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『ホーム・ラン』 スティーヴン・ミルハウザー

目に映るものの表面ではなく深淵を覗きたい、簡単に言葉にはできない何かについて静かに考え込みたい、そんなあなたにおすすめの短編集だ。

「ミラクル・ポリッシュ」は、さえない訪問販売のセールスマンから、“ミラクルポリッシュ”という名の鏡磨きクリームを買う話。
好んで買ったわけではない。なんとなく情にほだされて男を家にあげてしまった自分にうっすら腹立ちながら、一刻も早く男を家から出すために出てきたものをとりあえず買ったというだけだ。
ところがこのクリームで鏡を磨いてみると、まさにミラクルな効果が現れる。
鏡に映った自分の像に、見たこともないような光が宿るようになったのだ。

曇り空の下の芝生が陽が出てくると変わるのと同じように何かが変えられた人間の前に私は立っていた。楽しみに待つことがある人間、人生にいいことがあると思っている人間が私には見えていた。

自分だけではない。寝室のドアも、タオルもカーテンも、鏡に映ったものは全て生き生きと魅力的な像になる。彼の(あまり魅力的ではない)女友達も、鏡に映ったとたんに繊細にしなやかに生気にあふれて見える。

いまや毎朝、一種わくわくした気分で私は起床し、廊下の鏡に直行するようになった。くしゃくしゃの髪でさえさりげない自信の表れと見えたし、目の下の隈は障害に立ち向かい乗り越えるのが習慣である人間を物語っていた。

いともたやすく鏡磨きの魔力に絡みとられていく主人公。ショッピングセンターや家具屋で鏡を買い漁り、家中至る所鏡だらけに。女友達は、彼が実際の彼女ではなく鏡の中の彼女に気持ちを向けていると考え落胆する。
とうとう「私か(鏡の中の)彼女か」という二択を突きつけられた彼はある行動に出るのだが。。。
終盤は感動的なラストを匂わせもするのだが、すぐにあっさりと底なし沼に突き落とすところがいい。

「息子たちと母たち」では、中年の息子が、長い間会わずにいた母に会うため実家を訪れる。
しかし、懐かしい家で再開した母は認知症を患っているのか言動が不安定であり、以前の母ではなくなっている。
息子はそんな母を悲しく見つめ、長く帰らなかったことを悔やみ、失われた過去を想い、と同時に何か心に抱えたものがあるようなのだが、それが何かは語られない。
次第に暗くなっていく家の中、音といえば息子が母に話しかける言葉と、時たま発される母の言葉のみ。動きもほとんどない、静謐な時間が流れる。
読むうちに、実家も母も亡霊なのではという印象が浮かんでくる。または息子が亡霊なのか。謎に満ちた、そして圧倒的な物悲しさに包まれた物語である。

「アルカディア」は、ある宿泊施設のパンフレットの体裁をとった作品だ。
そこは「移行支援」のための施設であり、入居者は整った設備の中で快適に過ごしながら、「決定的瞬間」に向けて備えることになっているらしい。

疲れていて休息を求めていらっしゃる方、悲嘆に暮れ活路が見出せずにいらっしゃる方にはアルカディアがぴったりです。・・・愛されていない、認められていない、求められていない、忘れられていると感じているあなた、私どもの許においで下さい。道を示してさし上げます。

人生に絶望した人々を呼び込み、利用者からは「この場所がすべてを変えてくれた」と言われるこの施設。その恐ろしい目的はわりとすぐに分かってくるのだが、おぞましい内容と文章の丁寧さの組み合わせが妙にリアルな気がするのが怖い。

他に、集団ヒステリー的な出来事を題材にした作品ありブッダを題材にした作品あり。奇想天外な物語はそれを追うだけで楽しいのだが、一つ一つが、一筋縄では行かない哲学の問題のようでもある。
もちろん物語は、明確な答えや結論を提示しない。そこに語られる出来事から何を受け取るかは読み手次第なのだが、なにがしかの答えを見つけるには立ち止まっての思考が必要になる。

私たちは夏に期待しすぎたのだろうか?あの青空、あの黄色い太陽・・・・・・青い太陽は絶対にない!緑の空はどこにもない!時おり、自分が何かを、ヒントを、しるしを待っている気がした。自分が抱え込んだ恐ろしいエネルギーを注ぎ込める方向が見えてくるのを私たちは待っていた。

ちょうど私たちの長かった夏も去った。どこかメランコリックに考え深くなる秋に、変わり種の短編集はいかがだろうか。