マガジンのカバー画像

小説

108
運営しているクリエイター

記事一覧

“The Awakening”  Kate Chopin

“The Awakening” Kate Chopin

フェミニスト文学の先駆けのように言われているようだが、私にとっては“昼ドラin上流階級”である。といってけなしているのではない。時々無性に、ぱらぱらとページをめくってみたくなる、密かなお気に入りだ。

*****

エドナ・ポンテリエは裕福な主婦。まだ若く美しく、絵を描くのが趣味で、2人の子供がいるが子供の世話にかまけるよりも自分の時間を優先する生活を送っている。
その夏、ポンテリエ一家はグランド

もっとみる
『裁縫師』 小池昌代

『裁縫師』 小池昌代

同名の短編集からの表題作。
おとぎ話のような書き出しで始まるが、心しておかないと軽く動揺するハメになるので要注意だ。

戦後間もない東京での少女時代を回想するのは、ビルの清掃員として働く68歳の女性である。
庶民的な街の一角にある共同アパートに、共働きの両親と質素に暮らしていた頃のこと。近所には事業家が住む大きな家があり、その離れの一軒家に、裁縫師のアトリエ兼住居があった。

裁縫師のアトリエには

もっとみる
『砂の本』 ホルヘ・ルイス・ボルヘス

『砂の本』 ホルヘ・ルイス・ボルヘス

書物を愛する奇才といえばボルヘス。
“バベルの図書館”という代表作のその名の響きだけで、本好きは気持ち良くなってしまうのでは。
そんなボルヘスが、本好きならば一度はその手にかかってみたいと思うような本の魔力を書いた短編がこちらである。

*****

「わたし」が語るのは、ある奇妙な本を入手した体験だ。
ある日の夕暮れに戸口にやってきた聖書の行商人。彼が言うには、「ある神聖な本をお目にかけられるん

もっとみる
『ホーム・ラン』 スティーヴン・ミルハウザー

『ホーム・ラン』 スティーヴン・ミルハウザー

目に映るものの表面ではなく深淵を覗きたい、簡単に言葉にはできない何かについて静かに考え込みたい、そんなあなたにおすすめの短編集だ。

「ミラクル・ポリッシュ」は、さえない訪問販売のセールスマンから、“ミラクルポリッシュ”という名の鏡磨きクリームを買う話。
好んで買ったわけではない。なんとなく情にほだされて男を家にあげてしまった自分にうっすら腹立ちながら、一刻も早く男を家から出すために出てきたものを

もっとみる
『緩やかさ』 ミラン・クンデラ

『緩やかさ』 ミラン・クンデラ

クンデラらしさが詰まったコンパクトな群像喜劇。苦笑いを誘う一作だ。

舞台には様々な人物が登場する。
したたかな政治家、その政治家に絡む女、不器用な昆虫学者、ぱっとしない青年など。
とあるフランスの、古い城を改造したホテルで開かれた昆虫学の学会に集った彼ら。それぞれに踊る無様で滑稽な喜劇のダンスが、ぶつかり絡み合う一方で、18世紀の恋愛物語が並走する。

エイズ患者や紛争地の子供を自分のコマーシャ

もっとみる
『波の上を駆ける女』 アレクサンドル・グリーン

『波の上を駆ける女』 アレクサンドル・グリーン

1925年、日本で言うと大正時代に書かれた幻想冒険小説だ。
作者のアレクサンドル・グリーンはロシアの貧しい家庭に生まれ、船乗りや鉱夫などの職業を転々とした後、地下抵抗活動に加わって3回も流刑に処せられたという。
その人生自体がひとつの物語になりそうなそんな作家が書いたこの小説はしかし、暗さや苦しさではなく、美しく詩的な幻想とロマンスに満ちた冒険物語だ。

物語は、港町に宿を取り病後の療養をしている

もっとみる
『トラウマ文学館』 頭木弘樹・編

『トラウマ文学館』 頭木弘樹・編

頭木弘樹氏によるアンソロジー『トラウマ文学館』は、『絶望図書館』、『絶望書店』の番外編として編まれたものである。あとがきによると、あまりに絶望的なものは前出の2編には収録しなかったため、そうして入れられずにいた「絶望的だが良い作品」をこちらに集めたということだ。



