日本森羅万象学会
「日本マスコミュニケーション学会」という学会がある。昔は、「日本新聞学会」と言っていた。私は大学院生時代に「新聞学会」に入会した。機関誌の『新聞学評論』に査読付きの論文を書き、それが評価されて、鹿児島の大学に就職することができた。「日本新聞学会」の会長を私の師匠は務めていた。私にとって愛着はあり、恩義すら感じている学会である。「日本マスコミュニケーション学会」に改称したのは1993年のことである。
その「日本マスコミュニケーション学会」に改称問題が起こっている。ネットの普及によって旧来型の「マスコミュニケーション」が後退してしまった。新たな時代に相応しい学会名称に変えることが必要ではないかと、学会の執行部は言う。一理あるならんと思う。だが、改称が近年中に実現すれば、私は所属している間に学会の名前が2度も変わったことになる。「一身にして二世」どころか「三世を経る」。そんな学会、他にあるのか。
次なる名称としては、「日本メディア学会」が有力視されているようだ。メディアの辞書的な意味は、二つの物の中間にあってそれを媒介するもの。この学会が一貫して研究対象としてきた「マスメディア」はもちろん、言語や貨幣や宗教等々、あらゆるものがメディアになりうるのだ。安倍前首相ではないが、「森羅万象」がメディアなのだ。もし、「日本メディア学会」が誕生すれば、「日本森羅万象学会」を自称するにも等しい。
この学会のメディア史研究は、非常に充実している。私も、多くをそこから学んだ。だが、メディアやコミュニケーションに関する理論的研究は乏しい。新しいメディアの動向に関する研究も活発ではない。いわゆる「マスコミュケーション」と呼ばれる領域に伝統的な研究手法でアプローチしていく。斬新な研究が生じる余地はそこにはない。そうした弊を正すこともなく、名前だけ変えて何が得られるのか。それが消え行く老兵の感想である。