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今はまだ頭だけの理解でもいいこと?!金森将「バタ足ノンデュアリティ2」

今はまだ頭だけの理解でもいいこと?!金森将「バタ足ノンデュアリティ2」

 一「事実」が「全体」の分身であること
 二 その「事実」に「体」はいつも触れていること
 三 そして、その感覚だけが「リアル」なのである
 ということが、今はまだ「頭」だけの理解でもいいので、わかっている必要があります。

金森将「バタ足ノンデュアリティ2」より

とにかく、上の三か条は、暗記科目だ。

うーん、こんなに覚えられるかな?

ボクみたいに、ノンデュアリティを体感している人は、感覚として持っているものだよ。

ノンデュアリティのときには、「ボク」もいなくなって、感覚も「主体のない認識」になるんでしょ?

そうだね。

1.「事実」が「全体」の分身であること。

これはわかるね?事実が全体の分身であること。

よくわからんなー。

わかんない?

わかんない。

どう言えば伝わるんだろう・・・??

そもそも、全体ってなに?

命とか、存在とか、呼ばれているものだよ。この空間を満たしているものだ。この空間そのものと言ってもいいかもしれない。

うーん、わかるような気がする。

でも、実際、ノンデュアリティのときは、空間すらなくなる。

またわけのわからないことを・・・。

うーん、結局伝わらないのか・・・。でもさ、仮に便宜的に「全体」が空間だとするとさ、その空間から、ボクらに関わってくるものは「事実」しかないよね。

うーん、ちょっとわかりかけた。

空を見上げると、空が広がっている。それが事実の一例だ。

うーんなるほど。

ただ、ノンデュアリティのときは、空を「空」とも思わなくなる。ただ、在るだけになるんだ。

また、わけのわからないことを・・・。

結局伝わらなかったか・・・。そういうアナタは「バタ足ノンデュアリティ」シリーズを読んでね!

はーい。復習しておきまーす。

2.その「事実」に「体」はいつも触れていること。

これはわかるでしょ?

さっきの説明で、事実が空間の分身だとすれば、空間にはいつも触れているのだから、ってことになるよね。

まあ、さっきも書いたけど、ノンデュアリティのときは、空間すらなくなるわけだけどね。まあ、便法として、空間をイメージしてみて。

わかったよ。

3.そして、その感覚だけが「リアル」なのであること。

これは、そういうものとして、常に意識しておかなきゃいけない。

要するに、五感だけが、リアルってことでしょ?

まあ、そうだね。例えば、あなたを罵倒している人がいるとしよう。どうなる?

ムカつくね。ぶっ飛ばしたくなるほど、怒るよ!

でもさ、怒りって、「思考」だよね。「事実」は、罵倒している人が目の前にいるだけだよね。

うーん、言われてみれば思考だね。

思考からは、一旦離れて、事実を感じる5感の感覚だけがリアルだと思えってことなんだ。

オレもスピリチュアル、ちょっとやったから、思考が自分を苦しめるのはわかるよ。怒りって実は、苦しみでもあるわけでしょ。

おおー、よくわかってんじゃん。その通りだよ。

だから、思考からは、離れて、感覚だけがリアルだと認識しろってことでしょ。

そこら辺はよくわかってるんだね。ノンデュアリティのときは、「思考の次元」からは、離れてしまうから、その理解を大事にしてね。とりあえず、「バタ足ノンデュアリティ」シリーズで復習しておいてね。

はーい。

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