この文学館には、子供時代から老年期までの年代で区切られた6つの展示室がある。
それぞれの展示室には「少女漫画棚」、「SF棚」、「

もっとみる
『アメリカへようこそ』 マシュー・ベイカー

『アメリカへようこそ』 マシュー・ベイカー

とてもパワフルな短編集。
着想の多彩さ、ストーリーの面白さ、文章のバイタリティ、どれを取っても燃料満タンの、エネルギーに満ちた一冊だ。

想像の斜め上をいく想定は新鮮な驚きであり、ストーリーのあまりの予想のつかなさに夢中になってしまう。
一編ごと、どんな設定が現れるのかと期待しながら読み始めるのが楽しい。

人が精神を全てデジタル・データに変換して肉体からコンピューター・サーバーへと「変転」するこ

もっとみる
『常盤団地の魔人』 佐藤厚志

『常盤団地の魔人』 佐藤厚志

題名に「団地」とつく本を見るとつい読んでみたくなる。
というわけで手に取ったこちらの本、濃厚な“団地感”と少年時代のわくわく感が余す所なく詰めこまれた美味なる一冊で、一気に読んでしまった。

*****

冒頭のこの記述から、常磐団地が位置する一帯の雰囲気がうかがわれる。
常磐団地はそこから想像される通りの、壁がひび割れ、老人やブルーカラーの住人が多く住む老朽化した団地だ。

三号棟に住む今野蓮は

もっとみる
『娘について』 キム・ヘジン

『娘について』 キム・ヘジン

タイトルは『娘について』だが、母親についての小説だ。
主人公「私」は初老の寡婦。若い頃は教師だったが、今は自宅の2階を賃貸しつつ、老人介護施設で働いている。

彼女の家に対するこの独白からも分かる通り、「私」は、実態が明らかな確固たる物事を好む、常識的で勤勉な女性だ。そして、寄る年波に不安を感じ、世知辛い世間への不満を抱えてもいる。

そんな彼女の家に、30代の娘が身を寄せて来るところから物語が始

もっとみる
『光を灯す男たち』 エマ・ストーネクス

『光を灯す男たち』 エマ・ストーネクス

アイリーン・モア灯台事件から着想を得て書かれたフィクションである本作は、全体にモノクロームな雰囲気が漂う、静かに張り詰めたサスペンス小説だ。

消えた3人の灯台守とその妻たちの独白を中心にして進む物語には、謎めいた言葉が散りばめられ、静かに進むミステリーが驚くべき結末に導いていく。

灯台守の鑑と言われる模範的な主任である、内省的なアーサー。
高圧的な父親に言われるがままに灯台守になるしかなかった

もっとみる
『フラオ・ローゼンバウムの靴』 大濱普美子

『フラオ・ローゼンバウムの靴』 大濱普美子

さらっと読めてぞわっと怖い短編小説を、今回も一作紹介しようと思う。
大濱普美子のデビュー作品集『たけこのぞう』(『猫の木のある庭』に改題して文庫化されている)に収められている作品だ。

*****

主人公は、ドイツの大学に学んでいる日本人留学生の「私」。
彼女はある日、一足の靴を手に入れる。
アパートの隣の部屋に住んでいたローゼンバウム夫人が亡くなったのだが、その遺言によって、なぜかその靴が彼女

もっとみる
『渚にて 人類最後の日』 ネヴィル・シュート

『渚にて 人類最後の日』 ネヴィル・シュート

悲しく救いのない終末小説。しかし、ここまで救いがないにも関わらずこんなにも美しく、穏やかに凪いだ読後感を与える小説が、他にあるだろうか。

物語の舞台設定は1963年。この小説の初版は1957年なので、近未来というよりも同時代を描いたフィクションだ。
60年代初頭に起きた第三次世界大戦で核戦争が勃発し、核爆弾によって地球の北半球は壊滅状態になった。
今は南半球に位置する国だけで、かろうじて人間が生

もっとみる
“The Swimmer” John Cheever

“The Swimmer” John Cheever

カーヴァー、ブローティガン、アップダイク•・・。少し昔のアメリカの小説家が、全般的に好きである。
今回はそんな私のお気に入りのアメリカ人作家達の一人、ジョン・チーヴァーの、素晴らしい短編小説を一つ紹介したい。
『泳ぐ人』という題名で翻訳もあり、映画化もされている作品だ。

*****

真夏のある日曜日。昼過ぎの高級住宅街。
ネッドは友人宅のプールサイドでくつろいでいる。
もう若くはないもののまだ

もっとみる