【2023/01/04改訂】司法試験で他説批判のトレーニングを積んだ者としての実感
司法試験で他説批判のトレーニングを積んだ者としての実感
司法試験の論文答案において、避けられないトレーニングが他説批判だ。
まあ、実際に他説批判を、論文答案で展開するかは別として、他説批判は、司法試験の論文答案では、重要なんだね?
そうだ。そこでさ、「ボクはこの説をとらない。なぜなら、ボクはこの説が嫌いだからだ」、なんて書いたらどうなると思う?
そりゃあ、ゼロ点だよね。
だいたい、聞きかじった他説批判を書いても、本質的な批判にならずに、いい点がつかないことは、よくあることだった。
司法試験予備校の答案練習会だね?
略して「答練」ともいう。
ポリドルフィンさんは、どうやって、高得点を叩き出していたの?
そりゃあ、やっぱり、他説を書いた本を買って読むことから始める。
そっかー。で、どれくらい読み込むの?
その他説でも答案かけるぐらいに他説を勉強するんだ。
ほー、そこまでやるのかー。
そこまでやって初めて、本質的な他説批判ができるんだ。
そういうトレーニングをつんだポリドルフィンさんとして、ネット民に言いたいことは?
とにかく、他説批判するときは、その他説に立って論を進められるぐらいに勉強することが大事だということだ。
そうなのか・・・。
嫌いだったら、なおのこと、その他説のことをじっくり勉強することが大事だ。
「嫌いだから」で終わったら、答練ではゼロ点だもんね。試験だったらわかることなのに、なぜ、ネット民の多くは、自分の間違いに気づけないんだろう?
まあ、試験ではないからかもね。客観的な採点者が答案を採点するわけでもなく、仲間たち同士でライクスをつけあうという構図がまかり通っている。
そして、ライクスが多いから、この他説批判で正しいと信じこんでしまうんだね。
実際には、それは仲間内で盛り上がっているだけだ。正しい批判の態度としては、自分の嫌いな他説でも、論を立てれるほどに勉強することが重要なのに・・・。
たとえば、どういうこと?
たとえば、保守主義に立つ、のだったら、エドマンド・バーク「フランス革命の省察」を読むと同時に、ルソーの「社会契約論」も読まねばならない。
ルソーがフランス革命の指導原理になったから、保守主義のバークにとっては、「他説」だよね。
だから、ボクは、このブログでも、エドマンド・バークのことを書くと同時に、ルソーのことも書いたんだ。
まあ、ポリドルフィンさんの立場は「リベラル保守」だから、思考的実験として、保守主義に立った上で、ルソー批判を展開してみたわけだね。
そうだ。これで、保守主義のお勉強は、だいぶ進んだことになる。
そうなんだね。
だから、ボクの書評は、他説批判の前提となる、他説理解のためにも、書かれることが多い。
ポリドルフィンさんの書評は、その本に、必ずしも賛同してない場合があるということだね。
というか、言ってしまえば、ボクの書評は、その本にヒントを得た、一種の思考実験と考えてもらってかまわない。
ポリドルフィンさんの書評は、一種の思考実験なんだね。
そうだ。
ポリドルフィンさんの見解はただちに、書評と同じ、というわけではないんだね。
うん。・・・そして、最終的には、自分の「リベラル保守」の思想を完成させることが、目標なんだ。「リベラル保守」については、中島岳志という先人がいるので、ぜひ参考にしたい。わかりやすい入門書も書く準備がある。興味を持たれた編集者さん、お気軽にご連絡を!
思想&入門書の完成を待っているよ(笑)
ありがとう!(笑)
中島岳志は西部邁の弟子みたいなもの↓
リベラル保守は西部邁の「保守の再定義」から始まった↓
西部邁に影響を与えたオルテガの解説書↓