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【人生ノートMagazine】おおそうだ、愛は無限だ

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人生ノートの中から特に教育、愛情や好意など誰かへの情について、夫婦の結婚や恋人同士など男女の関係などについてのところをまとめています。
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#心

【人生ノート301】どんな無知な人間に対しても、かならず、それ相当の理解と安心とを与えることによって教え導くというふうにせなくてはならぬ。

人を教え導くにはあえて争うということほどバカ気がことはない。無理に強いるということは、かならず、あとに悪い結果をのこすものである。相手を心から合点さし、理解さすようにと、いろいろ手段を弄するのはよいことである。そうでなくして、ただ単に、自己を主張するために争うというのは愚の極みだ。なんら得るところがないからである。 どんな無知な人間に対しても、かならず、それ相当の理解と安心とを与えることによって教え導くというふうにせなくてはならぬ。すなわち、人間は物質とは異なって、みんな自

【人生ノート 182ページ】 ただ単に、そうしたいから為す、というのでなくして、ある思いをこめてする行為は、いずれにしても、汚れている。

他人を通しての自己愛タバコのきらいな人の前で、やたらに煙をふきかけるのは確かに無礼だ。しかし、タバコを好む人の顔に煙を少々ふきかけたところで無礼ではない。 裸体はいやしいと思い込んでいる人のまえで裸になるのは無礼だ。しかし、最奥天国ではほとんど裸だ。 礼儀にかなっているとか、無礼だとかいうのも、要するに、好意そのものにあるのではない。そう思うからそうなのである。 ○ ある目的のために人に尽力するのは、要するに、その人を通して自己を愛するのである。何ら目的なしに、愛する

【人生ノート 183ページ】 神の宝座は各自の心中にある。鬼も仏も心からだ。

 理想を急激に実現せんとしてはいけない。とにかく、少しずつでよいから、着手して改善していって、漸次に、実地にあたってそお呼吸をさとり、一歩一歩、向上をはからねばならぬ。 つぎにまた、何事でも一事に執着し固着してはいけない。一切は流動性において活きているのであるから、つぎつぎに目先を変え、内容を変えてゆかねばならぬ。 ○ 理屈は大抵知っているが、実行ができないだけだ。 ○ すべて画一的にキチンと計画することはおろかなことだ。 ○ 想念の世界であるから、相互によりよ

【人生ノート 184ページ】 相応の理によって、善言は善意を喚び起こし、悪言は悪意を呼び起こすことになる。

善言は善意を喚ぶ 利己観念の強い人ほど、物ごとを正当に公平に価値づけることはできぬ。彼等はつねに自己ちょうものを、その中へ取り入れている。 卑怯な者は、一面、また非常に残酷なところがある。彼等はつねに自己の安危をのみ土台に、物ごとを観ているのだ。 世間のせまい者ほど自己を知らない。それはつねに、ある意味において、鳥なき里のコウモリであるからである。 ○ ほめられて怒る者はなく、けなされて喜ぶものはない。 暴言悪語ほど人を後悔せしむるものはない。 たとえ大悪人にした

心の奥に常に好意を

外的の行動は別として、その根本において、一切のものに対して好意をもって接することが大切である。 心の奥底に好意をもっていない人は、いかにその言葉や態度がいんぎん丁寧をきわめていても、どこやらに冷たいところがあり、寄りつき難いところがある。 言葉や態度に、一時の冷静さや峻厳さがあっても、その心の底に好意がひそんでいる際には、なんとはなしに一種の感銘をうけるものである。よしや、一時は恨んでも、あとになって有難くなつかしく思うものである。 要するに、根本において、相互に好意を

常に好感をもって

言葉の使いよう、ちょとした態度によって、相手に非常なショックをあたえる場合が往々ある。相手を怒らすのも和めるのも嬉しがらせるのも、ホンのちょっとの呼吸である。何も別に阿諛する必要はないが、とにかく、相手につねに好感をもって接する心がけが肝心である。 人間というものは、案外気の小さいものであるから、よほど注意せねばならぬ。 ○ お互いに己惚(うぬぼれ)というものを平らげたいものだ。そして、人をそねみ、ねたむということをなくしたいものだ。 他人の欠点は直ぐに目につくが、さ

