見出し画像

『緩やかさ』 ミラン・クンデラ

クンデラらしさが詰まったコンパクトな群像喜劇。苦笑いを誘う一作だ。

舞台には様々な人物が登場する。
したたかな政治家、その政治家に絡む女、不器用な昆虫学者、ぱっとしない青年など。
とあるフランスの、古い城を改造したホテルで開かれた昆虫学の学会に集った彼ら。それぞれに踊る無様で滑稽な喜劇のダンスが、ぶつかり絡み合う一方で、18世紀の恋愛物語が並走する。

エイズ患者や紛争地の子供を自分のコマーシャルに利用する節操のない政治家の男も、蛇のように絡みついてくる女に対しては冷静さを失った嫌悪を示す。
うだつの上がらない青年は、カリスマ性のある友人の真似をするも全くの逆効果。しかし彼は学会の会場で、同じように場違いな若い娘と出会う。
チェコの悲劇の時代を生きたことに自意識過剰になるあまりアイデンティティー障害を起こしているような昆虫学者は、最も滑稽で痛々しく描かれているが、そこには同じ歴史を経験した著者の、共感を伴いながらも鋭く俯瞰的な目線が感じられる。

チェコの学者はありきたりの〈地球規模の歴史ニュース〉ではなく、〈崇高〉なと呼ばれる〈地球規模の歴史ニュース〉の恩寵にふれたのだ。人間が舞台の前面で苦しんでいるいっぽうで、舞台裏では銃撃戦の音がパチパチと鳴り響き、死の大天使が上空を舞うとき、〈ニュース〉が〈崇高〉になるのである。
そこで最終的な文句はこうである。チェコの学者は〈地球規模の崇高な歴史ニュース〉の恩寵にふれたことが誇らしいのだ、と。彼はその恩寵によって会場にいっしょにいるあらゆるノルウェー人やデンマーク人、あらゆるフランス人やイギリス人と自分はちがうことを知っているのだ。

ホテルの中庭でクライマックスに達する彼らの泣き笑いのどんちゃん騒ぎに、18世紀の騎士が時空を越えて交差し、そんな様子をバルコニーから作者が見下ろす。縦糸、横糸、入れ子の構造が優雅に操られる。老練の手捌きを堪能したい。

私はもう一度、緩やかに馬車にむかっている騎士を眺めたい。彼の歩調のリズムを味わいたいのだ。彼がまえに進めば進むほど、歩調が緩やかになる。その緩やかさのなかに、私は幸福のしるしを見る思いがする。
・・・
お願いだ、友よ、幸福になってくれ。私にはなんとなく、私たちの唯一の希望が、きみの幸福になる能力にかかっているという気がするのだ。

シニシズムとエロス、そして著者ならではの人生讃歌が歌われた幻想劇がここにある。

この記事が参加している募集