うるわしの白百合

  朝ドラ「エール」で、薬師丸ひろ子が歌った讃美歌が話題になっている。最初この場面は、豊橋大空襲で焼け落ちた家の地面をたたいて「戦争のこんちくしょう」と叫ぶ場面が予定されていた。それが薬師丸の提案で、讃美歌を歌うことになったという。讃美歌は心をうつもので、「朝ドラ史上屈指の名場面」という評すらみられた。国民的アイドルとして出発した薬師丸が、類稀な知性と深い内面性の持ち主であることを思い知らされた。

 しかし疑問に思う。空襲で被害にあった当時の庶民が、「戦争のこんちくしょう」と思うだろうか。爆弾を落としたのはアメリカである。「アメリカのこんちくしょう」と思うのが普通だろう。ヒロインの妹の夫の馬具職人は、戦争に疑問を呈したため、特高の拷問を受けた。そうした人なら「軍部のこんちくしょう」と思ったのではないか。アメリカであれ、軍部であれ、敵ではなく戦争を憎むという思考は戦後の発明のように思われる。

 広島の原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」ということばが刻まれている。過ちを犯した主体は、そこには記されていない。薬師丸の美しい歌声には、死者たちと遺された者の悲しみを浄化する力があった。だが讃美歌を歌うことで、この悲劇は神の与えた試練であり、「誰も責めることはできない」と訴えているようにもみえる。薬師丸の讃美歌と慰霊碑のことばには、重なり合うものがある。

 古関裕而がモデルの主人公はビルマ戦線を慰問で訪れた際、戦争の悲惨さに衝撃を受ける。古関作曲の「若鷲の歌」に鼓舞されて予科練に入隊した、少年の死によって強い罪責感を掻き立てられ、彼はまったく作曲ができなくなってしまった。しかし戦後の古関が立ち直り、数多の名曲を世に送ったことは周知のとおりである。古関の再生を可能にしたのは、戦後澎湃として起こった「誰も責めることはできない」という空気ではなかったか。

 

 

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