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浅羽通明 『星新一の思想 予見・冷笑・賢慮の人』ちくま選書(「本のメルマガ」2021年12月第3号掲載)

 星新一は、1001作のショートショートを遺しています。ミリオンセラーをも含めて、彼の書いた小説はすべてヒット作となりました。教科書にも多数採用されており、おそらくいまの日本の大人で、星の作品をまったく読んだことのない人はいないのではないかと思われるほどです。多くの言語にも星の小説は翻訳されています。しかし、星は文学賞とはほとんどまったく縁がありませんでした。彼の作品を正面から論じた本も書かれてはいません。往年の『ニセ学生マニュアル』で知られる著者が、星というフロンティアに挑

    • リチャード・エバンス著 木畑洋一他訳『歴史の中の人生』(上・下)岩波書店

       本書は、偉大な歴史家エリック・ホブズボームの評伝である。私はホブズボームが若き日から1991年の同党の消滅まで、一貫してイギリス共産党員であったことを不思議に感じていた。たしかにホブズボームの歴史解釈においては、経済的なものの力が重要視されている。しかし、「伝統の創造」という考え方や、義賊についての研究等、文化の力を重視する点で、教条的なマルクス主義からは遠いところにいる人だという印象を抱いていた。  ホブズボームは、すでに高校時代に共産主義にシンパシーを寄せていた。ホブ

      • 一ノ瀬俊也 『東條英樹 「独裁者」を演じた男』文春新書 1200円+税

        東條英機をほめることばを親世代から聞いたことがありません。やれ、首相在任中に全国を視察して、ごみ箱を覗き込み、まだ使えるものを捨てていないかと、細かくチェックして歩いていた。やれ、防空訓練の一貫として、女性たちに竹槍の訓練をさせていた。そうした話を私たちは、耳にタコができるぐらい聞かされて育ったのです。精神論で凝り固まった、セコイ独裁者。それが親世代から植え付けられた、東條のイメージでした。敗戦の責任をすべて被せられた感のある、この軍人政治家に対して、本書は新たな観点を提示し

        • インテリVS普通の人

           菅総理大臣による学術会議会員の任命拒否には驚いた。かつて中曽根元総理は、国会において、学術会議会員の政府による任命は形式的なものに過ぎないと答弁している。今回の任命拒否はこの答弁と矛盾している。菅総理大臣は、6人の任命を拒否した理由について何も語っていない。この任命拒否は権力による学問への介入であり、憲法第13条に違反していると言わなけれならないだろう。インテリ界隈は、激しい怒りに包まれている。  だが一般の人たちの受け止め方はどうなのだろうか。菅総理は何かルール違反をし

        • 浅羽通明 『星新一の思想 予見・冷笑・賢慮の人』ちくま選書(「本のメルマガ」2021年12月第3号掲載)

        • リチャード・エバンス著 木畑洋一他訳『歴史の中の人生』(上・下)岩波書店

        • 一ノ瀬俊也 『東條英樹 「独裁者」を演じた男』文春新書 1200円+税

        • インテリVS普通の人

          桐野夏生 『日没』 岩波書店1800円+税(「本のメルマガ 2020年10月25日掲載)

           本作の舞台は、政府批判が封じられ、「ポリティカルコレクトネス」が極端な形で求められるようになった、近未来(現在?)の日本です。そうした状況にうんざりしている主人公の女性作家のもとに、ある日「文化文芸倫理向上委員会」(ブンリン)なる団体から、「召喚状」が届きます。レイプのような過激な描写が多く、不快感を与えられたというクレームが読者から寄せられたというのが、彼女の「罪状」です。ヘイトスピーチだけではなく、人に不快感を与える一切の表現が、いまや不法なものとなった。これが「ブンリ

          桐野夏生 『日没』 岩波書店1800円+税(「本のメルマガ 2020年10月25日掲載)

          うるわしの白百合

            朝ドラ「エール」で、薬師丸ひろ子が歌った讃美歌が話題になっている。最初この場面は、豊橋大空襲で焼け落ちた家の地面をたたいて「戦争のこんちくしょう」と叫ぶ場面が予定されていた。それが薬師丸の提案で、讃美歌を歌うことになったという。讃美歌は心をうつもので、「朝ドラ史上屈指の名場面」という評すらみられた。国民的アイドルとして出発した薬師丸が、類稀な知性と深い内面性の持ち主であることを思い知らされた。  しかし疑問に思う。空襲で被害にあった当時の庶民が、「戦争のこんちくしょう」

          うるわしの白百合

          日本森羅万象学会

           「日本マスコミュニケーション学会」という学会がある。昔は、「日本新聞学会」と言っていた。私は大学院生時代に「新聞学会」に入会した。機関誌の『新聞学評論』に査読付きの論文を書き、それが評価されて、鹿児島の大学に就職することができた。「日本新聞学会」の会長を私の師匠は務めていた。私にとって愛着はあり、恩義すら感じている学会である。「日本マスコミュニケーション学会」に改称したのは1993年のことである。  その「日本マスコミュニケーション学会」に改称問題が起こっている。ネットの

          日本森羅万象学会

          自営業衰退の社会的結果

            自らも自営業者の家に生まれた、労働経済学者の野村實は、自営業の衰退は日本社会に深刻な影響を及ぼすと述べている。企業や官公庁に雇用されるためには、それなりのレベルの高校や大学に入って、入社試験や公務員試験に受からなければならない。他方、自営業の場合には、学歴や学力はほとんど意味をもたない。つまり自営業が衰退することによって、学歴社会は完璧なものとなる。勉強のできない子の逃げ場がなくなるのである。   私の小学校の同級生の親たちは、ほぼ自営業者。中学校に進んで、サラリーマン

