闘魂は

  かつてプロ野球でも活躍した大熊大学野球部の監督は、昨年の3月、同校応援部の春合宿を表敬訪問した。応援部の練習を観た監督は、「これに比べれば野球部の練習など、生ぬるいものだと思った」と述べている。監督の言葉には、誇張も社交辞令も多分に含まれているのかもしれない。現在の大学応援部は、『嗚呼、花の応援団』の昔に比べて格段にスマートになってはいる。しかし、時代錯誤的な猛練習が姿を消したわけではない。

 体育各部の練習は勝利という目的を達成するために、合理化されている。過度な練習は競技力を低下させるという認識も浸透しているから、闇雲な猛練習は流行らない。ところが応援部の場合はそうではない。「選手にがんばれという以上は、彼彼女ら以上に厳しい練習をしていなければならない」。これが応援部のモットーだ。応援という行為じたいが、呪術のようなものだ。練習の合理化など不可能である。精神論が肥大せざるを得ない。

 「勝ちは選手の手柄。負けるのは応援が悪いから」。これもまた多くの応援部のモットーである。戦うのは選手たちなのだから、無茶苦茶な話だが、そう思っていなければ、応援などやっていられないだろう。その傾向は赤門大応援部に顕著だ。かの94連敗中に、大熊大との試合を観に行った。19対0で惨敗した直後に、応援部の主将は、「選手たちはがんばったのに、応援が悪いから負けてしまった」と涙ながらに絶叫していた。

 ある若者から聞いた話。彼女の職場の後輩に、赤門大ラグビー部の出身者がいる。試合に敗れた後、応援部の面々がやってきた。「君たちはよくがんばった。われわれの応援が至らないために負けてしまった。おわびの印に…」と主将が言うと、彼らは腕立て伏せを始めた。ラグビー部の面々も黙ってみているわけにもいかないので腕立て伏せをするはめになった。「応援部には感謝をしています。勇気づけられました。でもあれはなんとも…」。

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