にじいろ@3児の教員ママ

三児のママで、小学校教員です。 3回目の育休明けで、子育て、教員をしながら感じることを綴れたらと思います。 0歳、3歳、8歳の三人の娘たちがいます。長女は特別支援学級在籍で、ゆったり発達の子です。

にじいろ@3児の教員ママ

三児のママで、小学校教員です。 3回目の育休明けで、子育て、教員をしながら感じることを綴れたらと思います。 0歳、3歳、8歳の三人の娘たちがいます。長女は特別支援学級在籍で、ゆったり発達の子です。

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通常級か支援級か迷っているときに考えたいこと

支援級に長女が転籍して半年以上が経った。 支援級にすっかり馴染み、毎日学校を楽しみに登校している。 いつでも支援を求められる環境になったことで、安心して学習に取り組めるようになったことが転籍して1番良かったことだ。 ただ入学時には通常級という選択をしたのだが、それはそれで良かったなというのが今思うところだ。 1年生のときに同じクラスだった友達は、街で会うと親し気に話しかけてくれて、そこには何の心の壁もない。 たくさんの友達と日々関われるというのは、やっぱり通常級の良

    • 学年末には賞状を!

      学校の通知表を長女が初めてもらってきたとき、成長したことが正直わからず戸惑ったものだ。 私も職場では通知表を書く側だが、とてもあの中だけでは伝えきれない子どもたちの成長が全ての子にある。 通知表を渡すときには、一人一人個別の時間をとりながら言葉をかけて渡すようにはしている。一人一人伝わると良いなと思いながら渡す。 ただ通知表は、当然だが学校生活での子どもの姿を見て書いたに過ぎない。 それ以外の場所でも、1年間で子どもはたくさん成長していることは、子育てしながら感じてい

      • 3回目の育休復帰に向けて

        何度経験したって慣れない。育休明けの復帰は緊張感がある。 また、今回の復帰は3校目への異動も重なった。 さらに通常級の担任から、支援級の担任へと変わる。 色々変わりすぎて、何も役に立たないんじゃないかと思うほどだ。 ただ、できることをやるだけだ。よくわからない先のことを考えても仕方ない。 育休明け直前に私が取り組んでいるのはこんな感じだ。 ① 子どもたちの復帰準備 ②頼れる人に細かくお願いの連絡 ③夫と意見の擦り合わせ ①子どもたちの復帰準備 3回の育休を経て

        • 障害があってもなくても、誰かのために動こうとしてくれること

          今日は職場の小学校の音楽発表会の鑑賞に行ってきた。 電車、バスを乗り継ぎ、小一時間ほど、一歳になる三女を連れて出かけた。 3人目になるので、お出かけの大変さはわかっているつもりだが、必ず予想していなかった子どもの様子に振り回されることはある。 今日のお出かけも電車に乗ってすぐ、まぁまぁ混んでいる車内でベビーカーに乗る三女がぐずり始めるという事態に。 こりゃ抱っこだな、と思っていたら、近くにあやしてくれる救世主が! 多分20代くらいの青年だった。 三女の顔の前で手を

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          アイドルダンスでステージに立てた日

          支援級に転籍してまだ一年の長女にとっては初めての学習発表会があった。 区のホールを借り、周辺の3校の支援級が合同で行う発表会である。 私も初めてでどんなものかと思い参加したが、結論から言うとアイドルダンスに泣かされた。 全然泣くつもりなく参加したので、自分に驚いてしまった。 * 発表会への練習が続いていたここ2週間ほど、長女は毎日「あー発表会失敗したらどうしよ…」とどちらかと言うと、マイナスな発言を繰り返していた。 発達がゆっくりな長女の特性かもしれないが、失敗を

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          発達がゆっくりな長女と向き合う上で捨ててきた考え方

          長女は就学相談のときに、発達の遅れを指摘された。 その事実を受け止めるのに、自分の凝り固まった子育てや教育への考え方は邪魔になった。 たくさんたくさん、捨ててきた考え方。今もまだまだ断捨離中だ。 これはしない、と捨ててきた考え方を紹介する。 ①できないことを無理にさせること ②同年代の子と比較をすること ③特別扱いすること ①できないことを無理にさせること 発達の遅れがある、ということはそれだけ定型発達の子と比べ、身に付けにくい知識や技能があるということでもある。

          発達がゆっくりな長女と向き合う上で捨ててきた考え方

          支援級にいる長女と通常級の子の交流

          学校の中での通常級と支援級の交流については、学校や自治体によっても差がある印象だ。 長女の学校について言えば、かなり本人や保護者の意向に委ねられているように感じた。 学校によっては、交流級で授業を受ける時間をとることが必須になっているところもあるようだ。 今回書きたいのは、学校での話ではなく、放課後など学校外での交流についてだ。 長女は一年生の頃から、一緒に登校するすぐ近所の友達がいて、毎朝その子と学校に行っている。通常級に通う、同じ学年の子だ。 お母さんにも長女の

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          育休中の私の主婦レベル

          「大ピンチずかん」(鈴木のりたけ、小学館)という絵本が、小学生に大人気だ。 うちもクリスマスプレゼントでもらって家で読んだが、それ以来うちでは大ピンチが来るとみんなで喜んでいる。 この絵本は日常で起こるピンチな出来事を、100まででレベル付けをしている。 出来事がかなり具体的なことと、あるよねー!という内容が多いので、うちでも読み聞かせをしながら笑った。 うちであった大ピンチは ・お風呂の栓をしないでお風呂を沸かした ・ビーズを床に撒き散らした ・買い物に入ろうとした

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          誰かを笑顔にできる幸せ

          年明けから悲しいニュースに心が痛む日々だった。 被災地域のために出来ることはわずかだが、娘たちに今地震によって、とても悲しい思いをしている人たちがいることを伝えた。 自分に起きたことではないと出来事から目を逸らすのではなく、相手の立場にたって想像したり、思いやれるようになってほしいなと思っている。 地震と関係なく、年明けには娘たちのひいおばあちゃんに会いに行った。 有難いことに、娘たちには90を越えるひいおばあちゃんが3人元気で暮らしている。 車で行ける距離に住む2

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          宿題する?させる?

