ミランヨンデラ

読んだ本の書評、読んで感じたことなどを書いています。

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最近の記事

『カーストとは何か インド「不可触民」の実像』 鈴木真弥

最先端のデジタル分野やグローバルなビジネス界での、インド勢のパワーがすごい。 ハリウッド映画を観ていても、会社の経営者やキャラ立ちしたIT小僧などをインド系の俳優が演じているのが目立つ。(これら、一時期は日本人が占めていたポストだったものだが。。。) インドのイメージは今や、エキゾチックなスパイスワールドから急進最前線のエリート輩出国へと変わってきた。そんなインドだが、現代にあってなおエキゾチックで謎めいたイメージが強くつきまとう理由の一つは、その文化に特有の、有名な身分制

    • 『裁縫師』 小池昌代

      同名の短編集からの表題作。 おとぎ話のような書き出しで始まるが、心しておかないと軽く動揺するハメになるので要注意だ。 戦後間もない東京での少女時代を回想するのは、ビルの清掃員として働く68歳の女性である。 庶民的な街の一角にある共同アパートに、共働きの両親と質素に暮らしていた頃のこと。近所には事業家が住む大きな家があり、その離れの一軒家に、裁縫師のアトリエ兼住居があった。 裁縫師のアトリエには度々裕福そうな人々が出入りしており、住む世界の違うそんな人々が訪れる場所に自分は

      • 『砂の本』 ホルヘ・ルイス・ボルヘス

        書物を愛する奇才といえばボルヘス。 “バベルの図書館”という代表作のその名の響きだけで、本好きは気持ち良くなってしまうのでは。 そんなボルヘスが、本好きならば一度はその手にかかってみたいと思うような本の魔力を書いた短編がこちらである。 ***** 「わたし」が語るのは、ある奇妙な本を入手した体験だ。 ある日の夕暮れに戸口にやってきた聖書の行商人。彼が言うには、「ある神聖な本をお目にかけられるんですが、多分お気に召すと思いますよ。」とのこと。 インドで手に入れたというその本

        • 『ホーム・ラン』 スティーヴン・ミルハウザー

          目に映るものの表面ではなく深淵を覗きたい、簡単に言葉にはできない何かについて静かに考え込みたい、そんなあなたにおすすめの短編集だ。 「ミラクル・ポリッシュ」は、さえない訪問販売のセールスマンから、“ミラクルポリッシュ”という名の鏡磨きクリームを買う話。 好んで買ったわけではない。なんとなく情にほだされて男を家にあげてしまった自分にうっすら腹立ちながら、一刻も早く男を家から出すために出てきたものをとりあえず買ったというだけだ。 ところがこのクリームで鏡を磨いてみると、まさにミ

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        • 教養・ノンフィクション
          21本
        • 小説
          107本
        • 私の本棚
          35本
        • エッセイ
          19本

        記事

          『緩やかさ』 ミラン・クンデラ

          クンデラらしさが詰まったコンパクトな群像喜劇。苦笑いを誘う一作だ。 舞台には様々な人物が登場する。 したたかな政治家、その政治家に絡む女、不器用な昆虫学者、ぱっとしない青年など。 とあるフランスの、古い城を改造したホテルで開かれた昆虫学の学会に集った彼ら。それぞれに踊る無様で滑稽な喜劇のダンスが、ぶつかり絡み合う一方で、18世紀の恋愛物語が並走する。 エイズ患者や紛争地の子供を自分のコマーシャルに利用する節操のない政治家の男も、蛇のように絡みついてくる女に対しては冷静さを

          『緩やかさ』 ミラン・クンデラ

          『波の上を駆ける女』 アレクサンドル・グリーン

          1925年、日本で言うと大正時代に書かれた幻想冒険小説だ。 作者のアレクサンドル・グリーンはロシアの貧しい家庭に生まれ、船乗りや鉱夫などの職業を転々とした後、地下抵抗活動に加わって3回も流刑に処せられたという。 その人生自体がひとつの物語になりそうなそんな作家が書いたこの小説はしかし、暗さや苦しさではなく、美しく詩的な幻想とロマンスに満ちた冒険物語だ。 物語は、港町に宿を取り病後の療養をしている「わたし」ことトーマス・ハーヴェイが、ある日港で汽船から降り立つ美しい少女を見か

          『波の上を駆ける女』 アレクサンドル・グリーン

          『トラウマ文学館』 頭木弘樹・編

          頭木弘樹氏によるアンソロジー『トラウマ文学館』は、『絶望図書館』、『絶望書店』の番外編として編まれたものである。あとがきによると、あまりに絶望的なものは前出の2編には収録しなかったため、そうして入れられずにいた「絶望的だが良い作品」をこちらに集めたということだ。 ♪ この文学館には、子供時代から老年期までの年代で区切られた6つの展示室がある。 それぞれの展示室には「少女漫画棚」、「SF棚」、「韓国文学棚」、「アメリカ南部文学棚」といった多種多様な棚があり、それらの棚から一

          『トラウマ文学館』 頭木弘樹・編

          『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』 風野春樹

          表紙は一人の青年の写真。神経質な感じはあるが、頭の良さそうなしっかりした顔である。 この青年がなぜにして「誰にも愛されなかった」とまで言い切られているのか。気になって読んでみた。 私と同様、その名前を見てもピンとこない方がほとんどではないだろうか。 島田清次郎は、大正8年(1919年)に発表した小説『地上』で一躍文学界のカリスマになるも、その傲岸不遜な言動から文壇で疎まれ、数々のスキャンダルを起こした挙句、精神に不調をきたして精神病院に収容されたという、波乱の生涯を送った作

