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掌編小説、詩など

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2020年11月の記事一覧

ハードボイルド書店員日記⑬

ハードボイルド書店員日記⑬

本を売る行為は野球のバッティングと似ている。
タイミングが重要なのだ。

「『星の王子さま』ありませんか?」
ベビーカーを押す若い男に訊かれた。文庫しかない。彼の目的は違う。キーワードを変えて検索したが、やはりなかった。「そうですか。ありがとうございます」男は児童書売り場に行き、しゃがんで下段の棚を吟味していた眼鏡の若い女に声をかけた。女はすぐに立ち上がり、八重歯を見せて大袈裟に頷いた。親指まで立

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ハードボイルド書店員日記⑫

私は不器用な中年だ。藤原伊織の書く小説の主人公がそうであるように。尤も彼らとは内実が異なる。私の場合、生き方よりも手先が壊滅的なのだ。おかげでミニストップで買った「ういろう―白―」を開けられず、二十三分も浪費した。

鋏を借りよう。ずいぶん歩いてしまったので他のコンビニを探した。ある。でも「ミニストップ」の商品を食べるために「セブンイレブン」の店員を煩わせては申し訳ない。なぜ駅を出て早々に「ういろ

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ハードボイルド書店員日記⑪

ハードボイルド書店員日記⑪

吾輩は年賀状素材集である。完売したことはまだない。
そんな戯言を口にしたくなるほど毎年かなりの数が入荷する。欲しくもない書籍に限って大量に送られてくる謎の慣習は未だ健在だ。売れている本を頼んでもなかなか来ない。ようやく入荷しても十中八九減数されている。大型書店の注文が優先されるからだ。

私が先週頼んだブコウスキーの「町でいちばんの美女」と「パルプ」が入って来た。満数だった。涙が込み上げたぜベイビ

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ハードボイルド書店員日記⑩

ハードボイルド書店員日記⑩

「すいません、外国文学に詳しい方いらっしゃいますか?」
黒髪を真ん中で分けた色白の若い男だ。ピカソの「盲人の食事」みたいな体型。眼差しの角度がエゴン・シーレを匂わせる。レジ内の全員が私を見た。私にとっての文学はメロスにとっての政治ですと言った。男は朗らかに笑った。学生ではない。
「短編集を書きたいと思っています。ジャンルは文学とエンタメの中間ぐらい。お手本になりそうな作家を教えていただけたらと」

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ハードボイルド書店員日記⑨

ハードボイルド書店員日記⑨

出勤。電話の保留音をホリエモン&CEOの「NO TELEPHONE」に変更した。一分後に鳴った。

「よう、俺だよ。いま平気か?」
「会社の番号だ」
「仕事中に携帯にかけても出ないだろ?」
「仕事してないときでも出ない」
「いつなら出てくれるんだ?」
「レイディ・デスが微笑んだとき」
「誰だよそれ」
「ブコウスキーぐらい読んでおけ」
「読むと何かいいことがあるか?」
「寿命が延びる」
「そんなわけ

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