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【人生ノート 184ページ】 相応の理によって、善言は善意を喚び起こし、悪言は悪意を呼び起こすことになる。

善言は善意を喚ぶ


利己観念の強い人ほど、物ごとを正当に公平に価値づけることはできぬ。彼等はつねに自己ちょうものを、その中へ取り入れている。

卑怯な者は、一面、また非常に残酷なところがある。彼等はつねに自己の安危をのみ土台に、物ごとを観ているのだ。

世間のせまい者ほど自己を知らない。それはつねに、ある意味において、鳥なき里のコウモリであるからである。

ほめられて怒る者はなく、けなされて喜ぶものはない。

暴言悪語ほど人を後悔せしむるものはない。

たとえ大悪人にしたところで、その素質のどっかには神を宿している。善言美詞は、やがてその神を引き出してやることになるのだ。

相応の理によって、善言は善意を喚び起こし、悪言は悪意を呼び起こすことになる。

悪魔に乗ぜられやすい人は、自己反省の足らぬ人に限る。

鏡に対せば自己の汚れが分かるごとく、しずかに直霊に省みれば、いかでか、自己の心の汚点のわからぬことのあるべき。

『信仰覚書』第二巻、出口日出麿著

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