          自営業衰退の社会的結果

          民度

           現上皇が天皇であった時に、日本国民の「高い民度」ということばを使ったことに違和感を覚えた。「民度」という尺度で諸国民が一元的に評価できるとすれば、すぐれた国の人々とそうではない国の人々が存在することになる。これは諸国民の平等という理念に反する。そして差別を容認する発想だ。日本人と比べて「民度」の劣る人々の国だとみなしたからこそ、戦前の日本は朝鮮を植民地化し中国への侵略を行ったのではなかったのか。  コロナ禍に際して、政府が強い規制を行わなくとも、国民の努力で被害を最小限に

          世代論

           加藤典洋氏は、団塊の世代には全能感があると言っていた。この世代を受け容れるために、たくさんの学校が作られた。自分達には社会の古い枠組を壊し、新しいそれを創る力があると思い込んで育ってきた。そうした「全能感」と、人口圧ゆえのフラストレーションの合力として、かの大学紛争はもたらされた。全世界に「団塊」の仲間であるベビーブーマーがいた結果、60年代の末に世界的な若者の反乱がもたらされたと加藤氏は言う。  「団塊」たちの「全能感」。なるほどと思う。全能感がなければ、「革命」ができ

          加藤典洋 『オレの東大物語 1966-1972』集英社 1500円+ 税(「本のメルマガ」2020年9月3号に掲載)

           菅新総理大臣をみているとうんざりすることがあります。上昇志向と権力志向。党派心と目的のためには手段を選ばない傾向。菅氏が属する「団塊の世代」の負の側面を凝縮したような人物です。そういう人物が、日本の最高権力者の地位に就く。この国も終わりです。本書は、やはり「団塊の世代」に属する大文芸批評家の遺著。ポップな文体で、6年間におよぶ自らの東大生活と、その時代に起こった東大紛争を「総括」しています。帯には、「東大はクソだった」とありますが、本書を読了した時、「なるほど」と妙に納得し

          加藤典洋 『オレの東大物語 1966-1972』集英社 1500円+ 税(「本のメルマガ」2020年9月3号に掲載)

          70歳の女子大生

           昨年、66歳の大学1年生という人を教えた。卒業した時には70歳になっている。高校は都立のハイレベルな進学校だったが、保育士(当時は保母であったはず)の専門学校に進んだので、大学には行っていない。子どもが独立して自由な時間ができたので、大学で学び直すことを思い立ったという。日本の大学はある意味異常で、20歳前後の人しか学部生にはいない。自分より年長の学生がいる状況は、緊張感があってとてもよかった。  ぼくの授業は、戦後の若者世代と若者文化を振り返るものだった。彼女は、とりわ

          70歳の女子大生

          M君のこと

            昨年の9月、九州の大学で教えていた旧友のM君が亡くなった。いわゆる孤独死で、発見された時には遺体はかなり悲惨な状態であったという。30代の後半から、M君は重い腎臓の持病を抱えながら、研究、教育、学内行政等々の仕事をこなしていた。そこにご両親の介護が加わる。東京と九州を行き来する生活を、長く続けていたのである。無理に無理を重ねた末の早世であった。彼の健康を気遣う家族がいなかったことが悔やまれる。  M君は、大学時代は鉄道研究会(鉄研)に所属していた。いわゆる「鉄ちゃん」で

          M君のこと

          素直な人たち

           前期の1年生ゼミで延期された東京オリンピックが話題になった。学生たちは口々に「オリンピックはアスリートファーストだから」という。「アメリカのテレビの都合で猛暑の日本の7,8月に開くのだから『アスリートファースト』なわけないでしょう」と私がいうと、みんな大変驚いていた。ある学生が、「南の国から来た選手が不利にならないように、真夏にやるのだとばかり思っていました」と言った時にはこちらがびっくりした。  いまの若者というのか、多くの普通の人たちは、とても素直なのだと思う。首相の

          素直な人たち

          野中郁次郎他著『失敗の本質』

           『失敗の本質』は、戦後日本の社会科学を代表する名著である。ノモンハン、ミッドウエー、インパール、レイテ、沖縄の戦いを分析し、日本軍という組織のもつ病理が、悲惨な敗北をもたらした過程を明らかにしている。いまさら日本軍の話でもないだろうと思うかもしれない。だが、バブル崩壊、福島第一原発事故、そして今回のコロナ禍と続く一連の「国難」に対して、この国の様々な組織は、日本軍と同じ過ちを犯していった。  アメリカに勝てると思っていた日本の指導者は誰もいなかった。緒戦に打撃を与えれば、

          野中郁次郎他著『失敗の本質』

          闘魂は

            かつてプロ野球でも活躍した大熊大学野球部の監督は、昨年の3月、同校応援部の春合宿を表敬訪問した。応援部の練習を観た監督は、「これに比べれば野球部の練習など、生ぬるいものだと思った」と述べている。監督の言葉には、誇張も社交辞令も多分に含まれているのかもしれない。現在の大学応援部は、『嗚呼、花の応援団』の昔に比べて格段にスマートになってはいる。しかし、時代錯誤的な猛練習が姿を消したわけではない。  体育各部の練習は勝利という目的を達成するために、合理化されている。過度な練習