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『カーストとは何か インド「不可触民」の実像』 鈴木真弥

最先端のデジタル分野やグローバルなビジネス界での、インド勢のパワーがすごい。
ハリウッド映画を観ていても、会社の経営者やキャラ立ちしたIT小僧などをインド系の俳優が演じているのが目立つ。(これら、一時期は日本人が占めていたポストだったものだが。。。)

インドのイメージは今や、エキゾチックなスパイスワールドから急進最前線のエリート輩出国へと変わってきた。そんなインドだが、現代にあってなおエキゾチックで謎めいたイメージが強くつきまとう理由の一つは、その文化に特有の、有名な身分制度であるカースト制の存在ではないだろうか。

こちらの新書は、謎に包まれたカースト制という制度と、その最下位の階層であるダリトという存在について、詳しくそしてわかりやすく教えてくれる。現代インドを学びたい方には必読の一冊だ。そしてまた、誰もに読んでほしいと思う一冊である。


《カースト制とは》
カースト制とは、職業の分業によって保たれる相互依存性と、ヒンドゥー教的価値観によって上下に序列化された身分関係が結び合わさった制度である。
バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラという4種姓から成る序列の枠組み(ヴァルナと呼ばれる)が、一般に理解されるカースト制度だが、シュードラの下にさらに「不可触民」といわれるカテゴリーがある。
現代インドでは「ダリト」または「指定カースト」(Scheduled Casts)と言われるこの階層の人口はおよそ2億138万人、日本の人口を上回る規模だという。

インドにとってカーストは厄介な問題であり、下位カーストへの福祉対策はインド政府に重くのしかかる。インド憲法ではカーストによる差別を禁じ、差別解消のため政府やNGOによる努力が続けられているが、カースト的文化、カースト的慣習は今なお残っているのが実情である。特にダリトとされる人々への蔑視、差別的慣行は、他の下位カースト集団とも大きく異なったものだという。

《歴史的背景》
紀元前1500〜1200年にかけて北方から進出したアーリヤ人が、肌の黒い先住民と自集団を区別しようとしたことから4身分を分けるカースト制度が始まったが、紀元後4〜7世紀にはこれらの下にさらに不可触民というカテゴリーが加えられ、このことにより下位カーストであるシュードラの差別が緩和され、制度全体の枠組みが安定したと考えられている。
そして、理念的な慣習であったカーストの仕組みが実体化したのは、イギリスによる植民地支配の時代だ。
イギリス植民地政府は、徹底した民族誌調査を行い、統治に利用した。その中で、曖昧で体系化されていなかったカースト制の概念が、実体化されることになった。
ただし、イギリス植民地行政の影響は大きいものの、それをもって「イギリスがカーストをつくった」と主張するのはもちろん誤りである。
また、イギリス支配からの独立運動を率いたガンディーが、カーストについて肯定的だったという事実もある。(彼の主張は、カーストは「健全な分業」であるというもので、カースト間の序列や不可触民への差別は撤廃されるべきとし、「優劣のないカースト」を目指していた。)
さらには、植民地政策によって体系化されたカーストの制度と不可触民(指定カースト)の位置付けを、不可触民自身が自己の権益獲得のために積極的に受け入れたという側面もある。
カーストとその差別の問題は、非常に複雑な背景を持つ。

《カースト撤廃への取り組みと現状》
ダリト(不可触民)への差別が憲法で禁じられている現在のインドでは、公の場ではカーストの問題が表面に表れないように配慮するという状況が見られるという。例えば学校などで宴会が行われる時に、「下位カーストの人が料理したものは食べない」というカースト的慣習による支障が起こらないよう、料理はバラモンカーストの誰かが担当する、などである。しかしそのような配慮があること自体が、差別意識の根強さを物語っている。
また、上位カーストの人々ほど「カーストは昔のもの」、「今は差別はない」という意見を持っているが、ダリトの人々と接するほどに、それらの意見とは違った現実が見えてくるという。

本書で調査されている、政府による差別廃止と指定カースト救済の取り組みと、その現状はとても興味深い。
政府の取り組みは見たところ積極的であり、教育の機会の平等を掲げ、指定カースト出身者の進学における優遇措置も取られており、確実に効果も挙がっているようだ。統計からは、ダリト階級出身者で高学歴、高位の職を得る人が増加していることが確認できる。
しかし依然として差別の現実は厳しく、憎悪からの凄惨な事件や名誉殺人という恐ろしい事例も後を絶たない。
努力と幸運をもってミドルクラス以上の地位を手に入れても、出自を隠し続けなければならないことへの葛藤があったり、自ら死を選ぶような悲劇の例もある。
また、コロナの蔓延を機に排外主義的な潮流が強まり、ヒンドゥー・ナショナリズム(イスラム教などヒンドゥー以外の宗教の信者およびダリトなどを暴力的に排除しようとすると動き)が顕在化していることも、憂慮すべき現状として取り上げられている。


本書では現在を生きるダリト階級出身の若者の取材にも重点が置かれ、今のインドの姿がよく分かる。また、「映画のなかのカースト」、「アメリカIT企業と差別訴訟」など充実したコラムも、カーストをめぐる今日の現状を教えてくれる。

どのような方向に進もうとも、カースト制度は行く手に立ちはだかる怪物となるということです。この怪物を殺さないかぎり、いかなる政治改革も可能ではありません。

ダリト出身のカースト廃止運動家、アンベードカルの言葉が本書には紹介されている。
差別の問題は、どの国もが恥部として抱えているものである。そんな差別問題の中でも特に有名なカーストという問題を抱えるインド。インドがいかにカーストと取り組み、公と個がどのように歩み続けているかを知ることは、私達誰にとっても大きな学びになるはずだ。