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ハードボイルド書店員日記⑨

出勤。電話の保留音をホリエモン&CEOの「NO TELEPHONE」に変更した。一分後に鳴った。

「よう、俺だよ。いま平気か?」
「会社の番号だ」
「仕事中に携帯にかけても出ないだろ?」
「仕事してないときでも出ない」
「いつなら出てくれるんだ?」
「レイディ・デスが微笑んだとき」
「誰だよそれ」
「ブコウスキーぐらい読んでおけ」
「読むと何かいいことがあるか?」
「寿命が延びる」
「そんなわけないだろう」
「気持ちの問題だ」
「中山氏のドクター・デス、売れてるか?」
「売れてる」
「一分一秒でも長く生きるべしというのも良し悪しかな」
「人による」
「おまえは長生きしたい派?」
「やりたいことをやる派」
「やりたくないことは?」
「どうしても必要なら」
「まだ小説家目指してんの?」
「そのつもりだ」
「もう無理だろ。いい加減諦めろよ。いまさら後には引けないんだろうけど」
「それもある」
「せめて社員になれよ。準社員制度とかあるだろ。他の会社のことなんか知らないけど。いつまでもロビンじゃなくてバットマンになれよ。前に出ろよ。本来そういう人間だろ、おまえ」
「私はペンギンの運転する車に轢かれそうになるじいさんだな」
「なるほど。おまえの中でジョーカーはジャック・ニコルソン一択ってわけだ」
「いや、ホアキン・フェニックス」
「そこはそっちなのかよ」
「見てないけど」
「見てないのかよ。ならせめてヒース・レジャーにしとけ」
「『ダークナイト』は部屋の更新料で消えた」
「マジか。だってあのDVD、前の店を辞めるときにもらったやつだろ」
「やりたいことのためだ」
「『ゴールデン・スランバー』も売った四日後に後悔して買い直したよな?」
「それは単行本。買い直したのは文庫。映画は見ていない」
「たいへんよくできました」
「もう切るぞ」
「待て待て。質問がある。彼女がチャンドラーに興味を持ってるんだけど、どれから読むのがオススメだ?」
「『プレイバック』以外」
「その中であえてひとつ選ぶなら?」
「『マルタの鷹』」
「俺が本を読んでないと思って馬鹿にしてるだろ。一応これでもおまえの同業者で、キャリアも少しだけ長いんだぜ?」
「なら自分で選べ」
「訳者は? やっぱり春樹訳が読みやすい?」
「『プレイバック』は清水訳がいい」
「その情報、いまの俺には無意味じゃないか」
「そうかもしれない」
「おまえがいちばん好きなチャンドラー作品は?」
「『プレイバック』」

いきなり電話が切れた。やれやれ。「レジ袋はご入り用ですか?」と訊かれて煩わしそうにワイヤレスフォンを外す若者と同レベルだ。あるいは「おねがい」という返事を受けてレジを打つと「袋要らない。お金取られるんでしょ? カバーだけ」と言い出す年寄りと。なけなしの年金など誰も取らない。正当な対価を頂戴するだけだ。文句はセクシーなあの方に。赤い論壇誌を毎月買うあなたが支持している党の一員であるあの方に。


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