M君のこと
昨年の9月、九州の大学で教えていた旧友のM君が亡くなった。いわゆる孤独死で、発見された時には遺体はかなり悲惨な状態であったという。30代の後半から、M君は重い腎臓の持病を抱えながら、研究、教育、学内行政等々の仕事をこなしていた。そこにご両親の介護が加わる。東京と九州を行き来する生活を、長く続けていたのである。無理に無理を重ねた末の早世であった。彼の健康を気遣う家族がいなかったことが悔やまれる。
M君は、大学時代は鉄道研究会(鉄研)に所属していた。いわゆる「鉄ちゃん」である。鉄道模型のコレクターで、膨大なコレクションがあった。鉄研時代、彼は国鉄(当時)で「押し屋」のアルバイトをしていた。満員電車に無理やり乗客を押し込む仕事である。酒に酔うと彼はどこからともなくホイッスルを取り出して、それを吹きながら、「さあ、お客さん、もっと詰めて」という、「押し屋」のパフォーマンスをするのが常であった。
「殿下」がM君のあだ名だった。われわれが大学院生時代には、まだ「浩宮」と呼ばれていた人物とそっくりだったからである。山口の旧家の惣領息子だったM君はまことに鷹揚で、人を蹴落としてものし上がって行こうなどという野心とは無縁の人だった。そのために大学のポストを得るのに苦労をしたし、高い能力のわりには目立った業績を遺すこともなかった。勉強を積み重ね、その成果を学生に伝えることに満足しているようにみえた。
元号が「平成」から「令和」に替ってから、M君と会う機会はなかった。彼を「陛下」と呼ぶことができなかったことを残念に思う。大学院生時代、M君たちと酒を飲んでは、学問だけではなく、アイドルやらマンガやらプロレスやらの議論を交わしたことは、かけがえのない思い出である。何年か何十年かの後に、この時のメンバーがいまM君のいる世界に集って、彼の「押し屋」のパフォーマンスをみることを、いまから楽しみにしている。