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縄文海進と古神道、神社、天皇制(34)、朝鮮半島渡来のウソⅣ
縄文海進と古神道、神社、天皇制(34)、朝鮮半島渡来のウソⅣ
縄文海進と古神道、神社、天皇制(23)朝鮮半島渡来のウソⅠ
縄文海進と古神道、神社、天皇制(24)朝鮮半島渡来のウソⅡ
縄文海進と古神道、神社、天皇制(25)朝鮮半島渡来のウソⅢ
縄文海進と古神道、神社、天皇制(26)、天鈿女命の陰謀Ⅰ
縄文海進と古神道、神社、天皇制(27)、天鈿女命の陰謀Ⅱ
縄文海進と古神道、神社、天皇制(28)、なぜ卑弥呼の時代の海洋渡海の方法が丸木舟と決めつける?
縄文海進と古神道、神社、天皇制(29)、卑弥呼 -真説・邪馬台国伝-
縄文海進と古神道、神社、天皇制(30) - ローマのネロの時代から遣後漢使を日本は送っていたわけで、『三国志-魏志倭人伝』ばかりじゃないのだ。『晋書』、『宋書』にだって載っている。
縄文海進と古神道、神社、天皇制(31)、結構調べた!やはりあの島!あの島は半島文化圏ではなかった!
縄文海進と古神道、神社、天皇制(32)、なぜ『魏書倭人伝』はあるのに『呉書倭人伝』はないのか?
縄文海進と古神道、神社、天皇制(33)、伽耶(かや)
縄文海進と古神道、神社、天皇制(34)、朝鮮半島渡来のウソⅣ
★ 朝鮮半島渡来のウソ
日本の文化文明・技術はなんでもかんでも朝鮮半島渡来で片付ける、という誤った認識は止めましょう。学校でも教えるのを止めたほうが良い。
弥生時代の始まりとともに大陸や朝鮮半島から大量の渡来人(弥生人)が押し寄せ、先住民(縄文人)は圧倒され駆逐されたと信じられてきた。江上波夫の騎馬民族日本征服説が戦後の史学界を席巻してしまった時期もあった。手塚治虫の火の鳥にもそういう絵があって、小学生の頃(昭和三十年代)は、神武天皇は半島から騎馬に騎乗して日本国を征服した、なんて信じていた。
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天平時代、奈良時代、平安時代の遣隋使、遣唐使の船団が何度沈没・行方不明となったか?思い出そう。
そんな航路であったら、朝鮮半島から大量の渡来人(弥生人)が押し寄せるような物流をどう持ったのだろう?馬だってチンケな船では運べない。縄文人を駆逐するような大量の軍隊と馬をどう運んだというのだろうか?
一時、歴史学界、考古学界は、戦後の自虐史観の影響もあって、日本に与えた朝鮮半島の文化文明技術の影響力を誇張することこそが進歩的、という風潮さえあったように思う。それが歴史学界、考古学界の戦後の常識だったが、もう通用しなくなった。もう令和の時代、昭和の古ぼけた歴史学界、考古学界の知識は捨て去ったほうが良い。
考古学者とか歴史学者などの想像力の欠如している人たちは、朝鮮半島と中国長江地域などの海上ルートを比較して、壱岐対馬づたいにかんたんに往来できる朝鮮半島が古代(紀元前八年前から一千年前)の海上ルートの主流だったとか、検証もなく主張する。
★ 地理的・気候的な特徴はなんだろう?
