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【人生ノート301】どんな無知な人間に対しても、かならず、それ相当の理解と安心とを与えることによって教え導くというふうにせなくてはならぬ。

人を教え導くには

あえて争うということほどバカ気がことはない。無理に強いるということは、かならず、あとに悪い結果をのこすものである。相手を心から合点さし、理解さすようにと、いろいろ手段を弄するのはよいことである。そうでなくして、ただ単に、自己を主張するために争うというのは愚の極みだ。なんら得るところがないからである。

どんな無知な人間に対しても、かならず、それ相当の理解と安心とを与えることによって教え導くというふうにせなくてはならぬ。すなわち、人間は物質とは異なって、みんな自由意志というものを持っておって、いわゆる自主の権能が賦与されているのだから、他より、これを強奪的の態度に出るということは、まったく、その人の人格を無視するというもので、世に、これ以上の侮辱はないのであるから、

このことは、よく、お互いに心得ねばならぬ。

まず、その人の心に「よくしよう」「ああしよう」と思う念慮をおこさすように導くのが、一番穏当である。それを、頭ごなしに、「こうせよ」「ああせよ」というふうに命令してはならぬ。それでは、その人はまったくのデクの坊にすぎぬことになって、それ自身の有する自主の権能を目茶苦茶にふみにじられてしまっていることになる。

神さまでも、人間に、一から十まで、直接にご命令になるのではない。間接に、人間の心にご意志を植えつけておかれるまでである。

『信仰覚書』第四巻 出口日出麿著

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