          『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』 風野春樹

          『アメリカへようこそ』 マシュー・ベイカー

          とてもパワフルな短編集。 着想の多彩さ、ストーリーの面白さ、文章のバイタリティ、どれを取っても燃料満タンの、エネルギーに満ちた一冊だ。 想像の斜め上をいく想定は新鮮な驚きであり、ストーリーのあまりの予想のつかなさに夢中になってしまう。 一編ごと、どんな設定が現れるのかと期待しながら読み始めるのが楽しい。 人が精神を全てデジタル・データに変換して肉体からコンピューター・サーバーへと「変転」することが可能になった世界。(「変転」) 犯罪を犯すと国家によって過去の記憶を消される

          『アメリカへようこそ』 マシュー・ベイカー

          『常盤団地の魔人』 佐藤厚志

          題名に「団地」とつく本を見るとつい読んでみたくなる。 というわけで手に取ったこちらの本、濃厚な“団地感”と少年時代のわくわく感が余す所なく詰めこまれた美味なる一冊で、一気に読んでしまった。 ***** 冒頭のこの記述から、常磐団地が位置する一帯の雰囲気がうかがわれる。 常磐団地はそこから想像される通りの、壁がひび割れ、老人やブルーカラーの住人が多く住む老朽化した団地だ。 三号棟に住む今野蓮は今年小学三年生になる男の子。新学期を目前にしたある日、団地の敷地内をぶらぶら歩い

          『常盤団地の魔人』 佐藤厚志

          『娘について』 キム・ヘジン

          タイトルは『娘について』だが、母親についての小説だ。 主人公「私」は初老の寡婦。若い頃は教師だったが、今は自宅の2階を賃貸しつつ、老人介護施設で働いている。 彼女の家に対するこの独白からも分かる通り、「私」は、実態が明らかな確固たる物事を好む、常識的で勤勉な女性だ。そして、寄る年波に不安を感じ、世知辛い世間への不満を抱えてもいる。 そんな彼女の家に、30代の娘が身を寄せて来るところから物語が始まる。 学のある娘は大学での非常勤講師の仕事を持つものの経済的に困窮しており、し

          『娘について』 キム・ヘジン

          『去年ルノアールで』 せきしろ

          喫茶店にいると五感に独特の感度が宿る。 隣の席の見知らぬ人々。交差することのない人生を生きる人々。もし自分が彼らの連れとしてその場にいるならば何ということのないひと時を共有するだけであろう、何の変哲もない人々が、外側からひっそりと観察する対象となったとたんに、なんと興味深い存在になることか。 彼らの何気ない会話の一言に想像がむくむくと肉づけされ、語られない物語に興味が湧き上がってしまう。 雑音の網の目をかいくぐって耳に届く言葉だから、くぐもって不鮮明なので、聞き取りミスも

          『去年ルノアールで』 せきしろ

          『光を灯す男たち』 エマ・ストーネクス

          アイリーン・モア灯台事件から着想を得て書かれたフィクションである本作は、全体にモノクロームな雰囲気が漂う、静かに張り詰めたサスペンス小説だ。 消えた3人の灯台守とその妻たちの独白を中心にして進む物語には、謎めいた言葉が散りばめられ、静かに進むミステリーが驚くべき結末に導いていく。 灯台守の鑑と言われる模範的な主任である、内省的なアーサー。 高圧的な父親に言われるがままに灯台守になるしかなかったと、自分の人生を皮肉に冷笑するビル。 犯罪に彩られた過去を持ちながら、灯台守とし

          『光を灯す男たち』 エマ・ストーネクス

          『フラオ・ローゼンバウムの靴』 大濱普美子

          さらっと読めてぞわっと怖い短編小説を、今回も一作紹介しようと思う。 大濱普美子のデビュー作品集『たけこのぞう』(『猫の木のある庭』に改題して文庫化されている)に収められている作品だ。 ***** 主人公は、ドイツの大学に学んでいる日本人留学生の「私」。 彼女はある日、一足の靴を手に入れる。 アパートの隣の部屋に住んでいたローゼンバウム夫人が亡くなったのだが、その遺言によって、なぜかその靴が彼女に遺されていたのだ。 ローゼンバウム夫人とは、これといった親しい付き合いはなかっ

          『フラオ・ローゼンバウムの靴』 大濱普美子

          『渚にて 人類最後の日』 ネヴィル・シュート

          悲しく救いのない終末小説。しかし、ここまで救いがないにも関わらずこんなにも美しく、穏やかに凪いだ読後感を与える小説が、他にあるだろうか。 物語の舞台設定は1963年。この小説の初版は1957年なので、近未来というよりも同時代を描いたフィクションだ。 60年代初頭に起きた第三次世界大戦で核戦争が勃発し、核爆弾によって地球の北半球は壊滅状態になった。 今は南半球に位置する国だけで、かろうじて人間が生きているが、放射性の降下物の前線は徐々に南下しており、いずれ世界全体が汚染される

          『渚にて 人類最後の日』 ネヴィル・シュート

          “The Swimmer” John Cheever

          カーヴァー、ブローティガン、アップダイク•・・。少し昔のアメリカの小説家が、全般的に好きである。 今回はそんな私のお気に入りのアメリカ人作家達の一人、ジョン・チーヴァーの、素晴らしい短編小説を一つ紹介したい。 『泳ぐ人』という題名で翻訳もあり、映画化もされている作品だ。 ***** 真夏のある日曜日。昼過ぎの高級住宅街。 ネッドは友人宅のプールサイドでくつろいでいる。 もう若くはないもののまだ引き締まった若さを保っている身体。身のこなしに纏う快活さ。ネッドは、例えるならば

          “The Swimmer” John Cheever