1)長江地域と日本:長江地域には水量豊富な揚子江があり、日本は島国で山岳部から海に数多くの河川が存在する。水が豊富。温暖で湿潤な気候で稲作に適している。年間降水量は千ミリ以上。
2)朝鮮半島:日本海、対馬海峡、黄海に三方を囲まれ、西海岸中部以南から南海岸にかけ大小無数の島が散在する多島海。北部(北朝鮮)は山岳地帯で冷涼な気候で畑作に向いている。稲作に不向き。朝鮮半島と中国とは長白山脈で区切られ、アルプスのように往来が難しい。南部(韓国)は、冬は寒冷乾燥した大陸性高気圧の影響を受けるので寒く、日本よりも住み難い。夏は温暖で湿潤な気候で稲作に適している。年間降水量は千ミリ以上。
では、弥生人はどこからきたのか?というと、大規模な民族移動があって、半島から騎馬民族が大挙来襲などという馬鹿なことはない。それで、弥生人が縄文人を圧倒して、支配したなどということもないのだ。
弥生人は、長江、その最下流の揚子江の沿岸、今の上海あたりから海を渡って直接日本に移り住んだ。そう書くと弥生人の祖先は、中国人(漢民族)か?と誤解されるだろうが、違う。
古代(紀元前八年前から一千年前)、長江一帯に住んでいたのは、たぶん現在のインドシナ半島(ベトナム人とか)と同じ先祖を持つ人類だったのだろう。特に揚子江南側には。それが北の方から漢民族が南下してきて、徐々に圧迫された。大陸の南に逃げようにも既に人が住んでいる。
そこで、彼らの一族の一部がどこに逃げようか話をする。「東の方に大きな島があって、そこはここと同じく気候温暖で冬もそれほど寒くないそうだ。住んでいる人間(縄文人)も温和で、渡った仲間が曰く、『農業を教えてくれるんなら、土地もあるし、一緒に暮らしてもいいぞ』」と言われたそうだと日本列島を逃げ場に考えた。
誰かが、「同じ東でも大きな半島があるそうじゃないか?」というと、「ああ、あそこか。あそこは渡ったやつに言わせると、冬は島国よりも寒く、夏は暑い。山がちで土地を開墾するのに手間がかかる。住んでいる人間も意地が悪いそうだよ」と話す人がいた。
そんなこんなで、じゃあ、みんなで大きな島国に逃げ出そう、と意見の一致を見る。これが弥生人。彼らは、大規模に民族移動して、日本を征服したのではなく、少しずつ難民の形で日本に逃げ込んできたのだ。
じゃあ、朝鮮はいつ出てくるか?というと、古代(紀元前八年前から一千年前)の時じゃない。三世紀~五世紀、半島の三国時代に、高句麗から圧迫された百済、新羅、任那の人間が、長江の人たちと同じく、難民として逃げてきたということ。ただし、その頃の半島人の農業・工芸・武器制作技術は日本を上回っていたので、日本を支配していた豪族集合体の社会の上辺に食い込み、やがて日本人にのまれて一体化してしまったということだ。
だから、朝鮮半島渡来なんてほぼウソ、それも上から目線の技術指導なんてものじゃなく、難民が逃げ場を日本に求めて、そこで技術を売って、社会階層の上辺に食い込もうとして、やがて、日本人という混血人に飲み込まれたにしか過ぎないのだ。
朝鮮半島の中国・ロシアとの陸の国境は、北朝鮮側なので、その地理を見てみよう。
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北朝鮮の国土面積は120,538km²である。その内、120,408 km²を陸地が占めており、残りの130km²が水地である。また、総計1,671.5kmの国境線を有し、中国とは1,480km、韓国とは238km、ロシアとは17.5kmの国境線を接している。
北朝鮮の国土の大部分は、中規模の山脈と丘陵による山岳地帯で構成されている。最高峰の白頭山は、北部中国との国境に位置し、標高は2,744 mである。沿岸部では西海岸に広大な平野があり、小さな群島が点在している。また、日本海の海岸線には山岳部に狭い平野が形成されている。
★ 稲作の栽培技術が中国から陸路で朝鮮半島に伝搬された、というのはあまり有り得る話でない
中国の華北は畑作地帯である。稲作には向かない。だから、畑作地帯の華北から、こんな山岳地帯を通って陸路で稲の籾、稲作の栽培技術が中国から朝鮮半島に伝搬された、というのはあまり有り得る話でないのはわかるだろう。
山東半島(青島ビールで有名だね?)や遼東半島(日清戦争の大連がある半島)などは、簡単に中国の支配下になったのに、朝鮮半島は漢民族も手こずった。
● 紀元前四世紀後半 燕・古朝鮮戦争
