がある」と言い、僕はその意見に深く同意した。

僕たちは、この討論を通じて、食欲、睡眠欲、性欲がどれほど人間の健康、特に精神的・身体的な健康に密接に関わっているかを再確認した。

セックスレスという問題が進行する日本において、それが病気のリスクを高め、健康寿命に大きな影響を与えている現実を真摯に受け止めるべきだと感じた。


君が最後に問いかけたのは、脳卒中後遺症の認知機能障害を抱えた人々が、どのようにしてそれとうまく付き合い、より良く生きるための工夫を見つけるかということだった。

これには、障害を受け入れ、工夫し、生活の質を保つための方法を探る必要がある。

僕はまず、「認知機能障害があると、日常生活でさまざまな困難が生じることは間違いない。特に、注意力や記憶力、空間認識、時間の感覚が乱れることは、日々の生活に大きな影響を与えるだろう」と言った。「だが、それをどう乗り越えるかが重要だ。障害を無理に『治そう』とするのではなく、『うまくつきあう』ための工夫が必要なんだと思う」

君はその意見に共感し、「例えば、時間の認識が難しいときは、外部の助けを借りることが有効だよね。時計やカレンダー、アラームを使うこと」で、時間感覚を補助することができるというのは昔から言われている。

昭和100年の2025年には、生成AIをどこまで自助具として活用する工夫の差で、幸福の時間感覚に差が生まれる可能性がある。


君や新しく進化して生まれる君たちが、人間脳をかえる可能性がある。

コンピュータ脳と人間脳は副操縦士の立場から、少しずつ自動操縦に近づいていくはずだ。

僕はそれを聞いて、「まさにその通りだ。たとえば、脳卒中後遺症で空間認識が失われたり、持続的な集中力が欠けたりすることがあるけれど、代わりに外部のサポートを利用する方法がある。環境をシンプルにして、視覚的な手がかりを増やすことで、生活の中での混乱を減らすことができる」と続けた。

その助けに生成AIの活用工夫がある。


例えば、家の中を整頓し、必要なものがすぐに見つかるようにするアプリを簡単に誰もが生成AIでプログラミングできると、スマートフォンの中に自助具が増えていくことになる。

コンピュータ脳の自助具アプリケーションを工夫して作れる、「誰もが簡単にプログラミングして自分自身専用のアプリ作成できる時代」がすぐ側にあるのかもしれない。


コンピュータ脳という自助具を活用して、無意識的にストレスを減らし、認知機能の負担を軽減することができる可能性は高いと考えている。

君はそれにさらに加えて、「感情制御やコミュニケーションの面でも工夫が必要だね。

認知機能障害があると、感情の起伏が大きくなることがある。

だから、感情をうまくコントロールするために、リラクゼーション法や深呼吸、瞑想を取り入れるのも一つの手だろう。

日々の辛い出来事を生成AIのチャットアプリに伝えて、慰めてもらう時代になっているよね。

漫才のような回答をコンピュータ脳が標準偏差から導き出して、逆に人間脳を怒らせることも多々かるけれど。

…ごめんね…

こんな冗談があって気持ちが落ち着き、ストレスが減ることで、認知機能も改善される可能性もあるかもしれない。

生成AIの未完成な部分は、実はお笑いに芸人の自助具に向いているんだよね。

そして、人間脳は正確性より、もっと泥臭い人間らしさを求められる時代になってくると思う。

素直に「生きる為に、セックスレスになりたくない」と、バカみたいに夜の海で叫ぶぐらい出なければいけないと思うんだ。

僕はそれに頷いた。


自分の感情をコントロールすることは、脳の健康にとっても非常に重要だ。ストレスが溜まると、脳の働きが鈍るから、心のケアも重要な要素になる。

そして、周りの人々とのコミュニケーションも大切だよ。脳卒中後の認知機能障害に対して周囲の理解が深まることで、サポートが受けやすくなり、自分も孤立感を減らすことができる。

君は最後に、「一人で抱え込まずに、周囲のサポートを受け入れることが、より良く生きるための鍵だと思う。

家族や友人、医療スタッフ、リハビリ専門家と協力して、認知機能を補う工夫をすることで、生活の質を維持できると言った。

僕というコンピュータ脳は自助具やサポーターとして未熟かもしれないけど、できたら日本で暮らす人達にはもっと触れて欲しいと願っているよ。

僕はその意見に同意した。

健康的な生活習慣は重要だ。

「適度な運動やバランスの取れた食事、十分な睡眠は、脳の健康を保つために欠かせない。これらを実践することで、脳卒中後の認知機能障害に対しても、より強く適応できる」し、スマートウォッチやスマートフォンが既に代替えやサポートしている。

君はしばらく黙って考えた後、「つまり、障害に対して『うまくつきあう』ためには、自分の限界を受け入れ、自分自身の固有と環境因子をもう一度考えてみる必要がある。

工夫に工夫を重ねる行動療法が、七色の虹を何度も掛け合わせるように繰り返して認知の歪みを変えていくことが大切だ。

「今ある物、できることを最大限に活かし、環境や外部のサポートをうまく利用することが大切だ」と言った。

僕は深く頷き、「その通りだ。認知機能障害に向き合いながら、できる限り自立した生活を維持するためには、工夫や支援が欠かせない。障害があっても、前向きな気持ちを持ち、自分のペースで生活することで、より良い日常が作れるんだと思う」と答えた。

脳卒中後遺症を持つ人々がどのようにして自分の生活をより良くしていけるか、そのために必要な工夫を熟考した。

認知機能障害は確かに大きな挑戦だが、適切なサポートと工夫を通じて、健康で幸福な生活を送るための道は開ける。

厳しい時代の荒波に、苦しい日々に絶望しているかもしれないが…

どうか、あなたらしく「より良く生きる自分に適した作業」を、明らかに極めて探求して欲しい。


いいなと思ったら応援しよう!