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『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』 風野春樹

表紙は一人の青年の写真。神経質な感じはあるが、頭の良さそうなしっかりした顔である。
この青年がなぜにして「誰にも愛されなかった」とまで言い切られているのか。気になって読んでみた。

私と同様、その名前を見てもピンとこない方がほとんどではないだろうか。
島田清次郎は、大正8年(1919年)に発表した小説『地上』で一躍文学界のカリスマになるも、その傲岸不遜な言動から文壇で疎まれ、数々のスキャンダルを起こした挙句、精神に不調をきたして精神病院に収容されたという、波乱の生涯を送った作家だという。

本書は精神科医である著者が、この忘れられた作家について、現存していて入手できる資料をつぶさに調べて考察し、一人の人間の一生涯の物語として仕上げた、貴重なノンフィクションである。

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清次郎は明治32年に石川県で一人っ子として生まれたが、幼い頃に父親をなくし、母と二人、母方の祖父の営む遊郭に身を寄せて暮らした。
尋常小学校は主席で卒業する優等生で、友達も多く河原や鉄橋で遊ぶ活動的な少年だったらしい。
ただ、気に入った女子には相手の気持ちなどお構いなしにラブレターを送りつけて、女は誰でも自分のとりこになるに決まっているという強固な自惚れがあったというところが、少年として既に異様なものがあったかもしれない。
弁論大会では情熱的な語りで満場を圧したというから、その熱意のほとばしる強さは並ではなかったこともうかがえる。

しかし、並外れた自信と突出した実力に対しバランスを欠いた情緒が足を引っ張り、清次郎は青年期には既に多くのトラブルを起こしていたらしい。
秀才ぶりを買われて東京の実業家の支援を受けられるようになるも強すぎる情動のためにふいにしてしまい、彼のことを純粋に好いてくれた数少ない友人もその傲慢な態度に堪忍袋の緒を切らして去っていく。

天才であれ、狂人になるな
狂人は現実の真珠をふみにじって 彼岸の黄金を求めるが故に何ものをも得られない。

こんな自戒の文を書くほどの理性と聡明さがあったにも関わらず、ひたすら狂人への道を進んでしまった清次郎が切ない。

やがて文学を志すようになった清次郎は、原稿を携えて室生犀星や徳田秋声の元を訪ねて回る。そして20歳で書いた長編小説『地上』が出版されると、若者たちの間で熱烈に支持され、瞬く間に大ベストセラーになったという。
実際に彼の著作を全て読んだ著者は同作について、先を読ませる力のある作品であり、格差と貧困という社会の現実に挑む力強さがあると評価している。

同世代の感性で、同世代の人物を主人公に、同世代の読者に向けて書かれた小説、つまり現代で言う「ヤングアダルト小説」の祖が島田清次郎の『地上』であるともいえるだろう。・・・『地上』のベストセラーは、日本文学史上初めて、若者の感性が文学界を動かした事件だったのである。

しかし、この成功によって彼の傲慢さは歯止めが効かなくなってしまう。
自分は社会を導くべき天才的な英雄であると大真面目に豪語し、自分を世に送り出してくれた著名な恩人に対してまで「天才に奉仕するのが凡人の務めだ」と発言したというが、ここまで来るともう傲慢も傲慢、尊大も尊大で苦笑してしまう。

清次郎の悪評について著者は一応、ある日突然時代の寵児となった20歳そこそこの青年の心理としては誇大的になるのもやむを得ず、その傲慢さは若者らしい鼻っ柱の強さでもあると擁護もしているが、当時の出版物に残る彼に関する批評及び彼自身の文章が示すその尊大さは若者らしいで済むレベルではなく、著者の擁護はどうしても弱く感じてしまう。

彼はその後も『地上』の続編をいくつか発表して、それぞれよく売れたらしいが、どの作品にも自分自身をモデルにした主人公を英雄的に書き、実生活で(ことごとく身勝手な理由から)恨みを抱いた相手に対しては彼らをモデルにした人物を登場させて悪意ある扱いをしたというから、ちょっと読む気にならない。

やがてその傲慢ぶりで文壇でも嫌われ者になった清次郎。マスコミでもほぼゲテモノ扱いだったようだ。
こちらは洋行を控えた清次郎に関するコラム記事である。雑誌「新潮」名物の毒舌コラムだとはいうが、すごい書かれようだ。

島田清次郎がいよいよ渡米する。彼の言ひぐさに依ると、「外国に行つて小便して来るだけでも好い。」といふのださうだが、会話一つ碌に出来ないやうな語学の程度では、全く亜米利加の電車にでも乗つて、外国の土に小便でもして来るのが関の山であらう。
・・・どこまでも方途もなく延び上がつて来て居るあの高慢な小僧ツ子の天狗鼻が、外国に行つて少しでも凹まされて来れば、それだけでも彼が外国に行くのは結構なことである。

そんな清次郎が決定的に道を踏み外すきっかけになったのが、海軍少将令嬢の誘拐監禁事件である。(今ならばれっきとした犯罪事件なのだが、この件で最終的に非難されたのは被害者である令嬢だったという。当時の社会でどれほど女性の人権が蔑ろにされていたかが分かる。)

このスキャンダル(犯罪なのだが・・・)で清次郎は出版拒否の憂き目に遭い、執筆の注文は途絶え、軍人の令嬢をかどわかしたということで右翼団体から脅迫状で脅されるようになる。
身を落ち着ける家すらなくした清次郎はやがて狂気を呈するようになり、早発性痴呆症(現在の統合失調症)と診断されて精神病院に収容される。(「自称天才こと今はキチガイ」と、ここでもマスコミでの呼ばれようが凄まじい)
そして精神病院から出ることなく、肺を冒されて31歳の若さでこの世を去るに至るのである。

彼は自分が思っていたような天才ではなく、時代とマッチした流行作家というだけだったのかもしれない。しかし、もう少し何かが違っていたら、このような末路ではなく、本当に高みに登れていたのかもしれない。
嫌われ者であったにも関わらず、彼には労を厭わず助けてくれる友人がいたし、窮地に陥って泣きつけば手を差し伸べてくれる人がいた。不快極まりない態度で人を辟易させながらも、どこか人たらしな一面もあったのかもしれない。
一緒に住んでいたにも関わらず母親とのエピソードがほとんどないことも気になる。清次郎の成功に喜んだとも、スキャンダルに心を痛めたとも、彼女の愛情を感じる記録が何も残されていないのだろうか。
母親の問題ではなく、やはり清次郎の特殊な性格がそれを阻んでしまったのかもしれないが、母親との関係がもう少し情の通ったものであったら彼の人生も違ったものになったのかもしれないとも思う。
「かもしれない」だらけの所感になってしまうが、その孤独と無念を思うと、いけすかない人物とはいえ胸が痛んで、救いを探したくなってしまうのである。

島田君が、もっと利巧で、謙虚に身を持し、努力創作に従つたら、彼の生命はもつと永かつたに違ない。いや、彼がもつと、ズルくて、猫を被つてゐたならば、彼の名声はもつと続いたに違ない。

清次郎の精神病院入院に際し、菊池寛が雑誌に寄せた文章だという。

滑稽で哀れな狂人/天才の一生が胸に焼きつく。読ませる一冊だった。

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