● 紀元前214年 秦、朝鮮北西部を支配下に収めた(二回の侵攻は失敗)
● 紀元前194年 衛満が、箕子朝鮮を滅ぼし、衛氏朝鮮を建てる
● 紀元前128年 前漢が蒼海郡を設置
● 紀元前108年 前漢が、衛氏朝鮮を滅ぼし、
漢四郡(楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡)を置く
● 紀元前82年 真番郡・臨屯郡を廃する
● 紀元前75年 玄菟郡を西に移し、半島には楽浪郡だけとなる
● 紀元前37年 高句麗が成立
私の記事で扱っているのは、中国にまだ漢民族の統一王朝が出現せず、漢民族も黄河流域にしか居住していなかった紀元前三千年前(今から五千年前)の話だから、朝鮮半島に漢民族はいなかった。
中国の東北地方にかけて主として牧畜・狩猟生活を送っていたツングース系の濊人や貊人、半島南部で早くから農耕生活を営んでいた韓人(長江人、縄文人)で形成されていたのだろう。
紀元前三千年前よりも時代は新しいが、日本にしか存在しないはずの前方後円墳が韓国で十二基も発見されているのは、朝鮮半島南部の一部を日本の豪族が支配していた証拠だろう。
★ 朝鮮半島最大の古代の墓、開けた直後に閉じた理由は
朝鮮半島で最大の古代の単一の墓が、新年の初めについに開かれた。考古学者らは5~6世紀の日本の古墳とそっくりな墓の構造に驚き、すぐに土で覆われ再び埋められてしまったことにがっかりした。今年一月、国土最南端の海南(ヘナム)から聞こえた墓の発掘に続く覆土のニュースは、メディアには公開されなかったが、韓国国内の考古学界を騒がせた。
「追加発掘後に一般公開」とし、再び埋める、墓の被葬者は百済の統制を受けた倭人?、日本の右翼が任那日本府説の根拠にすることを懸念
いつもながらやることはせこい。
朝鮮半島の人々は、漢字、青銅器・鉄器製造技術、養蚕技術、稲作、製紙技術等々が朝鮮半島由来で日本に伝搬して、日本文化を形成したと主張するが、なんのことはない、稲作は漢民族に圧迫された長江人が難民として日本に渡来、直接日本に稲作技術を伝えたようだ。その他の技術も中国大陸から朝鮮半島に来た流入民(渡来人)が朝鮮に伝え、それが日本に伝搬された。
「朝鮮半島由来の日本に伝わった朝鮮独自の文化文明技術」ではなく、「朝鮮半島経由で日本に伝わった中国大陸の文化文明技術」にしか過ぎないのだ。
★ ツングース系民族
満州からシベリア、極東にかけての北東アジア地域に住み、ツングース語族に属する言語を母語とする諸民族のこと。「トゥングース(Tungus)」という名称は、ロシアのヤクート人が、自分たちと混血を進めていたエヴェンキ人を「トングース(Toŋus)」と呼んだことに由来する。現在はともに民族名として自称するため、「ツングース」とは言語系統名であるツングース諸語と、それを話す諸民族の総称として用いられる。
古代出雲の住民はツングース族であり、いわゆる「ズーズー弁」はツングース語起源とする説もある。
※出雲の方言は山陰地方に関わらず「ズーズー弁」
ツングース系民族の起源は、南方由来説(ツングース語のモンゴル語やテュルク語との近縁性から、多くの学者がシベリアの遊牧ツングースを黒竜江沿いに北上してきたモンゴル民族)と西方由来説(セレンガ川やバイカル湖畔の周辺から来たとする仮説)がある。
★ 韓国人は、漢民族に「臭穢不潔」と蔑まれたツングース系民族「濊」の末裔なのか
●「臭穢不潔」とされたツングース系
朝鮮民族の祖先であるツングース系民族は古代中国で、「濊(わい)」や「貊(はく)」と呼ばれていました。「貊」は日本語で「えびす」と訓読みし、蛮族を指します。
問題は「濊」の字です。濊は『漢書』武帝紀では「薉」、『漢書』食貨志では「穢」と表記され、『三国志』や『後漢書』では「濊」と表記されています。いずれも「穢れ」を意味していると考えられています。
かなり酷い呼び名ですが、漢民族は周辺の異民族に対して、このような悪い意味の名を付けることがよくありました。例えば、匈奴の「匈」は「悪く乱れている」ということを意味する言葉であるので、「匈奴」は「悪い奴ら」というニュアンスになります。また、周の時代には、モンゴル系の犬戎が中国に侵入しましたが、「犬戎」とは「犬のような蛮族(戎)」というニュアンスです。
それにしても、「濊」という名の酷さは際立っています。どうして、こういう名を付けられたのか、詳しいことはわかっていませんが、『三国志』や『後漢書』では、ツングース系民族が極めて臭くて不潔(「臭穢不潔」)であったと記されています。
