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『トラウマ文学館』 頭木弘樹・編
頭木弘樹氏によるアンソロジー『トラウマ文学館』は、『絶望図書館』、『絶望書店』の番外編として編まれたものである。あとがきによると、あまりに絶望的なものは前出の2編には収録しなかったため、そうして入れられずにいた「絶望的だが良い作品」をこちらに集めたということだ。
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この文学館には、子供時代から老年期までの年代で区切られた6つの展示室がある。
それぞれの展示室には「少女漫画棚」、「SF棚」、「韓国文学棚」、「アメリカ南部文学棚」といった多種多様な棚があり、それらの棚から一編ずつトラウマ文学がピックアップされている。
12のトラウマ文学は、1ページに満たないような短編もあれば漫画もあり、長編小説の一部を短編作品として切り取ったものもあるなど、自由で趣向に富んだ組み合わせだ。
やや古めの作品が多く、文豪や名人達の名文を一堂に味わえるのも本書の醍醐味である。
ホラー映画のような恐ろしさではないが、人間の心の不可解さ、暗さ、どうしようもなさを見せつけられる不快感と、圧倒的な絶望感が、まさにトラウマの名に相応しい。
私の独断でいくつか挙げるならばこんな感じだ。
・ショッキングなトラウマならば・・・「野犬」(白土三平)
・深い思考を誘う読み応えならば・・・「不思議な客」(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』より)
・精神的なえぐさならば・・・「絢爛の椅子」(深沢七郎)
・問答無用の恐怖感ならば・・・「走る取的」(筒井康隆)
物理的な怖さで一番インパクトがあった「走る取的」は、主人公と友人が、飲みに入ったバーで偶然居合わせた相撲取り(取的)に執拗に追われる、というそれだけのストーリーだ。
それだけのストーリーなのだが、その相撲取りの形相といい迫り方といい、とにかくシンプルに怖い。そして面白い。コミックホラーのような読み心地なので和めるオチで終わるのではという期待もわくのだが、それを裏切るラストも怖い。
「・・・あいつには人間らしい感情なんて、ないんだぞ」
「じゃあ、なんの感情があるっていうんだ」亀井が突っかかってきた。「どういう感情であいつがおれたちを追ってきているっていうんだ」
「化けものの感情だ」と、おれはいった。
何かに襲われるという想定ならば、話が通じない相手というのが一番怖い。中でも話が通じない人間。
ゾンビも巨大ザメもエイリアンも、話が通じない相手ではあるのだが、通じないことが前提として歴然としているので、言ってみればあっけらかんとした怖さだ。しかし相手が一見何の変哲もない人間となると、話が通じないということが異様な禍々しさをもたらして、恐怖が倍増する。
なにか理由があるわけでもないのに突然襲いかかられる気味の悪さ。人対人の関係において本来あるべき筋なり理由なりが全くないことがまず恐怖なのだ。
本作品は、まさにそんな、『激突!』タイプのホラー小説である。筒井康隆氏の手だれの恐怖譚を堪能したい。
紹介から漏れた他の作品も一読の価値があるものばかり。
精神的な弱者の哀れなもがきを息子の視点から描いた韓国の小説「テレビの受信料とパンツ」(李清俊)は、ねっとりとした居心地の悪さとざらざらとした不快感が特徴的でどこか安部公房的な一作であり、人の弱さとおごりを突く意地悪小説「田舎の善人」(フラナリー・オコナー)の後味の悪さも一級だ。
一気に読むと胃にくるので、気が向いた時にひとつふたつつまむのがちょうどいい。
展示室にオリジナルの棚を増やして、自分だけのお気に入りトラウマ文学をそっと加えるのもまた、一つの楽しみになりそうだ。