浅羽通明 『星新一の思想 予見・冷笑・賢慮の人』ちくま選書(「本のメルマガ」2021年12月第3号掲載)
星新一は、1001作のショートショートを遺しています。ミリオンセラーをも含めて、彼の書いた小説はすべてヒット作となりました。教科書にも多数採用されており、おそらくいまの日本の大人で、星の作品をまったく読んだことのない人はいないのではないかと思われるほどです。多くの言語にも星の小説は翻訳されています。しかし、星は文学賞とはほとんどまったく縁がありませんでした。彼の作品を正面から論じた本も書かれてはいません。往年の『ニセ学生マニュアル』で知られる著者が、星というフロンティアに挑みます。
星の未来を予見する力には、驚嘆すべきものがあります。インターネットも、そこで暗躍するハッカーも、核のゴミ問題もすべて予見しています。おべっかを使う妖精があらわれて、人々をご機嫌にするストーリーは、SNSの「いいね」機能を彷彿させます。SF作品で必ず登場していた、テレビ電話は結局普及しないだろう、という発言にも驚かされます。オンライン授業に際して、学生たちがビデオをオンにすることを嫌がるのには辟易とさせられました。素顔を大写しで人目に晒すことが嫌なのは、若い女性たちばかりではないはずです。
オーウエルの『1984』に代表される、ディストピア小説というジャンルがあります。このジャンルの主人公は、きまって抵抗者です。星のディストピア小説には、抵抗者は出てきません。理不尽な日常が淡々と描写されるだけです。星は少年時代、射撃部に入ることで教練の点数を稼ぐ一方で、本を目に近づけて読み、意図的に近視を進ませ、徴兵を逃れようと画策しています。戦時下というディストピアを、なんとしてでも生き延びようとした星には、英雄的な行動の果てに命を落とす反逆者に対する冷笑的な気分があったのでしょうか。
星には、自閉症スペクトラムの傾向があったようです。周囲の空気が読めないが故の奇行が、数多く伝わっています。盟友の筒井康隆も奇行の主として知られていますが、それは大向こうを意識してのもの。「天然」の星のそれとは異質のものです。星の小説には数多くの宇宙人が登場しますが、コミュニケーションの困難を抱えた星にとって、普通の人たちとつきあうことは、宇宙人との対話にも等しい苦労がつきまとったことでしょう。星が、偉い人への忖度やら、空気の読みあいが支配する文壇に背を向けたのも、理の当然といえます。
戦後父の興した会社を受け継いだ星は、倒産の修羅場を経験した後、作家として再起を果たしています。著者は星を寓話の名手であるイソップにたとえています。両者の寓話には、弱者が生き延びるための賢慮が、処世訓が示されています。賢慮の人である星は後進にこうアドバイスしています。文学性を隠れ蓑にするな。おもしろくない作品はだめだ。面白い文章を書くために必要なことは、人に作品を読んでもらい、物語を話して聞かせることだ。文章を書く人間の端くれである筆者にとって、星のアドバイスには耳に痛いものがあります。