彼らは尿で手や顔を洗い、家ではなく穴の中に住んでいました。豚の毛皮を着て、冬には豚の膏を身体に厚く塗って、寒さをしのいでいました。「臭穢不潔」な彼らを「濊」と呼ぶことは漢民族にとって自然なことだったと推測されます。
「濊」は「水が溢れている様」、「穢」は「雑草が生い茂って荒れている様」を表すもので、必ずしも「穢れ」を意味するものではないとする見方もありますが、史書に「臭穢不潔」と記されていることからもわかるように、やはり「穢れ」を意味していると考えるのが自然です。
これらの濊や貊のツングース系部族から派生する扶余族が紀元前1世紀に高句麗を建国し、4世紀前半に百済を建国します。彼らは後漢王朝に圧迫され、朝鮮半島方面へと南進したのです。そして、彼らは現在の韓国にいた原住民である韓人と混血同化し、今日の朝鮮人となります。
韓人は朝鮮半島の南部から中部にいた農耕民族で、半島の原住民ですが、「韓人」という明確な民族学上のカテゴリーがあるわけではなく、「三韓の地に住んでいた人々」という意味で慣習的に使われます。
● 歴史から紐解く朝鮮民族のルーツ
高句麗は4世紀末から5世紀に強大化し、満州から朝鮮半島北部にかけて広大な版図を形成しました。
高句麗の第19代の王・広開土王(好太王)はこの時代の王で、朝鮮半島南部に遠征し、百済を攻めました。百済と同盟を結んでいた日本(大和朝廷)は軍を朝鮮に派遣し、広開土王と戦います。この戦いについて、有名な「広開土王碑文」に記されています。
朝鮮の歴史書『三国史記』によると、扶余の王族朱蒙(チュモン)が紀元前37年に高句麗を建国したとされます。さらに、扶余族は南方に拡散し、朝鮮半島南西部に百済を建国します。7世紀の中国の史書『周書(北周書)』や『隋書』では、百済の王族が扶余族出身で、高句麗王族とも血縁関係があったことが記されています。
百済の都は当初、ソウルを流れる漢江(ハンガン)の南の漢城に定められました。その後、高句麗に圧迫されて、475年、南の錦江(クムガン)中流の熊津(ウンジン)、つまり現在の公州に遷都し、更に538年に、錦江下流の泗沘(サビ)に遷都しています。
泗沘は新羅時代の8世紀半ばに、彼らの民族名を偲び、「扶余(プヨ)」と名付けられて、今日に至ります。百済の最後の都の扶余は百済歴史遺跡地区として、2015年に世界遺産に登録されています。
高句麗や百済の歴史からもわかるように、古代朝鮮半島はツングース系の扶余族によって支配されていました。扶余族は濊や貊から派生した部族であり、これが朝鮮人のルーツであると言うことができます。
勢いのあった扶余族が朝鮮半島のみならず、さらに南進し、日本にも到来して、彼らが大和朝廷を樹立したという仮説もあります。これは「騎馬民族征服王朝説」と呼ばれるもので、東京大学名誉教授の江上波夫氏により、1948年に提唱され、広く信じられたことがありましたが、今日では、根拠がないとして否定されています。
韓国の学者で、この説に便乗する者もいます。韓国の東洋大学の金雲会(キムウンフェ)教授は扶余の王族が南方へ移動して百済王になり、さらにその子孫の百済王の近肖古王(クンチョゴワン)が日本に渡って応神天皇になったと主張しています。しかし、前段の扶余の王族が百済をつくったというのは良いとしても、その子孫の百済王が応神天皇になったというのは荒唐無稽で根拠はありません。
百済建国には、いくつかの説があります。朝鮮の歴史書『三国史記』では、高句麗の始祖の朱蒙と扶余の王族の娘との間に生まれた子が百済を建国したことになっています。初め10人の家臣と共に建国したため、国号を「十済」としましたが、百姓たちも建国に協力したので、「百済」となったとされます。
中国の史書『隋書』の「百済伝」には、もう少し現実的なことが記録されています。扶余王の尉仇台(ウィグデ)が高句麗に国を滅ぼされて、百家とともに海を渡った(済海)ので、国号を「百済」としたと記されています。
● 遺伝子解析からわかる混血の歴史推移
朝鮮半島方面へ南下したツングース系民族の濊や貊よりも北西部にいた、同じくツングース系民族の動きも併せて見ておきましょう。
この地域は外満州とも呼ばれ、今日のロシアの沿海州、都市で言うとウラジオストクからハバロフスクにかけての地域一帯です。元々、この地域にいたツングース系民族が粛慎で、紀元前6世紀、孔子も彼らの使っていた弓矢について述べています。
