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育休中の備忘録⑤認知症の祖母に会いに行く

私の祖母は花のような人だ。

パッと開く笑顔がとても可愛らしく、94歳になった今も華やかだ。

そして祖母と言えば、別れ際の涙がお決まりである。

小学校の頃、毎年夏休みに祖母の家に行き、帰りは空港まで送ってもらっていた。

帰り際には必ず、涙、涙である。

それも雨に濡れた花を連想させるのだ。

祖母が認知症だとわかったのは、ここ数年のことである。

私が小学校6年生の頃に、祖父が他界し、それからずっと同じ家で一人暮らしをしてきた。

1人には広すぎる家も、いつも手入れしてあって、祖母の性格が表れていた。

社交的で明るい祖母は町内会でも友達がたくさんいたようである。

歩くときの姿勢も良く、90歳にはとても見えないくらい若々しかった。

そんな祖母だったが、歳を重ねるに連れて、段々と物忘れが激しくなっていった。

年相応の物忘れかな、と思っていたら、あっという間にアルツハイマー型認知症の診断がついた。

アルツハイマー型認知症の症状として、新しい出来事を記憶できない、少し前のことや出来事自体を忘れてしまう、というものがある。

祖母の場合、この症状が顕著だった。

古い記憶は残っていて、そこに上書き保存ができなくなる、という感じだろうか。

食事をしたことも忘れてしまうため、一人暮らしは難しくなり、施設に入ることになった。

認知症だと分かってから、祖母に早く会いに行きたかった。いつ古い記憶も消えてしまうかわからないからだ。

しかし3人目を出産し、慌ただしい日常の中でそのことは後回しになってしまっていた。

8月、祖母の誕生日。ビデオ通話で身内が集まった。

画面越しの祖母は変わらない、ように見えた。

ああ。やっぱり変わらない祖母にどうしても会いたい。

切実な思いから、すぐに夫にも相談し、あっという間に3ヶ月後の飛行機をとった。

祖母が住む町の空港に降り立つと、懐かしい思いに包まれる。

新しくなってはいるものの、空気は同じものを感じる。

昔と大きく違うのは、今は私の家族が一緒だということだ。

3人の子供たちを連れての飛行機はとにかく大変だったが、なんとかたどり着けた。

レンタカーを借りて、祖母の施設まで向かう。

叔母が段取りを整えてくれていて、スムーズに面会できた。

ロビーにいたのは…変わらない祖母だ。

「あら、どうしたの。〇〇ちゃん(私の名前)。

叔母は伝えていたと思うが、突然来た私に驚いた様子だった。

うん、それで良い。

名前を呼んでくれた。それだけで十分だ。

そして祖母を連れて、祖母が住んでいた家に向かう。

いつでも帰れるように、叔母や母が綺麗に残しておいてくれているのだ。

車内で祖母の隣に座ると、家に近づくに連れて、

「これは家に向かう道?懐かしいわー。」

と言って、懐かしそうに景色を眺めていた。

車内で祖母と一緒になった娘たちは、積極的に祖母と関わろうとしていた。

「ねぇおばあちゃん、何歳?」なんて3歳の次女が聞いている。

「94歳よ。」とはっきり答えも返ってくる。不思議と通じ合ってる感じがある。

祖母の家に着く。ここも変わらない。

家に着いた祖母は、忙しそうに動き回っていた。ほうきを持って玄関先を掃除したり、各部屋を見て回ったり。

何十年も暮らしてきた家にいると、昔からの習慣が自然と出ているのだと感じた。

私たちと一緒に家で過ごしていると、突然涙ぐむこともあった。それもいつものことだ。

変わったこともたくさんあるけど、変わらない姿が見られて、ただ嬉しい。

久々の祖母の家を堪能したあと、祖父のお墓参りに向かう。

「おばあちゃん、大丈夫?」と、8歳の長女も声をかける。

3歳の次女は祖母の手を引いて、先導する。

祖母の存在が、娘たちを優しくする。

お墓で祖父に、3人娘が産まれたことを報告する。

また女かい!っと天国から突っ込まれそうだ。

夕日をバックに子供たちと祖母が写真を撮った。この先、忘れないだろうな、という美しい写真になった。

夕飯を馴染みの店で済ませ、施設に帰る祖母とはここでお別れとなる。

「おばあちゃん、また来るね。」後悔しないよう、手も握る。

もちろん涙ぐむ、祖母。珍しく私もつられそうになった。

明日、今日会ったことは忘れてしまうかもしれない。でも、それで良い。

私たちの記憶にはしっかり祖母の姿が刻まれた。

会えて、良かった。

次の日、帰る前にコスモス畑に行った。

あとから見返して、ああ祖母はコスモスにそっくりだなと思った。

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