『去年ルノアールで』 せきしろ
喫茶店にいると五感に独特の感度が宿る。
隣の席の見知らぬ人々。交差することのない人生を生きる人々。もし自分が彼らの連れとしてその場にいるならば何ということのないひと時を共有するだけであろう、何の変哲もない人々が、外側からひっそりと観察する対象となったとたんに、なんと興味深い存在になることか。
彼らの何気ない会話の一言に想像がむくむくと肉づけされ、語られない物語に興味が湧き上がってしまう。
雑音の網の目をかいくぐって耳に届く言葉だから、くぐもって不鮮明なので、聞き取りミスも多くなる。(「アイスティーください」→「愛してください」のような)
聞き違いなのに、こちらの脳内で勝手に意味を持つ言葉に生成され直される他人の発言。
絶対そんな事言っていない、けれど言っていたように聞こえた脈絡不明すぎる言葉に一人心の内で爆笑する。
そんな、ものすごくどうでもいいけれど面白かったことは、人にちょっと話したくもなるのだが、体験した本人ほど聞いた人には面白くは感じないのが常である。だから誰もが、あえて人に話すまでもなく日々の泡として消え去るがままにしているではないだろうか。
そんなあれこれをあえて一つ一つエピソード立てして書き綴ったのが、この本にまとめられているコラムである。
舞台がルノアールというのがまた良い。タイトルも秀逸だ。
都会のオアシス、ルノアールで著者が出会ったあんな場面こんな場面(登場するエピソードが実際に起きたことか著者の創作かは別にどちらでもいい)。著者いわく「いつも通りに一銭にもならない日常」の、そこここに泡のように発生する面白味。あるあると笑えるけれどどうでもいいそんなこんなを、あえて本にまでしてくれたことが嬉しい。
キラリと光る掴みの文章が良い。
読み切りサイズの各エピソードの内容は、電車内で読むのが危険なほど笑えるものがある一方で、若干すべっている部分もあるのだが、そのすべり具合もちょうど良く、肩の力を抜いて読める塩梅になっている。
2000年代初頭に書かれたコラムはまだ90年代の残り香が濃厚で、あの時代のリアルな感覚を懐かしく思い出せる。当時の芸能ネタも今読むと新鮮だ(私は芸能界に疎いので半分くらいはよく分からなかったが)。
ギャグやノリに漂うノスタルジーに、流行りや文化が過去になっていくスピードの速さを実感するのもまた一興だった。
暑い陽射しを逃れて入ったルノアールの座り込まれた椅子で、冷房に感謝しつつメロンソーダでも飲みながら気楽に読みたい、楽しい一冊だ。