粛慎はその後、挹婁(1世紀から4世紀)、勿吉(4世紀から6世紀末)、靺鞨(6世紀末から7世紀末)と変化していきます。彼らは今日のロシア領のツングース系民族の大半に相当します。
「挹婁」の呼称は弓矢の鏃を指す「ヨウロ」を音写したものと考えられています。「勿吉」の呼称は何の音写かわかっていません。「靺鞨」の呼称は「勿吉(もつきつ)」の音写と考えられています。
靺鞨は主に、南の粟末部と北の黒水部の2つの部族に大別することができ、粟末部は後に高句麗遺民と共に、満州の統一国家である渤海を建国します。北の黒水部は女真族の元祖であり、彼らが金王朝や清王朝を建国します。
女真族は中世の高麗時代以降、朝鮮半島にも大量に南下し、朝鮮人と混血しています。
遺伝子の解析により、韓国人はツングース系民族と遺伝子上、近似関係にあることが証明されていますが、この結果は彼らの混血の歴史推移と一致します。
また、中国人もツングース系民族との遺伝子的近似性が証明されており、この結果もやはり、清王朝のような女真族王朝が250年以上も中国を支配し、混血同化が進んだという歴史の推移に一致するものです。朝鮮人と中国人はツングース系民族を介して、近似した民族となったのです。
ところで、朝鮮人のルーツを北方ツングース系のエヴェンキ族とする見解がありますが、これは一つの可能性であって、確実であるかどうかはわかりません。エヴェンキ族の顔立ちなどの容姿、また、トーテムポールを建立し、祈祷する風習などが朝鮮人に似ているとされます。
元々、エヴェンキ族は外満州からシベリアにかけて居住していましたが、13世紀頃に南下し、朝鮮半島にもやって来たとされます。エヴェンキ族が女真族と混血し、女真族によって、血統や風習が朝鮮にもたらされた可能性も考えられます。
そもそも、エヴェンキ族と女真族を区別することができないかもしれません。エヴェンキ族は靺鞨族の末裔であり、両者は靺鞨族という同一の祖先を持つからです。
●「ツングース」とは何を意味するのか
ツングース系民族はアルタイ語派に属します。今日、同じアルタイ語派のモンゴル系の人口が約320万人、ツングース系が約290万人います(アルタイ語派の9割がトルコ系)。
「ツングース」が何を意味しているのかについては諸説ありますが、一説には「豚を飼育する人」という意味を持つと言われます。
ツングース系民族は元々、満州や朝鮮半島北部、サハリン、シベリアに至るまでの広範囲の地域に居住しており、これらの地域は現在のロシアから中国、北朝鮮の領域に及んでいます。しかし、ツングース系言語の話者は今日ではほとんど残っておらず、ロシアに約6万人、中国に約5万人しかいません。
ツングース系民族はその言語グループにより、主に12の部族に分けることができます。ロシアには、エヴェンキ族、エヴェン族、ネギダル族、オロチ族、ウデヘ族、ナーナイ族、オルチャ族、ウイルタ族などの8つの部族があり、中国には、ソロン族、ヘジェン族、シベ族、満州族の4つの部族があります。
この12部族のうちの満州族がいわゆる満州人のことで、満州の中心部を居住地とし、古来、中国とも最も緊密な関係を持っていました。
これらの部族は同じツングース系言語を共有していたとはいえ、遠く離れた部族同士では言葉の隔たりは少なからずあり、会話さえもできなかったとされます。ただし、同じ言語体系に属する彼らは同一の祖先を共通に持つと見られます。
また、民族の遺伝子も近接な関係にあり、互いの民族が歴史的に離合集散を繰り返しており、混血も進んでいました。満州族などの南のツングース系は漢民族を特徴づける遺伝子系統を濃く受け継ぎ、北のツングース系はロシア人の遺伝子系統を持つといった地域的な差はあります。
満州人(満州族)が17世紀に清王朝を樹立した頃、ツングース系民族の大半が満州人により、統合されました。しかし、19世紀になると、ロシアが極東に進出してウラジオストクを建設し、沿海州を支配、北部のツングース系民族はロシア領域に取り込まれ、南部の中国領域のグループと分断され、今日に至ります。
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参照:フランク・ロイドのマガジン
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