人格を重んじ合え

大抵のことなら、他人のしていることを、とやかく言うものではない。 自分は自分だけのことをしていたらよいのだ。 ○ とげとげしい気分が一番いやだ。あたたかい円みのある人が一番好きだ。 人間はどこまでも共同生活をしてゆかねばならぬものであるから、あくまでも互いに打ち解けて、仲よく面白く暮らさねばならぬ。 最初から人を疑ってかかったり、人の心を試すような気持でいたりしてはならぬ。お互いに信用し合って、人格を重んじ合わねばならぬ。 世の中で、何が愉快だといって、気心の知れ

天の声

人がきて、なにげなく話していくことのなかに、ふだん気づいていないことを教えられることがあります。それは、自分と関連のない話のようであっても、なにかの意味をもっていることがあります。 意味なく人がきて、意味なく話していくということは、ほんとうは、ありえないことではないかと私は思います。人がなにげなく話していることのなかに、天の声がさしはさまれているかもしれません。 めんどうでも、さっそく実行しなければならない場合もありましょう。かりに徒労におわっても、その徒労がありがたいこ

心の狭さ

人間の心の世界は案外せまいものです。自分の年齢に近い人には関心があっても、へだたっている人々には無関心でいるものです。若い人が、道を歩きながら示す視線をみても言えましょう。 わたしの子どものころ、たくさんの信者さんに会っていても、年齢のかけはなれている人は、ほとんど記憶にありません。自分の意識の中にあるのは、その時代々々の自分の年齢に近い人が多いものです。自分と年齢のへだたっている人には、ばくぜんと見覚えはあっても、名前も知らないままにすごしています。ことに私のように大勢の

あたたかい心

理屈を好まぬおだやかな、ぼんやりとしたあたたかい心が神の心である。これに反して、落ち着きのない、冷やかな理屈っぽいのは、けものの心である。 人体は霊の宿泊所であって、自己の心と感応するいろいろな高級、低級霊を容れることが出来るのである。かように作られているのであるから致し方ない。だから、人は常に内心をつつしみ清めて、かりにも悪を思わないようにしなければならぬ。常に、われとわが心を省みて、悪魔のつけこむ隙のないようにしなければならぬ。 人とつき合っても、こっちから「あいつは

夫婦愛を深めてゆく秘訣

 思うに、夫婦は結婚当初のことを忘れず、相互にいたわり合い、同情し合い、人格を尊重し合い、たとえ、しばし遠く離れ住む時も、相互に祈り合い、魂を通わし合うことを怠ってはならぬ。 一方に我侭心が出れば、かならず他方もまた我侭となり、妻に隙ができれば、必ずまた夫に隙が生じる。この隙に乗ぜられて、つい、とんでもない事ができ上がってしまうのであう。 要するに、離れておっても傍におっても、つねに思い合うということが、隙を生ぜしめず、夫婦愛を深めてゆく秘訣である。 出口日出麿著、『信

おおそうだ愛は無限だ

そうだ、すべてのものに、心からの好意を持たねばならぬ。 ○ 善意からする偽悪は、悪意からす偽善に、どれ程まさるかも知れぬ。 ○ 私のあやぶむところは、はたして、これが真の神意か否かということだけだ。 ○ 神の思し召しならば、指も切ろう、爪もはごう、可愛い女房も(もし、あるならば)人に与えよう。 それが神意であるならば、親のかたきの草履もとろう。火の中、水の底、くそ壷の中でも辛抱しよう。 ○ 争い憎み恨むことだけは、私には、どうしてもできぬ。 おおそうだ、愛

愛の殿堂は相互の努力で

若い人は夫婦になる前にしっかり考えねばいかん。 なったあとは、どんなことがあっても両方が別れまい、両方が一緒におろうという決心でゆかなければならぬ。夫婦になって、どうにでもなれというふうな気持ちになりだすと面白くない。 また、はじめから理想の夫婦というものはあまりないものであるということを知っておらねばならぬ。特に今のような世の中ではそうである。   で、愛を培うということが大事である。 たとえ初めは、そう気が合わなかったというような夫婦でも、両方が合わすようにしてゆき