          小2の長女、この冬休みの宿題への取り組み方を見て感激してしまった。 長女には最難関だと思っていた書き初めを、クリスマスの日には終えていたのだ!!(「書き初め」にはなっていないが、よしとしよう。) とにかく自分から宿題を「する」ようになったことに成長を感じた。 * 今までは長女に宿題を「させる」時間が苦痛だった。 1年生のときは、とにかく嫌がってもやらせていた。癇癪と私のイライラがぶつかり、まさに戦いだった。 小学校の通常級の担任として、当たり前のように宿題を出して

          長女のこと⑨支援級への転籍を長女に伝えた日。

          年明け、支援級への転籍を決めて、長女にこんな風に話をした。 「2年生になったら、みんなクラス替えっていうものがあるんだよ。長女は〇〇組(支援級の名前)になってお勉強するんだよ。でも、今のクラスの友達とはいつでも会えるし、遊べるからね。 今、早くて難しいお勉強も、〇〇組ならゆっくりできて、困ったらすぐに先生に助けてもらえるからね。」 良い見通しがもてるような言葉を心掛けた。 意外にも長女の反応は「うん、わかった。」と、とてもあっさりしたものだった。 あんなにも支援級の見

          長女のこと⑨支援級への転籍を長女に伝えた日。

          長女のこと⑧通常級から支援級への転籍を決めるまで

          1年生の夏休み明け、学習についていくことが本当に厳しいなと感じたのは漢字学習が始まってからだ。 同じ漢字で違う読みがあり、画数も段々と増えていく漢字の学習が、こんなに苦しいものだとは思わなかった。 持ち帰るドリルの書き取り学習をやる度に癇癪を起こした。 こんな苦しいことを無理してさせ続けることに、意味があるとは思えなかった。 友達はできた。学校は楽しい。でも学習が辛い。 はっきり学習に関して支援が必要だとわかったなら、それに向けて動くしかない。 何回か私だけで支援

          長女のこと⑧通常級から支援級への転籍を決めるまで

          長女のこと⑦1年生の学習がしんどくなってきた

          1年生の6月から、家庭学習が始まった。 学習した内容が1枚のプリントになっていて、毎日取り組むことになっている。 最初はひらがな、数の学習など、分量も多くないためこなせていたし、学童にいる間に終わらせることができた。 6月にあった個人面談でも、まだ学習が進んでいないこともあり、担任の先生からもそこまで学習の遅れを指摘されることがなかった。 日が進むに連れ、少しずつ、長女にとっては学習が難しくなってきた。 宿題も学童でできなかった分を家でするようになった。 算数では

          長女のこと⑦1年生の学習がしんどくなってきた

          家から一歩出ると「こんにちは」と言える人が増えた幸せ

          3歳の次女が通う保育園への送り迎えで、往復で20分ほどの道のりを、毎日歩いて行き来している。 仕事をしているときはこの道をのんびり歩く余裕は全くなく、とにかく早く子供たちを保育園や家に着かせたい一心だった。 育休改め育業に入って1年ほど、この20分の道のりで挨拶できる人がすっかり増えた。 毎日家を出てから挨拶をしないことがないほど、顔見知りが増えたのである。 コロちゃんというワンちゃんを連れたおじさんも、その1人。 次女が可愛いワンちゃんを見て、「触りたい!!」と言

          家から一歩出ると「こんにちは」と言える人が増えた幸せ

          育休中の備忘録⑤認知症の祖母に会いに行く

          私の祖母は花のような人だ。 パッと開く笑顔がとても可愛らしく、94歳になった今も華やかだ。 そして祖母と言えば、別れ際の涙がお決まりである。 小学校の頃、毎年夏休みに祖母の家に行き、帰りは空港まで送ってもらっていた。 帰り際には必ず、涙、涙である。 それも雨に濡れた花を連想させるのだ。 * 祖母が認知症だとわかったのは、ここ数年のことである。 私が小学校6年生の頃に、祖父が他界し、それからずっと同じ家で一人暮らしをしてきた。 1人には広すぎる家も、いつも手入

          育休中の備忘録⑤認知症の祖母に会いに行く

          長女のこと⑥通常学級に入学して

          就学先も決まり、無事新年度を迎えた。 保育園から一緒のお友達はほとんどいなかったため、0からお友達をつくることになる。 小学校というのは共働き世帯にとって、なかなか過酷な環境で(教員の私が言うのもおかしいのだが…)、うちの場合、入学式の前の数日間は、学童に預けた。 初日から長女は全く友達がいない学童に朝8時から預けられ、18時ごろまで過ごすことになる。 というのも4月というのは教員にとって最も忙しい時期で、さらにその年は1年生の担任を任されていた。早く帰る余裕はなかっ

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